少女とクマとの哲学的対話「人生を楽しむためには?」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
会社員……人生をなかなか楽しめない。

会社員「野球の野村監督が亡くなりましたね。わたしは、監督とは一面識もありませんし、ファンでもなければ、アンチでもなく、また野球というスポーツ自体にも大した興味を持っていないのですけれど、かえって、そういう親しみのない有名人の死というものが身に染みるときがありますね」
クマ「どういうことかな?」
会社員「何と言いますか、全く自分と関係の無い人の死を聞いて、『ああ、自分もいずれは死ぬのだ』と、そんな風にしみじみ感じると言いますか」
クマ「確かにね。これがあんまり親しい人が亡くなった場合だと、その死に対して感情移入しすぎて、自分のことにまで思いが回らないけれど、ちょっと知っているというくらいの人が亡くなると、そんな気になるかもしれないね」
会社員「養老孟司という人は、確か、そういう死を『三人称の死』と言っていた気がしますね」
クマ「自分が死ぬのが一人称の死、親しい人が死ぬのが二人称の死、それ以外の人の死が三人称の死ということだね」
会社員「そうですね。その三人称の死がね、こたえる年になったようです。若い頃はそんなことはなかったわけですけどね。誰が死んだなんて聞いてもですよ、『人が死ぬのは当たり前だろ』なんて思って、気にも留めなかったわけです。しかし、この頃はどうもいけない。人が死ぬと聞くと、今度はわたしの番かもしれない、とこう思うようになったんです」
クマ「まあ、順繰りだからね。若い頃のきみが考えていたように、人が死ぬのは当たり前のことだから」
会社員「そうなんです、ええ、それなんですよ。その当たり前が、どうにも、いけないんですよ」
クマ「何がいけないのかな? 死ぬのが怖いということかい?」
会社員「死ぬのが怖いということではないと思うんです。いや、確かに死ぬのは怖い。なにせ死んだことがありませんし、死について聞こうと思っても、それを体験した人は生きていないわけですから聞きようがないですから。しかし、これは死自体に対する恐れとは、また別種の恐れなんです」
クマ「というと、どういうことだろうか?」
会社員「死ぬことが怖いというよりは、この人生において何ごとも成し遂げず死ぬのが怖いということではないかと思います。野村監督はいいですよ。いや、亡くなった方に対してこう言うのは、はばかりがあるかもしれませんが、彼は功成り名遂げて、80を超えるところまで生きたわけだから、十分に充実した人生を送ったといえるじゃないですか。それに比べてわたしは、これまでこの人生において人に誇れるようなこともなく、今後もそれを行える見込みもない。そうして、だらだらと生きていっていずれ死ぬ。そう考えると、なんともやりきれない気持ちになるんですよ」
クマ「なるほどね。ただまあ、それは仕方ないことじゃないかな。いや、きみがどうこうというわけじゃなくてね、そもそもが、『功成り名遂げる』というのは、構造的に言って、少数者にしか許されないことだからね。なぜなら、それが『功成り名遂げる』ということの意味だからだ。『功成り名遂げる』人がわらわらいたら、それは功成り名遂げていることにはならないからね」
会社員「それも分かっている気はするんですがね、こういうのは理屈じゃないんですね。まあ、しかしですよ、百歩譲ってそれを認めるとして、わたしは、この人生においてさしたる功績をあげられないとしたら、では、いったい何を目指して生きていけばいいんでしょうか」
クマ「何を目指して、か。そもそも、人は何かを目指して生きていかなければならないものなのかな?」
会社員「おっしゃりたいことは分かりますよ。人間は何かのために生まれてきたわけではなく、そうである以上、何かを目指す必要なんてそもそもない、とこういうわけでしょう? しかしですよ、これは誰が言ったことか忘れてしまいましたが、人生は何ごとかを成し遂げるにはあまりにも短いが、何もしないでいるにはあまりにも長い、じゃありませんか」
クマ「そのための目標、すなわち、生きがいということだね」
会社員「そうですね」
クマ「今の仕事は生きがいにはならないの?」
会社員「わたしのやっている仕事なんて、別にわたしじゃなくたって誰でもできるものですよ。そのうち、AIにだってできるようになるかもしれない。どうして、生きがいになんてなるもんですか」
クマ「それじゃあ、家族を養うなんていうのは? きみは、奥さんとか子どもは?」
