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第5回 フラクタル・ファミリーズ 家族と記憶の倫理学|君たちの記念碑はどこにある?――カリブ海の〈記憶の詩学〉|中村達

【連載の概要】
西洋列強による植民地支配の結果、カリブ海の島々は英語圏、フランス語圏、スペイン語圏、オランダ語圏と複数の言語圏に分かれてしまった。そして植民地支配は、被支配者の人間存在を支える「時間」をも破壊した。すなわち、カリブ海の原住民を絶滅に追い込み、アフリカから人々を奴隷として拉致し、アジアからは人々を年季奉公労働者として引きずり出し、彼らの祖先の地から切り離すことで過去との繋がりを絶ち、歴史という存在の拠り所を破壊したのだ。西洋史観にもとづくならば、歴史とは達成と創造をめぐって一方通行的に築き上げられていくものだから、過去との繋がりを絶たれたカリブ海においては何も創造されることはなかったし、大文字の歴史からも零れ落ちた地域としてしか表象されえない。だからこそカリブ海作家たちは、西洋中心主義的な歴史観に抵抗する。〈記念碑や偉大な建築物、世界を形作る出来事といった「目に見える」歴史でなくとも、ここには歴史がある〉——本連載では、記憶をめぐる彼らの詩学的挑戦を巡ってゆく。


記録に残らない、人々の内面へ

 ジャマイカ人社会学者で小説家のアーナ・ブロドバーは、1982年に「歴史かフィクションか——多元社会における学者のジレンマ」と題された論考を発表した。この論考は当時西インド諸島大学モナキャンパスに設置されていた「社会経済研究所」(ISER: The Institute of Social and Economic Research)に提出されたものであり、現在は冊子となり図書館に収められている[*1]。一般に販売されたものではないため冊子の入手はほぼ不可能だが、1983年に『ジャマイカ・ジャーナル』に全体的に文章が修正された形で再録されている(前半部を占める多元社会論にかんする文章が省かれ、題名も「口述資料とカリブ海の社会史の創造」に変更されている)。この論考において、ブロドバーはエドワード・ボウに倣いつつ、カリブ海作家たちがいかに「歴史との諍い」に身を投じているかを論じている。「『歴史との諍い』の先陣を切り、カリブ海の社会史の基礎を固めたように、過去の出来事とそれに対する自分たちの祖先たちの反応を世間に知らしめる最前線に、創造的な作家たちはいたのである[*2]」。オーランド・パターソンやカマウ・ブラスウェイト、そしてV・S・リードといったカリブ海作家たちの作品を巡りながら、ブロドバーはカリブ海にとってフィクションが西洋によって築き上げられた大文字の歴史を捉え直すための媒介となっていることを論じてみせている。

 この論考におけるブロドバーの慧眼は、カリブ海作家の「歴史との諍い」の中にある、アーカイブや歴史的資料からは知ることができない、人々の内面を描写する創造的/想像的試みを照らし出したことである。上に挙げた3人の作家たちも、パターソンは社会学者、ブラスウェイトは歴史学者、リードはジャーナリストという顔を持っており、それぞれが歴史に関係した専門的知見を備えている。そのため彼らが「確かな資料の見つけ方、使い方」を熟知し、「歴史的証拠の重要性」を認識していることに疑いの余地はない[*3]。しかしながら、ブロドバー曰く、「明らかに彼らは皆、自分たちの祖先が示していた反応を描写するには、記録文書は不十分であることに気づいていたのである[*4]」。カリブ海の人々にとって、歴史として記録された出来事は、自分たちの祖先の存在の輪郭こそ描けども、西洋の目を通してそれが語られる以上、彼らがそれに対してどのような反応を示していたかまでは教えてはくれない。その側面を描くべく、カリブ海作家たちは「歴史的事実を超え、登場人物を創作する[*5]」。歴史において実際に起きた出来事を記録する文書だけでは計り知ることのできない祖先たちの内面を描くために、彼らは「感情を歴史に押し付け、その結果として登場人物や状況を創作」し、「史実と認証された出来事に心理的な側面をもたらし、文学作品を洞察に満ちたものにする」のである[*6]。

 ブロドバーは、カリブ海作家たちがそのように人々の内面へ寄せる関心を理解するためのヒントを、ガイアナ人歴史学者エルサ・ゴヴェイアから得ている。女性として初めて西インド諸島ユニバーシティ・カレッジ(西インド諸島大学の前身)の教授となったこの秀抜な歴史学者は、『19世紀末までの英領西インド諸島史にかんする一考察』においてこのように述べている。「歴史において、時間は連続体を供給するが、変化の原理は供給しない。その原理を発見するためには、[……]出来事を叙述していくのみではなく、社会全体の思考、習慣、制度についてより広い理解を探求していくことがいまだ必要である。社会そのものに、そしてその目的と適応過程において、その歴史の真の起源が見出されるだろう[*7]」。歴史への実証主義的なアプローチは、過去から未来へと流れる時間の連続体の中で出来事のひとつひとつを確認し、その事実性を認証してゆく。しかしそのように遺跡や遺物など「目に見える」ものによって構成される歴史には、口承や身振りなどを通して共同体内で受け継がれてきたカリブ海の人々の文化的記憶が含まれていない。カリブ海の「歴史の真の起源」を探求するのであれば、史実とされる出来事の叙述を辿るだけでなく、書物に記録されることのないような「社会全体の思考、習慣、制度」、すなわち人々がどのように考え、感じ、生きていたかに目を向けなければならないのである。これこそが、ブロドバーの考える「歴史との諍い」の実践である。

 ブロドバーも、パターソンやブラスウェイトそしてリードたちと同様に、「歴史との諍い」を買って出たカリブ海作家のひとりである(そして女性作家であるという点も重要だ)。彼女は西インド諸島ユニバーシティ・カレッジを卒業し、フォード財団の奨学金を得てワシントン大学で学び、帰国後西インド諸島大学で博士号を取得した。中流階級出身のアカデミシャンであるのは確かだが、彼女はジャマイカの地方コミュニティに寄り添い、長期にわたるフィールドワークを行ってはそこに暮らす人々から伝承や民話などについての聞き取り調査を行ってきた。そのような社会学的調査の成果が反映された彼女の作品は、大文字の歴史の中に固着された史実だけでなく、その出来事に対してどのよう祖先たちが感じ、考え、反応していたかを想像性を通して見せてくれる。その創造的な物語は、奴隷制と植民地主義の時代を生きた祖先の記憶を現在へと繋ぎ、彼らの経験を次世代に伝えるのである。

