幸福追求という病

誰も彼もが幸福を求める世の中である。引き寄せ、努力、心理学、断捨離、哲学、あらゆる手段を使って、幸福になろうとしている。

それを見るにつけて、わたしなんかは、病気なんじゃなかろうか、と思う。幸福追求病。

「幸福を追求して悪いんですか!?」

いや、もちろん、悪いことはないけれど、あまりにそれを求めすぎるのはいかがなものか。毎日の食事だってそんなにかけずり回って求めるものではないでしょう。ある程度のものが食べられれば、それでいいじゃないの。

「わたしには幸福になる権利があるんです!」

確かに、我が国の憲法にもちゃんと保障されている。しかし、その「幸福」とは、いったいどういうものか。お金、友人関係、恋人、名誉、健康、やりたい仕事、まあ、そんなところでしょう。

ところで、もしもそれらがあったとして、それらがなくなるんじゃないかと不安だったら、とても幸福とは言えませんよね。しかし、存在するものというのは必ず、無くなってしまう可能性があるんです。たとえば、友人がいて幸せだとする。しかし、その友人は、死んだり別れたりして、無くなってしまう可能性がある。そうすると、当然に、友人がいても、いつかいなくなってしまうだろう、と不安が起こることでしょう。幸福にはなれない。

「いや、わたしが求めているのは、そういう外的なものに惑わされない心の平穏なんです。それがわたしの幸福なんです」

そんなこと言って、座禅を組めばいいと思っている人、そういうわけにはいかないんですよ。仮に心の平穏が手に入ったとして、いいですか、存在するものはいつか必ずなくなるんです。あなたの心の平穏もずっと続くことはない、いずれなくなります。諸行無常。

さあ、不安になってきたでしょ?
でも、それが普通なんです。何が手に入っても手に入らなくても不安であることに気がつくこと。この気づきによってこそ、人は迷わずに、幸せに生きられると思うのですが、いかがでしょうか。

#エッセイ

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