会社員「ええ、いますよ。まあ、家族を養うのは、家族を持ったわたしの責任ですから、それはこなしたいとは思っていますが、しかし、生きがいとまではねえ……女房は好きで結婚した女だし、子どもは可愛いとは思いますが、だからといって、彼らのために生きることが、わたしの生きがいだとは、ここだけの話ですが、どうも思えないところがありますよ」
クマ「きみは、趣味は無いの? やりたいこととか」
会社員「それはまあ人並みにはありますけれど、薄給で、とても趣味にまで回せるお金が無いんです」
クマ「これはなんというか、八方ふさがりだね」
会社員「そうなんです。いや、わたしは自分が贅沢な悩みを持っているということもちゃんと分かってはいるんですよ。平和な国に暮らして、健康で、職もあって、家族も持っている。これだけで十分幸せだろうと、そう言われればその通りなんです。しかし、それでいいのかと。そんな風にして、仕事と家庭のために生きるだけで、本当にいいのだろうかと、三人称の死に接すると、そんな風に思ってしまうわけです」
アイチ「わたし、自分のお父さんがおじさんみたいな考えを持ってたら、ちょっとショックだなあ」
会社員「申し訳ないね。まあ、わたしみたいな考え方の人ばかりではないから、きみのお父様は違うかもしれない。……しかし、割と一般的な気もするが」
アイチ「自分が好きなことしたらいいんじゃない?」
会社員「そうできたらいいんだが、先立つものがなければなかなかね」
アイチ「わたしだって別にお小遣いをたくさんもらっているわけじゃないけど、でも、自分が好きなことをして暮らしているよ」
会社員「参考までに聞かせてもらえないかな。お金を使わずにできる楽しいことというのを」
アイチ「たとえば、こうして、人と話すこととか」
会社員「なるほど、確かに、気の置けない人と話すのは、楽しいことかもしれない。しかし、そういう人はこの年になるとなかなかいなくてね。仮にいたとしても、話すことと言えば、会社のグチか、社会への不満か、はたまた、家庭のグチか、まあ、そんなところだからね。とても楽しいとは思えないよ」
アイチ「音楽を聴くとか、本を読むとか。これだって、そんなにお金はかからないよ」
会社員「音楽も本も、さして興味を引かれるものがなくてね。聴いても読んでも、大して感動することがないから、聴くだけ読んだだけ損した気分になる」
アイチ「文章を書くとか」
会社員「確かに文章を書くことにはお金がかからないし、発表する媒体も充実しているらしいから、それが売れて逆にお金になることもあるかもしれない。しかし、わたしはどうも文章が苦手でね。まったく書く気になんかならないんだよ」
アイチ「おじさん、子どもの頃はどうしてたの?」
会社員「子どもの頃?」
アイチ「うん。だって、子どもの頃は何かをして遊んでいたはずでしょ。塾に通ってばっかってわけじゃなければ」
会社員「子どもの頃は、野原を駆け回っていたかなあ。確かに、あの頃は、毎日が楽しかった気がする」
アイチ「野原を駆け回るのにお金かかった?」
会社員「はは、まさか、そんなことはないさ」
アイチ「じゃあさ、その頃、楽しかったことを、もう一度試してみればいいんじゃないの?」
会社員「子どもの遊びをかい?」
アイチ「うん」
会社員「……そうだな、まあ、それもいいかもしれない。こうやって、あれもダメ、これもダメと言い続けていたってダメだってことは、分かっているんだ」
クマ「どうもきみは少し頭でっかちになっているんじゃないかな」
会社員「……そうかもしれませんね、確かに」
クマ「アイチの言うとおり、子どもの頃に戻って、そのときに好きだったことを一つ一つやってみるといいかもしれない。子どもは、ごちゃごちゃ考えないからね。もしかしたら、その中で好きなことが見つかるかもしれないし、あるいは、見つからなくても、その中で、新たに興味が引かれることがあるかもしれない」
会社員「ありますかね?」
クマ「あるかもしれないし、ないかもしれない。しかしね、一つだけ確実に言えるのは、楽しいことというのは自分から探さないといけないというこのことだ。誰も、きみの目の前に楽しいことなんていうのを用意してはくれないんだよ。なぜなら、誰もが自分のために生きていて、きみのために生きてくれる人はいないからだ、きみ以外にはね。きみが楽しいと思えることは、きみが見出すしかない。さしあたっては、『楽しいと思えることを探す』というこのことを生きがいにしてみたらどうかな」

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