記憶の倫理学

 カリブ海研究におけるトップジャーナル『スモール・アックス』の編集長を務めるデイヴィッド・スコットは、その26巻の2号を「アーナ・ブロドバーによる黒人の記憶の社会倫理学」という自身の論考で始めている。この論考におけるスコットの目的は、ブロドバーの「口述資料とカリブ海の社会史の創造」を読み通しながら、彼女の作品の核にある「記憶の倫理学」を捉えることである。「ブロドバーの歴史学的想像力の中心には、方法論だけでなく記憶の倫理学もあり、彼女の作品において前者を動機づけ、活気づけるのは後者であると私は考えている[*8]」。スコットいわく、ブロドバーの創作は、「記憶するという義務の感覚、私たちが共有する自己の共同体の過去との具体的な対話を活性化させ、持続させる責務によって動かされているのである[*9]」。彼女の作品に見られる想像力に富んだ過去の記憶の描写は、過去の記憶を現在へと引き継ぐ義務から生じるものなのだ。

 この「記憶の倫理学」の定義を、スコットはイスラエル人哲学者アヴィシャイ・マルガリートによる『記憶の倫理学』から引き出す。マルガリートは、記憶と倫理という問題が決してわかりきったものではなく、常に問われてゆくべきものであると主張し、このように問う。「私の問いは、記憶の倫理学なるものは存在するか、というものであり、それはミクロ倫理(個々人の倫理)とマクロ倫理(集団の倫理)の両方にかんする。私たちには過去の人々や出来事を記憶する義務があるのだろうか? もしそうだとしたら、その義務の本質は何なのか? 記憶することと忘れることは、道徳的な賞賛や非難の対象として適切なのだろうか? 記憶する義務のある『私たち』とは誰なのか? それは集合的な『私たち』なのか、それとも集団のひとりひとりに記憶する義務を負わせる『私たち』という分配的な意味なのか?[*10]」そしてマルガリートは、人類学者クリフォード・ギアツの「厚い記述」と「薄い記述」を思わせる「厚い関係」と「薄い関係」という構図を披露する。スコットの解説によれば、「厚い関係は、親、友人、恋人、同郷人など、具体的でほとんど目に見える属性に基づくものであり、そこに共有された過去や共有された記憶がありうるのは理にかなっている[*11]」。対照的に、「薄い関係は、人類であるというような、より抽象的な属性に根拠を置いている[*12]」。また薄い関係が「尊敬や屈辱といったトピックに関係する」一方で、厚い関係は「帰属や裏切り、侵害や共通の大義により重点を置く[*13]」。この構図に基づき、マルガリートは、「薄い関係」である「全人類」は記憶の共同体にはなりえないと主張する。記憶の共同体とは、「より身近で、より親密な、ある種の感情によって育まれるものなのだ[*14]」。この観点からブロドバーの作品を眺めれば、抽象的な「薄い関係」ではなく、「親、友人、恋人、同郷人」といった「厚い関係」によって織りなされるカリブ海の「記憶の共同体」、つまりは「共通の感覚に支えられた厚い種類の関係」にまつわる記憶が表現されている様が見えてくる[*15]。

 「記憶の倫理学」とは、「薄い関係」である人類の史実を記載した書物に依存するのではなく、「厚い関係」の中で人々と交わりその文化的記憶を引き継ぐという責務の感覚であり、スコットはそれこそがブロドバーにカリブ海の記憶の共同体に入り込むことを可能にさせていると述べる。そして彼は、ブロドバーが論考に掲載した3人の男性が映った写真に注目する。

ブロドバーが[その写真に]付記したであろうキャプションは、この3人の男性のような「底辺層の情動や感情、思考」は書物に記録されていない、と読める。しかし彼らの歴史は、その孫たちの記憶の中に生き続けている。その孫たちを通して、口述歴史家は「祖先の心に入り込む」のだ。ここに、一言でいえば、ブロドバーの道徳的挑戦がある。ブロドバーが示しているのは、カリブ海の思想家たちが、書物上の知識に依存した学問という考えによって育てられてきたということだ。この学問という考えは、しかしながら、私たちの過去に対する理解をゆがめてしまい、奴隷制と年季奉公制から生まれた底辺層の息子たちと娘たちの思考と感情と存在の様式への洞察を不可能にしてしまうのである。

[*16]

書物から学ばれる歴史は、ひとつひとつその事実性を確かめられた史実で成り立つ。しかしそのような歴史への学問的アプローチは、カリブ海の人々の過去への認識を「非歴史性」という概念でゆがめてしまう。カリブ海の祖先の歴史は決して闇の中へ捨て去られたのではなく、その子孫の記憶の中に「生き続けている」。ブロドバーのような「口述歴史家」は、彼らのコミュニティの中で共に暮らし、彼らの記憶語りを聞き、その記憶を引き継ぐ責任を担うことで、「祖先の心に入り込む」。それにより、彼らの「思考と感情と存在の様式」、つまり人々の内面を理解し描写することができるのである。スコットが言うように、ブロドバーの作品では、過去の記憶へどのようにアクセスするかという問題だけではなく、この義務の感覚も重要なのである。「私はこれまで、ブロドバーの著作において重要なのは、過去へのアクセスに関する認識論的な主張だけではないと述べてきた。言うまでもなく、それはあるのだ。しかしそれ以上に、そこには私たちの過去を形成し、現在も私たちと共にある生の声から学ぶ義務——学ぶ方法を学ぶ義務——もあるのだ[*17]」。

 ブロドバーの記憶の倫理学は、「記憶の共同体、つまり実際には過去にはなっていない過去の文化的記憶を体現した世代を通して考えることの特別な価値を教えてくれている[*18]」。「厚い関係」によって構成される「記憶の共同体」において、歴史書に名が刻まれることのなかったカリブ海の祖先の「情動や感情、思考」といった内面は、世代を越えてその子孫の記憶の中に生き続けている。この「記憶の共同体」として特にブロドバーが描くのが、家族である。

