温度を上げるな、羽織れ!

人間というのは外見も中身もバラバラな生き物であり、それによるすれ違い、不都合はたくさんある。だが、しかし、一番厄介なのは体感温度がバラバラであることだ。これはもうカレーの辛口甘口論争よりも厄介である。カレーであれば、辛口甘口を別々に作る、辛口もイケる方が妥協して甘口を食べる、そもそも今晩カレーを作らない、などざっと挙げてもこれだけ解決方法はある。だだ、夏の冷房問題はそうはいかない。

現代日本において冷房はないと、死ぬ。年々太陽の野郎が気合い入れているせいでどんどん夏は暑くなる。この頃はさすがに涼しくなってきたが、昼間はなかなか暑い。俺がガキの頃は教室に冷房などなくて、それでも大丈夫だったが、今日の日本で教室に冷房を設置しないというのは児童虐待に等しい。そんな現代において今後さらに懸念されるのが、冷房寒い寒い問題である。当然夏場は死ぬほど暑いので冷房をつけるのだが、それを寒い寒いと言う人がいる。「暑い暑いエアコンつけて」「いや寒い寒い温度上げてよ!」「これじゃつけてる意味ないだろ、温度下げて」「だから寒いって言ってるじゃないの!」などのような醜い争いが起きる。そして寒い寒いと言うのはたいてい女である。これは性差別でも女性蔑視でもなく単なる性差で、男女で体感温度が違うからだろう(この情報のソースはジョジョの五部である)。学校や職場などの公共の場所であれば、これは寒い寒いと騒いでも多少は、かなり譲って、仕方ない部分はある。ただし車の場合はどうだろう?

