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私と国際協力 2

世界各国が新型コロナウイルスによって鎖国状態になったり、日本も緊急事態宣言が出されてから、いよいよ恐れていたことが発生しました。

多くの隊員が帰国、訓練済みの隊員達の派遣延期、既に合格している候補生達の訓練延期という状況なので理解できます。
以前記事でもお伝えしましたが、私は前回の秋募集で合格するまでに4回不合格になっているので、今回挑戦しようとしていた人達の気持ちを考えると行き場のない感情でいっぱいになってるのではと思っています。私も正直どうなるんだろうと不安に思う日々ですが、今は自分にできることをコツコツと進めて、健康管理をしながら待とうと思っています。(もちろん他の選択肢も一緒に考えていきます。)

私なりに考えて、この記事では「私が協力隊に応募した理由」についてお話ししていこうと思います。私のこれまでの国際協力活動歴は大まかに下記の記事で紹介させていただきましたが、今回は「協力隊の応募」に焦点を当てて、一緒に学生時代の活動についてもお話しできればと思います。

※あくまで私個人のお話になりますので、ご注意下さい。


1. どうして「応募理由」について語るのか?

先程も述べましたが、今回2020年度春募集が中止となり、応募していた方々へ少しでもこの話が参考になればと思ったからです。
「それなら、応募した理由なんかより一次・二次選考について話した方がいいのでは?」と思う方が多いかと思いますが、私は現在候補生であって、正式な隊員ではないので、正式に隊員になってからその話題についてお話したいと考えています。今後知りたい方がいらっしゃったらお話しようと思いますが、まずは私が協力隊にどんな思いで、どんなバックグラウンドを持って応募を決意したのかをお話しすることで、次回応募する際のヒントになればと思っています。
また私自身も初心を思い出すことで、今後どんな道を進むことになったとしても軸を保ち続けられるように残そうと思ったからです。そして私も他の協力隊、候補生の人達のバックグラウンドを知りたいと思ったので、まずは自分が書いてみようと思いました。


2. 国際協力活動に携わろうと思った経緯は?

『私と国際協力 1』でもお話していますが、最初は「海外に行ってみたい!」というただの興味本位から始まりました。困っている人々を助けたいという気持ちももちろんありましたが、それ以上に「異文化を学びたい」という気持ちが1番大きかったです。私は大学1年生の時に、学校のスタディーツアーでベトナム北部の村に行きました。これが私にとって初めての国際協力活動でした。活動内容は環境教育で、期間は5日間と短かったのでどちらかというと「国際交流」に近かったかもしれません。詳しい内容は別記事で書いていこうと思っていますが、ここでの経験が私の中で衝撃を受けました。まずは村の至る所にゴミが落ちていて、ゴミ箱の存在がなかったこと、当時の私の中の常識が目の前で崩れました。今まで聞いたことはあったが、初めて両親の手伝いでお仕事をしたり、小さい兄弟の面倒を見ないといけず、学校に行くことができない子供達にも出会いました。そして、その村の人達が家族と一緒に明るく、楽しく暮らしていたことを知りました。もちろん私が見た光景はほんの一部なので、みんながそういう人達ばかりじゃないとは思っていますが、私は良くも悪くも衝撃を受けたのです。そして、私達が行っていたメインの環境活動は子供達を集めて、まず村中に落ちているゴミを拾って、集めて燃やして、この活動の意味を伝えていくことでした。ただ、小学校高学年ぐらいの子供達はお仕事をしていましたし、小さい子供達は珍しさに参加してくれていましたがその活動の本質性を全然伝えることができず、あっという間に終わってしまいました。今思っても一過性に過ぎない活動でしたし、お仕事やお手伝いが最優先の子供達にとっては迷惑だったのではという考えにも至りました。貧しい地域でも、必要としていることはそれぞれ違って、こちらから一方的に与えるのではなくて「相手側が必要としていること」を理解して一緒に作り上げていくことが「国際協力」であり、それはこんな短期間ではなくて長期間を要するものなんだと、大学3年生で自身の経験を振り返って気付きました。これが私が国際協力に携わった経緯と、加えて私が考える国際協力の意義になります。まるで協力隊の応募用紙ですね。笑


3. いつ協力隊に興味を持ったのか?

同じく大学時代に、私の周りで卒業後の進路として受験する人達を見てきました。周りでは二次選考で惜しくも届かなかった人達を見てきたので「あの人が合格しないなんて、余程難しいんだな・・・」と思っていました。私は大学4年間でベトナム・台湾・ミャンマーで国際協力活動を経験したので、チャレンジしたい気持ちはありました。なので、横浜のJICAであったり、国際協力にまつわるイベントにも積極的に参加してOB・OGの人達のお話を聞いていました。しかしこの記事でも散々書いてきましたが、私は中学時代から「長期留学して、英語教師になる」という大きな目標があったので、卒業後もその道を進むことになり、協力隊には応募しませんでした。



4. 最初に応募したのはいつ?応募に至ったきっかけは?

時は経ち、社会人3年目の秋になります。同時期に入社した同僚が退職して故郷に戻ることになり、「私もこのまま会社に残ってどうなりたいんだろう?」と悩んでいました。子供が大好きで、英語を教えるお仕事を夢見て入った会社でしたが、会社の内部事情をしれば知るほど退職を考えるようになっていました。(会社の内部事情なので詳しくはお話できませんが、要約すると教師職からはいずれ離れることになるからです。)
そんな時にSNSの情報で「青年海外協力隊 2017年度秋募集」が目に留まり、「これだ!」と思いました。「転職の代わり!?」と思われてしまうかもしれません、実際それに近い気持ちで応募したことにもかわりありません。でも、「今だったら英語教師として経験も積んで、専門性があるから、英語教育を必要としている現場で力になれるかもしれない」という考えが最初に浮かび上がりました。私は国際協力活動を通じて、教える立場の心構え・大切なことを学んだので、今度は私にできることを必要としている場所で還元したいという思いがありました。
※これらは台湾でのサマーキャンプで学んだことなのですが、このお話について別記事で述べてからここにリンクを貼ります。内容が散乱してしまいすみません。※
そして話を戻すと、私は2017年10月に初めて応募しました。



5. 最終的にどうして応募したのか?合格するまでの道のりは?

上記でほとんど述べてしまいましたが、まずは大学時代に経験して得たことを還元したいと思っていたから、そして英語教師として新しい環境の中で働いてみたかったからです。中々外国の教育機関に携わることはできないので、私の専門性を生かして携われればと考えていました。また、20代後半という年齢を考えて「この身軽な年齢・立ち位置のうちに、やりたいことをやらなきゃ!」と即決しました。帰国後も協力隊での経験を生かして、日本の教育現場に携わっていきたいと考えていますが、それが英語教師としてなのかはまだ考え中です。結局17年度秋募集では二次選考まで行きましたが不合格となり、それから18年度春〜19年度春まで一次選考で不合格が続きます。「もう今回が最後かな」と腹を括って挑んだ19年度秋募集で見事合格しました!強い気持ちがあれば、何度でも応募しましょうと私は大声でお伝えしたいです。



上手くまとめきれず、長々となってしまいすみません。また、所々少し論点から外れた内容になってしまいすみませんでした。
私のnoteをきっかけに、興味がある人達にとって良い材料になって頂ければ嬉しいですし、私も他の隊員・候補生の皆様のブログ等を拝見していこうと思います!

Life is a never ending journey,

KSM

最後まで読んで下さりありがとうございます!私の記事に共感して下さったら嬉しいです。皆様のサポートは、私の原動力になっています、いつも本当にありがとうございます!!