家族の記憶

 書物に記録されることのないような人々の「情動や感情、思考」はその孫たちの記憶の中に生き続ける、というブロドバーの記憶の倫理は、フランスの社会学者モーリス・アルヴァックスが提唱した概念「集合的記憶」を想起させる。アルヴァックスは社会学の祖であるエミール・デュルケームから影響を受けており、その「集合的意識」の議論(集合意識論)を引き継ぎながらも同時に距離を取りつつ、集合的記憶論を提出している[*19]。単一の集合的意識が社会にはあり、その社会を構成する全員がそれを規範的な原動力として共有していると考えたデュルケームとは異なり、アルヴァックスはひとつひとつの具体的な社会集団のレベルに集合的記憶が存在すると主張する。アルヴァックスいわく、「[……]通常、人が思い出を獲得し、それを想起するのは、またしばしば用いられる言い方に従えば、それを再認し(reconnaître)、位置づける(localiser)のは、社会のなかでなのである[*20]」。人間が記憶するものは、その者が所属する職業、宗教、階級といった社会集団によって規定されているということだ。この社会集団レベルでの記憶規定を、アルヴァックスは「社会的枠組み」と呼ぶ[*21]。社会は無生物である以上記憶を持つものではない。記憶を持つ生物は人間個人である。しかし、この記憶は社会的・集合的に形成されているのだ。「要するに、社会のなかで生きている人々がみずからの思い出を固定し、再発見するために用いている枠組みの外では、記憶は成立しえないのである[*22]」。

 人間が過去を想起するために依拠する枠組みのひとつとしてアルヴァックスが定義するのが、家族である。「ときとして、家族の出身地や出身国、あるいはその一成員の個別的な人物像が、共有された資質の多少なりとも神秘化された象徴になり、そこから人々は自分たちの特徴的な性格を引き出してくる。いずれにせよ、過去から取り出されたこの種のさまざまな要素によって、家族の記憶は枠組みを構成し、これをそのままの形で保とうと努め、それはいわば家族の伝統の骨格になるのである[*23]」。社会学理論を専門とする片桐雅隆による集合的記憶の解説を用いれば、「家族は、集合的記憶という視点から見れば、誕生や死、個々の出来事への共通の体験をもち、そのことによって共通の記憶をもつ集団である。家族のメンバーの誕生や死、あるいは個々の出来事は、メンバーによって共通の記憶として語られ、共通のイメージや精神(mentality)が獲得される[*24]」。あらゆる社会に存在する家族という集団は、それぞれが成員の誕生や死といった共通の経験を持ち、それを記憶として語り継ぎ共有している。ひとつひとつの家族が記憶の枠組みとして固有の精神を保ち、伝統の骨格を有しているのである。「家族における集合的記憶を考えてみても、他の家族のメンバーにとって重要でない過去の出来事も、当該の家族メンバーにとっては大きな意義のある明瞭に想起されるべき出来事であるかもしれない。そして、そのことを記憶していないと、極端な場合には、家族のメンバーの資格のないものとして排除される事態もありうるだろう[*25]」。

 しかし、アルヴァックスの集合的記憶をめぐる社会的枠組みとしての家族論は、西洋の外の社会、それも奴隷制と年季奉公制を経験した社会に、どれほど応用可能だろうか。アルヴァックスは、ローマ時代の社会と「今日の社会」を比較し、家族をひとつの集団たらしめる「感情」に言及する。「さまざまなタイプの家族組織を比較してみたときには特に、私たちの感情のなかでも最も単純で最も普遍的だと思われそうなもののなかに、実に多くの社会的に獲得され付け加えられたものがあることに驚かされる。[……]家族が夫婦を中心とする集団へと次第に縮小している今日の社会では、配偶者同士を結び付ける感情は、彼らをその子どもたちへと結び付ける感情とともに、ほぼそれだけで家族の情緒的雰囲気を作り上げているのだが、そうした感情はその力のある部分を、およそその感情だけが集団の精神をまとめあげる唯一の絆になっているという事実から引き出しているのではないだろうか[*26]」。このように、アルヴァックスは感情という家族の絆を普遍的なものとして論じているのだが、日本生まれでカナダの社会を研究対象としていた文化研究者ナオミ・エンジェルは、彼の理論の普遍性に疑問を呈する。『真実の断片』において、彼女はこのように述べている。「モーリス・アルヴァックスは、記憶が家族、宗教、言語など多くの社会的枠組みを通して媒介されると書いている。しかし、アルヴァックスの著作における家族の構成は特定のものである。アルヴァックスは主に核家族、そして父、母、息子、娘という性別による役割に焦点を当てている。アルヴァックスは、家族と法的権威の間の役割を論じ、家族の絆と、たとえそれが壊れても、その絆の痕跡というものを強調する。しかし、アルヴァックスによる親族の理論は普遍的なものではない。というのも、家族の構成は様々な手段によって生み出されるからだ[*27]」。エンジェルに従えば、アルヴァックスの集合的記憶論を西洋以外の社会に応用するのならば、彼の家族が示すものが主に核家族であり、父や母、息子や娘といった性別による特定の役割に焦点を当てているということに注意を払わなければならない[*28]。

 また興味深いことに『社会階級の心理学』では、アルヴァックスは「われわれ」と「未開人」の対立構図を展開し、その文明の有無をイギリス人小説家ラドヤード・キプリングに言及しながら説明している。「二〇世紀の農民や労働者やブルジョアジーの子どもと、未開人といわれている部族の子どもとのあいだには、一体どのようなちがいがあるのであろうか。たしかに、未開人は、人生の出発点においてはわれわれとたいしてちがいがなく、したがってあまり進化していない。両者とも、社会環境の影響が子どものうえに及ばない時期では、キプリングの『小さい子』と同じ動機にしたがう同じ存在である。もしも、子どもが習慣を形成しはじめ、なかんずくことばを覚えはじめる時期に、社会環境の力が働かないならば、われわれは原始人と少しも選ぶところがないし、またわれわれの行為は原始人とちがった動機をもたなくなる[*29]」。アルヴァックスの集合的記憶論が社会的枠組みを論じるとき、その枠組みは簡単に世界各地のあらゆる社会に当てはまるわけではないだろう。その枠組みにおける「われわれ」は常に文明の側に立ち、西洋の外側にある「未開」の荒野に存在する人々を他者という踏み台にしている。そのような「われわれ」を想定した枠組みとして社会を捉えても、それは普遍的なものではなく、むしろアルヴァックスが当時眺めていた、「文明」を備え「核家族」を基本とした家族が住む西洋社会をモデルとした特定のものかもしれない。

