少女とクマとの哲学的対話「『白熱教室』を読んで 2」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
哲学教授……「ハーバード白熱教室」のような哲学の授業を行いたいと思っている哲学教授。

哲学教授(以下「哲」)「次の問題に進んでもいいものでしょうか……」
クマ「どうぞ」
「しかし、今の問題が終わっていないというのに、次に行くのはどうも」
クマ「次の問題を考えているうちに、前の問題をより深く考えることができるようになるっていうこともあるさ」
「……分かりました。では、次の問題です。以下の問題は、実際にあった事件をもとにしています」

四人の乗組員(船長と航海士と船員と給仕の少年)が海難事故にあいました。船が沈没したあと四人は救命ボートで助けを待つことにします。しかし、手持ちの食料はわずかであり、じきに尽きてしまいました。そのうちに、四人のうちの一人である給仕の少年が気分を悪くして、死が近いように見えました。三人は相談の上、その少年の命を取り、その肉と血でもって生きながらえ、やがて救助されます。三人は訴えられました。あなたなら、この三人を道徳的に非難することができますか。

クマ「なるほど、どう思う、アイチ?」
アイチ「…………」
「法律論はわきにおいて、純粋に道徳的に非難できるかどうかということで、考えてもらえるかな」
アイチ「……うーん」
「これもやっぱりさっきと同じかい? そういう特殊状況に遭遇することなんてないから、考えても仕方がないっていう」
アイチ「それもあるんだけど……これって、道徳的に非難できるかどうかっていう話なんでしょ?」
「そうだよ」
アイチ「法律的にどうこうっていうのは関係無いの?」
「ああ」
アイチ「だとしたら、これってさ、仮に道徳的に非難できたとしてもさ、そんなことして意味あるのかなあ」
「どういうことだい?」
アイチ「だって、有罪とか無罪とかとは関係ないんだよね。ただ、道徳的に非難できるかどうかってことなんでしょ?」
「まあ、そうだね」
アイチ「だったら、道徳的に非難することができたとしても、それって意味ないと思う」
「どういうことかな?」
アイチ「その三人だって、人を殺すことが道徳的に悪いことは知っていたわけでしょ? そんなことを知らない人は普通いないよね」
「まあ、そうだろうね」
アイチ「それなのに、人を殺したってことは、道徳的非難を受ける覚悟を持ってそれをしたっていうことでしょ?」
「……それは、まあ、そうかもしれない」
アイチ「だとしたらさ、その人たちは、道徳的非難を受ける覚悟を持っているわけだから、そんな人に対して道徳的に非難をしても意味ないんじゃないの? 覚悟済みなわけだから」
「いや、そんなことはないだろう。道徳的非難をすることで、つまりは、彼らからすれば道徳的非難を受けることで、同じ状況に置かれたときに……ううむ……」
アイチ「でしょ? 遭難して絶体絶命の状況になるなんてこと、そうそうは無いよね。少なくとも、何度も遭遇することではないでしょ。これがさ、日常の中の話だったら意味あると思うよ。たとえば、日常の中でウソをついた人に対して、『ウソをつくなんて最低だよ』って非難することには意味があると思う。そうして、非難することによって、非難された人は、ウソをつくと嫌われるんだなって思って、ウソをつかなくなるようになるかもしれないからね。日常の中で道徳が働くのは、非道徳的なことをしていると生きにくくなるからっていうことであるわけで、絶体絶命の危機に陥った人は、生きにくくなるもなにもないじゃん。だって、それをしないとそれ以上生きられないわけだから。そんな人に対して、道徳的な非難なんて後からしたところで、全然意味ないと思う」
「…………」
クマ「道徳的非難が機能するのは、あくまで日常においてということだね。非日常においては、道徳的非難なんていうものをしたところで、意味は無い。これが道徳じゃなくて、法律なら別だと思うけどね。たとえば、『いついかなる時においても殺人は犯罪』だということになれば、この三人にしても、『どうせあとから殺人罪になって死刑(に類する重罰)を受けるんだったら、今こいつを殺して生き残ったってあとからひどいことになるわけだから、どちらにしてもそう変わらない。それなら潔くここで死のうじゃないか』とか考える余地が出てくるとは思うけれど、そうじゃなくて、たんに、『人を殺すことは悪いことだ!』なんて言ったって、彼らにとっては、痛くもかゆくもない話だよ。そんなことは十分に分かった上で、あえてやったわけだから」
「いや、しかし、そうとばかりは言えないような気もしますよ。自分の命と『人を殺してはいけない』という道徳的要求をはかりにかけたときに、道徳的要求の方を重視するということだって考えられるじゃありませんか。だとしたら、道徳的非難をすることにも意味があることになりませんか?」
クマ「何を言っているんだい。ボクらが今まさに問題にしているのは、自分の命と道徳的要求をはかりにかけたときに、道徳的要求を重視しなかった人たちのことじゃないか」
「ああ、それもそうだ……」
アイチ「わたし、もう一つ疑問があるんだけど」
「なんだい?」
アイチ「この三人に対して道徳的非難をする人たちっていうのは、そういう自分の命がかかっている場合でも、人を殺しちゃいけないって言っているわけでしょ?」
「そうなるね」
アイチ「人を殺しちゃいけないのは、人の命が尊いものだからだよね」
「当然だね」
アイチ「でも、そうすると、おかしくないかなあ」
「なにがかな?」
アイチ「だって、そうするとさ、その3人の命がかかっているときでも、1人の命を奪っちゃいけないってことは、3人の命がなくなってもいいってことだよね。そうすると、その人たちってさ、尊い人命を奪わないために、同じくらい尊い人命がなくなってもやむをえないって言っていることになると思うんだけど。その人たちは、1人を殺さないようにするために、3人の人に死ねって言っていることになるわけだけど、それって矛盾してないかな」
「それは……」
クマ「アイチの言うとおり、この三人に道徳的非難をするということは、命の危険が迫っていても他の命を奪ってはいけない、殺人はそのような究極的な状況でも絶対に悪なんだということになって、殺人を犯さないためには、その三人の命が犠牲になってもやむをえないということになるね。一人を殺さないために、三人に死ねと言っていることになる。これはどういうことになるんだろうか。命が大事だからこそ殺人は悪だと言っている彼らが、別の命を犠牲にすることはいとわないと言っているわけだ」
アイチ「殺人が悪だっていうことが、とにかく絶対的に正しいルールなんだってことだったら、そう主張してもいいとは思うけど」
クマ「そう。殺人が悪なのは、人の命が尊いからじゃなくて、とにかく、その行為自体が悪いからだという立場を取れば、道徳的非難も可能だけどね。でも、そうすると、この問題はいったい何を訊いている問題なんだろうかということになってしまうね」
「この問題は、トロッコ問題もそうだったのですが、多数のために少数を犠牲にしていいかというテーマを考えさせるためのものです」
クマ「なるほど、3人と1人だからね。じゃあ、問題を、1人と1人にしてみようか。今の例でもいいんだけれど、せっかくだから、有名な『カルネアデスの板』という話を出してみよう。それはね、こういう話なんだ」

