「短歌・俳句・連句の会でのセクハラ体験談」への専門家コメントと中間報告

「短歌・俳句・連句の会でのセクハラ体験談」は、現在約60件の体験談とご感想をいただいています(非公開含む)。

ご投稿くださったみなさん、拡散にご協力くださったみなさん、本当にありがとうございます。

体験談とご感想はこちらから

中間報告として、この活動について書いておきたいと思います。


そもそもセクシュアル・ハラスメントとは、

「職場における性的な言動に対する他の従業員の対応等により、当該従業員の労働条件に関して不利益を与えること、又は性的な言動により他の従業員の就業環境を害 することをいう。」(厚生労働省/セクシュアルハラスメントの防止に関する既定第2条)


と定義されています。

では、短歌・俳句・連句の会での体験談は、セクハラに該当するのでしょうか。
ご協力くださっているジェンダー法学者(後日ご紹介します)からいただいたコメントを抜粋して共有します。

どうしてセクシャル・ハラスメントという定義があるかというと、会社員や学生の身分では、嫌なことがあっても逃げられないからです。だからこそ、問題になる。短歌・俳句・連句の会は、会社や大学といった強固な組織、関係性ではありませんよね。そのあたりの前提が少し異なるわけです。


セクシャル・ハラスメントは、定義を厳密にしていくことはできるのですが、それがセクハラに該当するかどうかは、人間関係を見なければならないんですね。同じ言動でも、会社の上司と部下の間で行われたとなったらセクシャル・ハラスメントと言えるのかもしれないけれど、もう少し緩やかな、サークルのような場所でその言動が行われたとしても、セクシャル・ハラスメントではないと捉えることもあるんです。それは、拒否することができたり、出ていくことができるから。ハラスメントにはじゅうぶんなりうると思うんですね。でもそれは、人間関係が問題だったり、指導方法や方向性が合わなかったり、様々が動きがある中での一つの問題。これが会社にあっては生き死にの問題になるからこそ、セクシャル・ハラスメントは重大な問題なんです。


第1回でジャンル分けした「マナーの問題はセクハラではないのですか?」というご感想をいただきました。

先生からこのようなコメントをいただきました。

セクシャル・ハラスメントという言葉には、相手が「ああ、ごめんごめん」と言うのを許さない強さがあるんですね。「いまそういうの若い人たちはダメなんですよ」と言えば、「ああそうか、ごめんごめん」というふうになる。セクシャル・ハラスメントという言葉を持ち出すと、相手に逃げ道を与えないような強さがあるんです。だからこそ、きちっとセクハラって言葉を出して勝負しなければいけないときもある。切り札にとっておかなきゃいけないんです。問題を軽視したりとか、大したことじゃないって言っているわけではないんですよ。ただ、円満に解決するにはどうしたらいいかと考えた時に、セクシャル・ハラスメントという言葉を持ち出した方がいいかというと、すべてのケースには当てはまらないと思います。
結社の中でハラスメントに該当するかと厳密にやって行ってもあまり意味がないわけです。「こういうハラスメントを受けたと言うことが明らかになったらこういうことになります」というガイドラインがそもそもあるわけではないですよね。これセクハラですよ、パワハラですよ、と言ったところで、聞かない人は聞かないわけです。企業がガイドラインを持っていて、その行為が認定されるとなったときは処分の対象になるから効力を持つわけですよね。


現在、「短歌・俳句・連句の会でのセクハラ体験談」は、会におけるガイドラインをつくっています。

求めているのは、会を説得するための体験談と、ご感想による後押しです。

短歌・俳句・連句の世界に「マナーの問題」「倫理の問題」「ジェンダー・ハラスメントの問題」「セクハラとなりうる言動」を周知したい。そして、これから短歌・俳句・連句の世界に入ってくる方々を守りたい。そう願っているのは、私だけではないはずです。


あなたの体験談とご感想は、大切な支援になります。内容はセクシャルなものでなくても構いません。違和感があったこと、嫌な気持ちになったこと。体験談を読んで考えたこと、感じたこと、なんでもお寄せください。


8月31日までお待ちしております。

こちらのフォームからどうぞ