 「核家族」を主に焦点とするアルヴァックスの集合的記憶論に依拠してカリブ海の家族の記憶を巡ったとして、果たして「記憶するという義務の感覚、私たちが共有する自己の共同体の過去との具体的な対話を活性化させ、持続させる責務」を果たすことができるだろうか。ブロドバーの記憶の倫理学に従い、カリブ海の「家族の記憶」をたどるには、カリブ海の家族のあり方に責任をもってかかわっていかねばならない。

「社会問題」として作り上げられる家族のあり方

 西洋によって展開された奴隷制がカリブ海の社会形成に与えた影響は甚大だった。名著『世界の奴隷制の歴史』において、奴隷とされた人々が「社会的死」を経験した結果、「系図の上で[……]まったくのひとり」となってしまい、先祖との繋がりが絶たれたと主張したパターソンは、『奴隷制の社会学——ジャマイカにおける黒人奴隷社会の起源、発展、そして構造に関する考察』ではジャマイカに焦点を当てている[*30]。

ジャマイカは、尋常ではないほどにゆがんだ人間社会へと発展し、奴隷制度が続く間そのままの姿であり続けた。ジャマイカをこれほどまでに倒錯させたのは、その制度の物理的な残酷さだけではなかった。というのも、この点でその社会はほとんど変わったものではなかったからだ。それを際出せているのは、普通の人間が生きていくための基本的な前提条件のほぼすべてが驚くほど無視され、歪曲されていたことだ。その社会は、聖職者が「最も完成された放蕩者」であった社会だ。そこでは、結婚という制度は、主人の間でも奴隷の間でも公に非難されていた。そこでは、住民の大多数にとって家族とは考えの及ばないものであり、乱婚が普通だった。そこでは、教育は時間の絶対的な浪費とみなされ、教師は疫病のように敬遠された。そこでは、法制度が正義と呼べるようなものを意図的に茶番化したものだった。そしてそこでは、あらゆる教養、芸術、民俗が存在しないか、完全に崩壊していたのだった。

[*31]

パターソンいわく、西洋による支配の結果、ジャマイカの奴隷社会には「集合的に保存されている価値体系も、宗教も、法律を補強する教育制度も」なく、奴隷とされた人々の生活にかんしては、「家族、結婚、宗教、組織化された道徳など、すべての主要な制度が完全に崩壊していた」のだった[*32]。

 1938年から1939年にかけて作成された西インド王立委員会による報告書において、ジャマイカの労働者階級における結婚率の低さと乱婚の目に余るほどの増加について懸念が提起された。この報告によって、特に英語圏のカリブ海諸国における家族構造に対する人類学的関心が高まった。ジャマイカ人人類学者のマイケル・G・スミスはこのように説明している。

西インド諸島の人々〔クレオール人〕の交配と「下層階級」の家族生活の特徴的なパターンが提示する数多くの現実的あるいは社会的問題は、この地域の社会的・経済的状況を調査し、適切な行動計画を勧告するために英国議会によって任命された王立委員会が1938年に報告を行って以来、絶えず注目を集めてきた。その報告は、家族生活の明らかな「無秩序化」と、それまでは黒人農民の結婚に相当するもの、そして家族生活の基盤として受け入れられてきた「コモンロー」、つまり合意の上での同棲、法的に結婚していない男女の忠実な内縁関係に対して、「乱婚」が明らかに増加していると細々述べている。

[*33]

アメリカ人人類学者メルヴィル・ハースコヴィッツやアフリカ系アメリカ人E・フランクリン・フレイジャーといった人類学者たちが続々と欧米からカリブ海諸国を訪れ、カリブ海における家族構造を研究しては成果を報告していった。しかし、クリスティーン・バロウが名著『カリブ海における家族』で述べているように、「カリブ海の家族を社会病理学的にとらえた調査者たちの目的は、理論的な説明をすることではなく、社会問題としてのカリブ海の家族構造を調査することであった[*34]」。

 欧米から来た人類学者たちは、「両親が結婚していない」、「女性が世帯主である」、「核家族ではない」というカリブ海の家族構造の特徴を、「崩壊している」、「分裂している」、「不安定である」、そして「緩い」といったような言葉で説明し、西洋社会における「正常」な核家族とは違う「異常」な構造を持つ家族という「社会問題」としての理論化を試みた。彼らが「問題」として注目した家族構造は、主に「母親中心性」(matrifocality)である。「母親中心性」は、イギリス人人類学者レイモンド・T・スミスが1966年にガイアナの労働階級の家族を調査した際に用いた造語である。『母親中心家族』において、スミスは「母親中心性」を「男性世帯主世帯と女性世帯主世帯の内部関係の特性」とし、そこでは「母親としての役割を担う女性[……]が、そのような世帯主ではなく、人間関係の中心となる」と述べている[*35]。バロウが述べるように、欧米由来の人類学は、「多かれ少なかれ、理想的な核家族・世帯の病的な、あるいは逸脱した変種として母親中心性をとらえることで、当時の学者たちの自民族中心主義エスノセントリズムを反映していた。[……]そうして母親中心性は、核家族の規範から逸脱した、下層階級の黒人の家族や世帯構造の特徴的形態であると解釈されたのだった[*36]」。レイモンド・スミスのような西洋の人類学者たちは、自民族中心主義を滲ませながら核家族を正常・理想とする価値観を全面的に押し出し、カリブ海における非核家族的な母親中心的家族構造を異常であると論じることで、「社会問題」としてカリブ海の家族のあり方を定義したのである。