俺は家から車を出す。俺が車に乗った瞬間は、もはや窯である。マルゲリータが中から出てきて、芳醇なバジルの香りがしてきてもなんら不自然はではないほど車の中は暑い。当然冷房を最強にするが、俺もそこまでの暑がりではない。いい感じに冷えてきたら丁度いい温度、丁度いい風量に調節し現状維持につとめる。俺は俺の車という空間の温度を手塩にかけてコーディネートしているわけだ。コーディネートが済む頃、迎えに行く女の家に着くとする。女は俺の車に乗り込み、一つ目の信号のあたりで言う、「この車、寒くない?」と。この瞬間、俺の手塩にかけた空間温度コーディネートの雲行きがあやしくなるわけである。女によっては、案の定温度や風量を勝手にいじるやつがいる。ひどいやつは窓を開ける。俺の育てた温度が、壊されてゆく。そのたびに俺は思う。カミュの異邦人になっちゃうぞ、ムルソーだぞ、太陽が眩しかったから殺したろかこのアマ! そして俺は戦ってしまうのである。とりわけ窓開け女とは激しく戦った。窓開け女との戦いにおいて俺が展開した理論はこうだ。
「まず暑いのと寒いの、どっちが堪えられるかって話だよ。暑さはキツイですよ、暑さというのは堪え難いものですよ、実際。これは薄着なんてもんじゃ対処できない、全裸でいても暑いものは暑いからね。仮に全裸でいても、全裸の熱中症患者がタンカで運ばれていくだけだろうよ。一方寒さはどうだ? なにも俺はシベリアだとかアラスカだとか言ってるわけじゃない、日本の本州の寒さなんてのは米軍払い下げのフライトジャケットでも着てればどうにでもなる程度だし、ましてや真夏の冷房の寒さだし、さらに言えば車の冷房の肌寒さだ、それがなんだと言うんだい? 冷房をかけないと最悪死ぬけど、車の冷房で凍死することはまずないだろうぜ。極寒の雪山で遭難した人が逆に服を脱ぐって話をきいたことがあるけど、人間は外気が寒すぎると体感じゃ暑く感じるかららしいよ、だからお前が助手席でストリップでも始めようものなら俺も考えるけどね、フヒヒッ! 少なくとも寒い寒い騒いでる間は大丈夫じゃないか? 話を戻して、もっと明々白々たる例を出すなら、二つの条件で車中泊をする場合を想定してみろよ。一つは真夏の昼下りに全裸でする車中泊、二つ目は真冬の深夜に寝袋でする車中泊、どちらも空調なしとして、どっちがマシだ? どっちが堪えられる? 言うまでもなく後者ですね。ことによると真冬の寝袋は普通に安眠できるまである。一方、真夏の車内で全裸はやはり最悪死ぬ、その上全裸で死んでいたらママンがおいおい泣くよ。このことから鑑みても、暑いと寒いでは暑い方の要望が優先されるべきであり、肌寒いくらいの方は忍従すべきじゃないか? それなのに、さも当然の権利のように窓を開けるお前はどうかしてる、もはや狂気の沙汰じゃないか!」
と俺は上記の理論でもって戦った。極めつけに俺は叫んだ。「温度を上げるな、羽織れ!
雄弁を終えた俺は自らの隙のない理論にうっとりした。この理論が間違ってるとは今でも思えない。なぜ寒い寒い言うやつの言い分の方が通りやすい風潮にあるのだろうか? 羽織れ羽織れ、薄手のカーディガンとか、なんかそんなんバンバン羽織っていけや。
ちなみに、窓開け女に俺の理論は通用しなかった。俺の並べ立てた理論は「上着持ってないから無理じゃん」の一言でかき消された。最後のダメ押しで発したセリフ「温度を上げるな、羽織れ!」が、窓開け女に反論の余地を与えてしまったのである。しかし理論に対する反論ではない、陪審員の皆様方、どうかこの女に有罪判決を! 俺はそう祈りながら、半分ほど開いた窓から風を受けて頬に髪をなびかせる女をうらめしそうに見ていた。と、その瞬間、女が「赤!!」と叫んだ。前を向くと信号が赤だった。俺はぎょっとして急ブレーキを踏んで、事無きを得た。「ごめんね………」と俺はかすれた声で言った。それから俺は劣勢になってしまい、雄弁は鳴りを潜めてしまった。完全に窓開け女のターンだった。いつも運転が荒いだとか、お前の運転は急発進と急ブレーキの二種類しかないだとか、がみがみ言われた。最初は謝っていたが、先程の完璧な理論を風化させたくないので、俺は最後の手段、無言で窓を閉めるという行動に出た。女も無言で窓を開けた。俺は窓を閉めた。女は開ける。閉める、開ける、閉める、開ける………戦いは泥沼だった。戦いの最中、女に「青!!」と言われて見上げると信号が青だった。「ありがとね………僕がかろうじて運転できるのは、きみが信号を教えてくれるからだよ」と俺は車を発進させながら力なく言った。「免許返納すれば?」という冷ややかな返事が返ってきた。この話は関係ない方向に行ってるのでここでもう打ち切ることにする。
というか今思い出したが、この女はその年の冬場は暖房暑い暑いと言い出して、俺の車の窓を勝手に開けて木枯らしを招き入れるという凶行に出たこともあった。一度その女が前日にニンニクを大量に食べてきた日があって、その日だったと記憶している。俺は自然な香りの安物の車用芳香剤を使っているのだが、それでは対抗しきれずに車内はニンニクのにおいに包まれた。女はそんなことはおくびにも出さず、「シャンプー新しくしたんだ、いいにおいするよ」と笑っていた。俺はどれどれとにおいを嗅ぎに行って、「お前からはニンニクのにおいしかしないよ」と言ってやったわけだ。そしたら、ガチでこめかみ《テンプル》のあたりをグーで殴られた。今となっては(側頭部を殴られたからか)記憶が曖昧だが、ことによると女が窓を開けたのはそのやりとりの後かもしれない。俺の率直な感想が女心を傷つけてしまったのか、もはや一般的に女の方が寒がりとかではなく、俺とその女の体感温度が絶望的に噛み合わなかったのかは神のみぞ知る。ただ、あいつは少なくとも暑い暑いとは言ってやがった。冬場まで俺の手塩にかけて育てた温度にケチをつけたのはあいつだけである。

一応差別ではないと断ったものの、あんまりにも女が女が言い過ぎた気がするので、さらに断っておこう。俺の経験上希少であるが、男の方が百万倍は腹が立つ。女の場合、体感温度の差異を知っているので(ソースはジョジョ五部)、どこかで割り切れる部分はある。だが男の場合、じゃあお前は何者だ? という気持ちになる。お前は俺との体感温度の誤差少なくあれよ、という気持ちになる。ある男は俺の車が寒い寒いと言うだけでなく、出先でおニューのサンダルが靴擦れのようなものをおこし、歩くのまで遅かった。もはや女である。それもマジで女ならいい、しかし、そいつは色黒天然パンチパーマの老け顔、しかも風俗狂いである。これはもう俺にデメリットしかない。そいつが幼稚園から一緒のツレだというのだからさらに救えない。俺はその時「死んでしまえ!」と叫んだ。

とにかく個々によって体感温度、どの温度どの風量をもって寒いとするかがまちまちなので、この論争は終わらない。しかもこれからさらに年々夏は熱くなるものだとすると、さらに激化するだろう。そんな現代日本において俺が伝えたいのは、窓開け女に展開した理論が全てだ。カレーであれば辛口もイケる人が甘口で我慢するところを、なぜか冷房となると、辛口がダメな人が辛口で我慢させられるのである。一度、暑さ寒さを天秤にかけてほしい。寒い寒い、温度上げろ上げろ、と主張するだけなのはよくない。少なくとも人の車では、我慢するか羽織れ。あと男が靴擦れおこすなよ、マジで。

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