紀元前2世紀のギリシアの海で一隻の船が難破してしまい,乗組員全員が海へと投げ出されました。乗組員の男の一人(A)が海でもがいていると、一枚の舟板が流れてきました。Aは溺れ死にしないように必死になってその舟板につかまりました。すると、同じように海でもがいていたもう一人の男(B)が同じ舟板にすがろうとしてきました。舟板は一人がつかまって生き延びるには十分な大きさですが,二人がつかまると沈んでしまいます。Aは、自分が生き延びるためにBを突き飛ばして溺死させてしまいました。Aについて、殺人の罪を問うことはできるでしょうか。

アイチ「罪を問うことができるかどうかは、どういう法律があるかによって、決まると思うけど」
クマ「そういうことになるね。たとえば、日本の刑法では、『緊急避難』という制度があって、これは、自分または他人の生命、身体、自由、財産などに対する危険を避けるために行われた行為は、違法であっても罰しないというものなんだ。たとえば、野良犬に追いかけられて、他人の家に逃げ込んでも、不法侵入で罰せられることはない、というようにね。緊急避難が成立するための詳しい条件は省くけど、カルネアデスの板にしても、白熱教室のその遭難の例にしても、緊急避難が成立する余地はあるんじゃないかな。もちろん、緊急避難が成立して彼らが無罪になったとしても、なお、道徳的に非難することは可能だよ。法律がどうであれ、そんなことはすべきじゃないんだ、ってね。不倫なんてその最たるもので、日本では、犯罪でも何でもないにもかかわらず、めちゃくちゃ非難されるからね。さっき、アイチが例に出した、ウソをつくっていうのもそうだな。ただウソをついただけじゃ、日本では、法律的には罰せられない。詐欺罪っていうのは、ウソをついて相手にお金の被害を与えないと成立しないからね。でも、ただウソをついたことに対して、道徳的に非難することはできる。道徳と法律は別のルールだからね。でも、かぶっているところも多い。一体、この二つの位置関係はどうなっているんだろうか、ボクには、そういうところの方が興味深いんだけれど、これは、白熱教室のテーマからは外れるんだろうね」

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