フラクタル・カリビアン

 カリブ海作家たちは、この人類学的アプローチを特徴づけていた有害な西洋中心的・男性中心的偏見に反発し、カリブ海の家族のあり方に、より想像的/創造的なアプローチを試みている。プエルトリコ人作家マイラ・サントス=フェブレスは、1990年代から詩や短編小説を活発に書き始め、2000年にドラァグクイーンとして生きるプエルトリコ人を主人公にした『シレナ・セレナ』で小説家デビューを果たした。彼女の作品はカリブ海の風景やそこに住まう人々の生活を詩的な言語で豊かに描写する一方、ジェンダーや人種社会的な不平等を扱う。彼女は2019年にメリーランド大学で「フラクタル・カリビアン」という講演を行い、彼女自身の経験も踏まえ、カリブ海の家族のあり方を「フラクタル」と表現した。フラクタルは、フランス人数学者ブノワ・マンデルブロがラテン語のfractus(分解してバラバラになった状態)を用いて作った言葉であり、自己相似性を持つ現象を示す。マンデルブロは1967年に「英国沿岸の長さはどれだけあるのか?」という論文で、自然界には固有の大きさを持たないものが存在することを、海岸線を用いて説明した。井庭崇と福原義久の概説書によればこういうことだ。「大雑把にみると海岸はいくつかのギザギザした部分がある。海岸のある部分を拡大してみると、今度はもう少し細かい地形が見えてきて、今まで見過ごしていたようなギザギザが見えてくる。/拡大を繰り返していくと、岩場のゴツゴツや小石や砂粒のザラザラまで見えてくるだろう。つまり、海岸線はどの大きさでみても絶えずギザギザしているのである[*37]」。マンデルブロは、このようにどのスケールで見ても同じ構造になっている性質を持つものを「フラクタル」と呼ぶことを提案した。海岸線のように自然界に見られるフラクタル構造は、完全な同一の繰り返しではなく、波や風のような環境や条件によって微妙な差異を持つ。この差異が、自然界のフラクタルの多様性を生み出している。「カリビアン・フラクタル」において、サントス=フェブレスも海岸線をフラクタルの例として用いつつ、カリブ海という世界を「フラクタル」と表現する。そこで不規則に繰り返されるパターンは、同一の繰り返しに見えながらも、常に差異を孕んでいるのだ。

 サントス=フェブレスはプエルトリコの北東海岸に位置する市カロリーナで、歴史教員の父とスペイン語教員の母の間に生まれた。彼女の兄は学習障害に悩まされ、非行から刑務所に入り、薬の過剰摂取で亡くなった。そして彼女の家族は「崩壊した」(dismantled)[*38]。しかしサントス=フェブレスは、「私の家族が崩壊したとき、私が育ったバリオ(barrio:近隣の人々)にはもう1組の人間関係がありました」と述べる[*39]。そして、自分の特別な、個人的な状況を理解しようとしているうちに、「カリブ海の家族は常に別のものを意味していることに気づいたのです。それは母、父、兄、そして私だけではない。家族とは、祖母、叔母、叔父、いとこ、甥、名付け親、[……]近所の友人たちのことでした。彼らは白人、黒人、混血だったし、ある者はプエルトリコ人、ある者はドミニカ人、キューバ人、ニューヨリカン[ニューヨーク近郊に住むプエルトリコ人]、あるいはさまざまな国の出身だった。[……]恐らくそれは、そのような密接な関係、血統を遥かに超えた絆のおかげで、島々が生き、繁栄し、生き延びているからなのでしょう[*40]」。

核家族や直線的な家系図を「普遍的」で「正常」な「理想」像と疑わず、それを世界中の社会に適用可能な絶対的真理や価値を持つモデルとした西洋中心的な視点は、サントス=フェブレスが語るカリブ海の家族の形を見落とすことになるだろう。というのも、カリブ海の家族のあり方は、「血統を遥かに超えた絆」によって支えられているからだ。

 この絆に基づいて、サントス=フェブレスはふたつの「家」の定義を持ち出す。ひとつは、「家父長的な、白人的な、単・核家族あるいはクレオール家族」である[*41]。そしてもうひとつは、「血統を遥かに超えた複雑な関係のシステムである共同体」である[*42]。サントス=フェブレスは、遺伝子情報を載せた祖先の血は、今を生きる人間の血管を流れていると述べる。しかしその同一の遺伝子情報の繰り返しの一方で、血の繋がりのない多くの先祖たちが、「血統を遥かに超えた複雑な関係」の生地を、その人間の下に織り成している。

私は先祖に敬意を表します。彼らは命を変え、私の命を可能にしているのです。彼らの血は、私の血管を流れています。私は彼らの肩の上に立っています。DNA。あなたの祖先はあなたの中にいます。彼らは今、ここにいるのです。彼らは死んでいない。ただ、変わっただけなのです。彼らは情報であり、ここにいる。彼らはあなたの鼻、肌の色、髪の質感に宿っています。彼らはここにいる。それは少なくとも科学者たちが述べていることです。そしてまた、私の下に埋もれている多くの死が、そして多くの身体が私の先祖だからこそ、私は彼らの肩の上に立っているのです。

[*43]

そしてベニーテス=ロホの「繰り返す島」やグリッサンによる「〈関係〉」の議論を参照しながら、サントス=フェブレスはこう述べる。「家族には生物学的な意味があり、ある人種の人々にとっては、時間を直線的にたどることができます。しかし、島における家族とは、関係のシステムなのです[*44]」。生物学的で血筋を直線的に遡ることができる家族というあり方がある一方で、カリブ海における「血統を遥かに超えた絆」によって支えられた「関係のシステム」としての家族は、複雑な海岸線のように同一の繰り返しのように見えながらも差異を持つ、一種の「フラクタル」な共同体をも意味するのだ[*45]。

 このカリブ海思想における重要概念のひとつである「フラクタル」を、ブロドバーは自身の作品で応用し、カリブ海の家系図を描き出す。それは、核家族や家父長的家族構成、直線的な家系図を肯定する西洋的価値観に抗う、カリブ海の複雑な「フラクタル・ファミリーズ」という家族のあり方の象徴なのである。

アーナ・ブロドバー、『ナッシングのマット』

 ブロドバーによる小説『ナッシングのマット』(Nothing’s Mat)は、あるマット——文字通り敷物のマット——に象徴されるカリブ海の家族の歴史を辿る物語である。本作品は3部構成であり、第1部では、イギリスで生まれた主人公のプリンセスが、父方のルーツであるジャマイカを訪れる。そこで彼女は「ナッシング」という名の叔母に会い、自身の直線的に追えるものではない家族の複雑さを知る。第2部では、第1部で登場した家族のひとりひとりが語る章が与えられ、1865年に発生した「モラント・ベイの叛乱」を起点に、それぞれがどのような人生を送った結果、家族が構成されていったかが語られる。第3部では、ナッシングの土地と家を遺産として引き受けたプリンセスのもとに、父方の縁戚であるアメリカ生まれのジョイという人物が訪れ、そこで2人の子どもを出産する。その子どもたちに、プリンセスは家族を見るのであった。この物語を通して、プリンセスとナッシングがともに作り上げたマットが登場する。このマットは、ブロドバーいわく実姉で作家のヴェルマ・ポラードの家にあったものである[*46]。渦巻き状に編まれた円形がさらなる円形へとつながってゆくことで形作られるこの「ナッシングのマット」が、プリンセスの家族のあり方を象徴しているのだ。ブロドバーはこの小説を執筆中、「フラクタルという概念が、[……]、私の頭から離れることはなかった」と述べている[*47]。円環を繰り返すマットを通してプリンセスが辿るカリブ海の家族の記憶は、まさしくフラクタルの模様をしているのである。

 プリンセスはイギリスの中等教育最終段階である6年生に在学中であり、課程を修了するために試験を受ける代わりに、カリブ海由来である自身の家系をトピックとした論文を書くことを選ぶ。まず父のハーバートから聞き取りを行い、その家族構成を「線や矢印を引きながら」復元しようと試みる[*48]。しかしその手法ではうまく図に収まらない人物が出てきて、しばしば行き詰ってしまう。そこに母のグレイスが、からかい半分に介入する。「あなた[ハーバート]はまずあなたの家族が『非慣習的家族オルタナティヴ・ファミリー』だって認めないと駄目ね。どの型にも当てはまらないでしょ。あなたの母親の妹なのにあなたの母親の妹じゃないコナットはどこに置くっていうのよ[*49]」。このハーバートの母親パールの妹であるが妹ではないというコナット、すなわちナッシングという叔母に会い、そしてファミリー・ヒストリーを描くべく、プリンセスは父の故郷であるジャマイカへと渡る。

 ナッシングの生みの親はクラリーズという女性である。幼く性にかんする知識を持たない彼女は、ネヴィルという少年と互いに性器を接触させる遊びをしていたところを、隣に住んでいたユースタスという中年男性に発見される。そこで何をされているかもわからないまま犯され、身籠ることになる。しかし妊娠するということがどういうことであるかも知らないクラリーズは、お腹に子どもがいる自覚のないまま体調不良の日々を送り、遂にトイレで何かを産み落とし、叫び声をあげる。それを聞いた姉のモードが「どうかしたの?」と声をかけると、クラリーズは「何でもないナッシング」と返答する[*50]。その小さいものを確認したモードは、「んでその2本脚があって10本足の指があって10本手の指があって頭があるものが『何でもないナッシング』なのかい。それがあんたの子の名前?」と述べる[*51]。この話を聞いた地元の牧師がユースタスを問いただすと、自分がクラリーズを犯したと認める。しかし彼がその行為に至ったのは一度きりであり、その子どもが彼のものなのかわからない(ネヴィルの子どもである可能性もある)。「彼の名を与えることもできたが、彼から得られるものは何もない。何もないナッシング、のだ[*52]」。こうして、出生届には「ジューン」という名が明記されているものの、クラリーズの子どもにはナッシングという名がつけられることになった。

 ナッシングたちの隣人であるユースタスが家と土地を購入したのは、自分の母親のためだった。最愛の母が亡くなった今、その母の面影を彼はナッシングに感じるようになる。「その赤ん坊の顔を覗くと、自分の母親が見えるようだった[*53]」。彼の母親への愛情は、徐々にナッシングへと向かうようになる。彼の双子の妹であるユーフィミアも、「彼女の母親の鼻がその子どもにある」と感じる[*54]。しかしその一方で、生みの親のクラリーズは、彼らが自分たちの母親をナッシングに重ねるのを「おかしいもんだ」と思う[*55]。というのも、彼女は一度だけ会ったことのある自分の父方の祖母にナッシングが「とても似ている」と感じているからだ[*56]。結核で死を迎える前に、彼女はナッシングに、その祖母にかんするたったひとつの記憶について語りかける。「クルクルと回っていたのよ。クルクルと、まるで枯れ葉がクモの巣に引っかかって、そよ風が吹いているときに回るみたいに。地面に落ちないように、両手を翼のように広げてバランスをとりながら、ただクルクルとね[*57]」。クラリーズにとって、赤ん坊のナッシングは祖母が人生の円環を通り回帰した姿であると言える。クラリーズは、「もう二度と祖母には会えないし、誰も何も教えてくれない。だから私は、祖母がクルクル回って、足が地面から浮き上がって[……]天まで飛んでいったのだと自分に言い聞かせてる」と嘆き、この記憶をナッシングに託す[*58]。ナッシングが「その目でこのすべてを理解している」ことを見届け、クラリーズはこの世を去る[*59]。

 クラリーズがなくなった後、姉のモードがユースタスと結婚し、ナッシングの母親となる。モードとクラリーズはもともとジャマイカ東部のセント・トーマス教区にあるストーニー・ガットに住んでいた。彼女たちが故郷を去ることになったのは、1865年10月11日に実際に発生したモラント・ベイの叛乱が原因である。当時モードは16歳で、クラリーズは7歳だった。1834年に発布された奴隷解放令により、黒人たちは公的に奴隷身分から解放されたものの、引き続き元の白人奴隷主の下で年季奉公労働者として働くことを強制され、境遇が改善されることはなかった。自立を望みながらもさらなる搾取と天災による不作に苦しんでいる人々を導いたのが、バプテスト派黒人執事のポール・ボーグルだった。「少数の白人プランターたちは、治安判事として教区の司法・行政を独占し、土地所有や債務をめぐる訴訟について、プランターが多数を占める司法制度に対する民衆の不満が高まっていた。このような社会的矛盾の中で白人支配に対抗して黒人小農民と労働者の団結を強化しようと努め、遂に武力闘争に踏み切ったのが地元の小農民でストーニ・ガットに土着洗礼派の礼拝堂を持っていた黒人執事のポール・ボーグルであった。彼は、ストーニ・ガットの礼拝堂を拠点として黒人の小農民と労働者の組織化を進め、遂に一八六五年一〇月一一日午後、主席治安判事ケッテルホットが主宰する教区会で開かれていたモラント・ベイ市街の公会堂を襲撃した。黒人たちは、甘蔗刈入れ用の短刀(カットラス)や棍棒で武装して、モラント・ベイに向かって行進した[……][*60]」。

 この抗議行進が発端となり、イギリス制圧軍による虐殺が展開される。その犠牲となった人々の中に、モディブという男性がいた。この男性はモードと恋仲であり、彼の妹がクラリーズだった(つまりモードとクラリーズには血の繋がりがない)。地域住民は彼の葬儀を開き、モードもそれに参加していたのだが、その葬列はマルーンの集団を引き連れた将校によってバラバラにされ、モードは凌辱される。その後彼女は、亡き恋人の妹でよく知らないクラリーズを連れ、男性による暴力の蔓延はびこる故郷を徒歩で逃げ出す。この逃亡の日々の中で、モードはクラリーズに対し姉もしくは母親のような感覚を抱く。「この子には悩まされるけど、そのままでいることはできない。だって今や私があの子の母親なのだし、あの子は私の言うことを聞いて従わなきゃいけないのだから。そして私は気づいた。あの子が私の言うことを尊重して、私に従うことができるように、私はある種の振る舞いをしなければならないと[……][*61]」。クラリーズは、「誰が姉に『なることにする』なんてできるっていうの。姉は生まれながらにして姉なんだから」と述べつつも、兄の恋人でしかなかったこの女性が、「自分のことを私の姉と、そして時には私の母と呼ぶ」ことに感謝する[*62]。そして兄モディブの恋人であったことを思い出し、「私の世話をすると言い張るこの女性は、私の姉に違いない」と思う[*63]。ふたりはセント・アンに居住を構え、政府がモードの名前を追跡してくることを避けるべく、それぞれ「モード・ウォーカー」と「クラリーズ・ウォーカー」という名に変え、血の繋がりを超えたウォーカー姉妹として生きていくことを選んだのであった。

 モラント・ベイでの経験から、モードは男性との関係を避けるようになる。彼女がセント・アンを居住場所に選んだのも、首都であるキングストンには「男が多すぎる」からだ[*64]。しかしながら、彼女はクラリーズが残していった子どもナッシングに愛情を覚え、ユースタスと結婚する。「一方で、彼女はユースタスに気持ちがあることを理解してもらった。[……]。彼女はマルーンのことや、そのほかの小さな秘密について彼に話した。彼は彼女とうまくいったのだから。時間がかかったが、彼女はマルーンが自分に残した記憶と恐怖を乗り越えた[……]。今、ナッシングは本当の家族を手に入れたのだ[*65]」。この家族に、ユーフィミアの妹の娘であるパールが加わり、ナッシングはパールと姉妹のように育つ。パールはアメリカ人男性と結婚しジョンとサリーというふたりの子どもをもうけるが、離婚しジャマイカに戻ってくる。そこで(ナッシングの父親かもしれない)ネヴィルと結婚し、さらにふたりの子どもをもうける。それがプリンセスの父ハーバートとその姉ポリーである。こうしてナッシングたちは、「血統を遥かに超えた絆」によって結ばれた家族として広がってゆくのである。

 プリンセスが会ったナッシングは、すでに老齢だった。彼女は介護を必要としており、プリンセスは彼女とともに過ごすことにする。プリンセスの自分の家族の歴史を知り、家系図を描きたいという希望に対し、ナッシングはこう述べる。

「自分の家系を知りたいんだね」。
「そうです」と私は言って、自分の図を取りに行った。
彼女はそれをちらっと見て、テーブルの上に置き、言った。「来なさい」。

[*66]

 ナッシングはプリンセスを連れ出し、ピン・ウィン・マッカと呼ばれる植物を採取し始める。この植物は「自然の道筋に沿った」成長過程を持つものであり、「1枚の葉が現れ、次にもう1枚、そして2枚——1枚と1枚の合計——現れ、そして3枚——2枚と1枚の合計——現れ、そして5枚——2枚と3枚の合計——現れ、そして8枚——5枚と3枚の合計——現れる。そんな具合に、葉の枚数が次の葉の枚数を無限に決定し続ける[*67]」。この植物から得られるサイザル麻を用いて、ナッシングはプリンセスとともにマットを作り始める。その作業は、巻き紐の束をサイザル麻の糸で一定の間隔で留めながら、複数の円を縫い合わせて一枚のマットを作るというものだった[*68]。「『あなたの終わりが、あなたの始まりなのよ』とナッシングおばさんが助言した。なるほど、最初の一組の紐が複数の円を作るのに十分な長さでなければならず、そして次の円を作るために残っていなければならないことがわかった。作業をしながら、ナッシングおばさんは家族について話した。夜になれば、私は持ってきた方眼紙にデータを入れようとした。いや、できない。家族というマットのように見える、私たちが作っている終わりなき円環に、私は集中することにした[*69]」。ひとつの円が別の円と繋がり、さらに円を作ってゆく——その円ひとつひとつが家族を構成する人間であり、この複数の円が繋がりあいながら生み出すマットが、ナッシングが語る家族の形なのである。このマットの作成作業に加わるプリンセスは、家族の記憶を継承する義務、つまり記憶の倫理学を実践していると言えるだろう。

 ナッシングとの共同作業を経たプリンセスは、イギリスに戻り課題であった論文を提出する。「私のプレゼンテーションは、普通の家系図に見られるような直線や矢印を使わなかった。私はナッシングのマットにあるような円を用いたのだ[*70]」。彼女の両親は少し心配したものの、プリンセスはその論文でA評価を受け無事に合格する。その論文を審査した教員からは、このような講評がプリンセスに贈られた。

私は論文で A の成績を取り、「反復」(iteration)と「回帰」(recursion)というふたつの新しい単語を学んだ。それらが意味していることは、当時はよくわかっていたとは言えないが、私たちがマットを作る際に用いた原理なのだと先生は言っていた。「あなたの終わりが、あなたの始まりなのよ」と先生はナッシングの言葉を引用して、微笑んだ。「知恵はどんな辺鄙な場所にも宿るものです」と彼女は付け加えた。「文献では、西インド諸島の家族は『分裂している』(fractured)と書かれています。あなたなら、それがフラクタルであることを証明できるかもしれないですね」というのが、私の論文の末尾に書かれた彼女の講評だった。私はこれが肯定的なものであることがわかっていたし、私にはその意味がわからなかったという事実が私を引き留めるようなこともなかった。

[*71]

この教員の講評にあるように、西洋の人類学者による文献ではカリブ海の家族のあり方は「分裂している」という異常な状態であり、それゆえ「社会問題」である。しかしながら、ナッシングによる直線や矢印ではなく円環を用いる家系図の作成は、カリブ海の家族をそのように西洋の価値観に照らし合わせて問題化するのではなく、「フラクタル」という形で存在しているということを示しているのだ。

 ジャマイカの大学で教授職に就いたプリンセスは、ナッシングから相続した家に住み、マットを完成させる。そこにサリーの娘のジョイが訪問する。彼女はアメリカ黒人との子を身籠っており、ジャマイカで出産し、子どもを自分の子ではなくプリンセスの子として登録し、その後養子として引き取るという計画を立てていた。助産師のジュニアという人物(彼はプリンセスの夫になる)の助けを借り、ジョイは出産を迎えるのだが、生まれてきたのが双子の男女という想定外の事態が起こる。女の子をヨランダ、男の子をモディブ(クラリーズの兄の名)と名付け、ジョイはヨランダを引き取り、プリンセスはモディブを自分の子どもとして育てていくことになる。プリンセスとジョイはあたかも姉妹のようになり、プリンセスはこのように考える。「構造はそこにあり、私たちが人生を通してすることは、それを模倣することだけだ。姉妹かと思うほど、仲の良い2人の女性。彼女と私は、単にナッシングとパールの繰り返しだった[*72]」。プリンセスによる家系図が示すように、人間はひとりひとりナッシングのフラクタルなマットに編み込まれた円環の繰り返し、つまり「反復」と「回帰」を生きているのである。

 モディブを大切に育てながら、プリンセスはこの「反復」と「回帰」について考える。「人生を繰り返すという私たちの家族のスタイル」は、西洋の奴隷制により拿捕され、強制的に奴隷船に乗せられ中間航路を渡り、新世界でひたすら搾取され続けた祖先の苦しみの記憶を、責任を持って引き継ぎながら生きてゆくことである[*73]。それならば「モディブと私はこの、私たちの黒人の兄弟と息子たちの運命から逃れることができるのだろうか?」とプリンセスは悩むのである[*74]。そんな中、プリンセスもジュニアとの間に子どもを授かる。生まれてきた女の子を、彼女はクラリーズと名付け、ある決心をする。「私は、今度こそクラリーズが普通の幸せな人生を送ることのできるチャンスを与えようと誓ったのだった[*75]」。人生の「反復」において、完全なるものの「回帰」はない。それぞれの人生は歴史のパターンを繰り返しながら、変化の可能性を秘めているのである[*76]。プリンセスは自分の娘に早世した親戚の名をつけ、その繰り返しの中にある差異がさらなる差異へと繋がっていくことで、よりよい人生へと向かわせることを決意するのだ。

 プリンセスはその繰り返しを、クラリーズに見る。クラリーズがダンスのレッスンを受けている最中、彼女が躍っている光景にプリンセスは驚いてしまう。「私はかつて、不可能だろうと思えるポーズをとるナッシングを見る機会に恵まれた。ナッシングが語りたがらなかった特技だ。私はそれを誰にも話したことはない。しかしここに、私が見たナッシングが姿を変えた鳥のように、クラリーズの祖母であるアフリカ人が家やどこへでも飛んで帰るために姿を変えた鳥のように、身体をねじる子どもがいたのだ。それは、ナッシングがまだ赤ん坊だった頃、クラリーズがナッシングに話したことだった[*77]」。クラリーズが幼い頃に一度だけ見たクルクルと回り踊る祖母の記憶を、ナッシングは受け止めた。そしてそのナッシングの記憶もまた、クラリーズへと渡ってゆく。クラリーズという円環は、その終わりの紐が始まりの紐となり、新たなナッシングという円環へと繋がる。そのナッシングという円環は、プリンセスを通してまた新たなクラリーズという円環へと結びつく。こうして家族の記憶は、血の繋がりを遥かに超え、フラクタルな模様をしながら受け継がれてゆくのだ。

 プリンセスはクラリーズにマットのひとつひとつの円を見せながら、家族のひとりひとりと対面させることで育ててゆく。そのことにより、クラリーズは祖先たちと会話し、その記憶を引き継いでゆく。そのクラリーズを見ながら、モディブはある疑問をプリンセスに投げかける。「この人たちの何人かは血の繋がりすらないじゃないか。なんでクラリーズがその人たちの痛みまで感じないといけないの?[*78]」その疑問に対して、プリンセスはモディブが正しいと考えながらも、このように返す。

モディブ、私たちの民族がアフリカから世界のこの地に来た時、私たちは血縁関係で来たわけじゃなかったのよ。私たちはすでにお互いを知っていて、愛し合っている兄弟や姉妹、母親や父親としてやって来たわけじゃないの。私たちは家族も友人もいないひとりの人間として、見知らぬ土地の見知らぬ人間として、そしてすべての人間と同じように、愛し愛されることを必要とする人間としてやって来たの。家族がいない中で、私たちは見つけられる限りの人を愛し、誰からも与えられる愛に喜んだ。だから、私たちには愛し愛される歴史があるの。それは私たちに血縁関係があるからじゃない。神が私たちをお互いの居場所に置いてくれて、私たちがお互いの中に守って、褒めて、大切にするべき何かを見出したからなの。モードもクラリーズもナッシングも、マットにいるすべての人々が私たちを愛し、私たちを気遣い、私たちに愛され、気遣われたいと願っているのよ。彼らは私たちの家族なんだから、あなたとクラリーズが家族であるようにね。

[*79]

プリンセスがたどり着いた家族の形は、血縁や時間といった制限に関係なく家族という関係が育まれることを示唆している。カリブ海において、人々は西洋帝国の欲望のままにすべてを奪われ、ひとりひとりが孤独な存在として生きることを強いられた。その中で、彼らは愛を育み、血縁関係を遥かに超えた絆で結ばれるようになった。そのような家族の形は、決して欧米の人類学者が一方的に張り付けてきた「分断されたもの」ではなく、ナッシングのマットが教えてくれるように、「フラクタル・ファミリーズ」なのである。

 ブロドバーによる記憶の詩学に従えば、家族の縁は円である、とでも言えるのだろう。ひとりの人間の人生の繰り返しは、新たな人生へと繋がってゆく。縁は巡り廻り、円環を描く。カリブ海においては、血縁関係による直線的な家族の形とは異なる、「血縁を遥かに超えた絆」によって結ばれた深い関係としての家族がある。それゆえカリブ海における家族の記憶は、直線的な家族の記憶として語れるものではない。それはフラクタルな模様をしているのだ。

アーナ・ブロドバー『ナッシングのマット』の書影(筆者の蔵書より)

[*1]ブロドバーはISERに1975年から1983年の8年間研究員として在籍していた。
[*2]Erna Brodber, “Oral Sources and the Creation of a Social History of the Caribbean,” Jamaica Journal 16, no. 4 (1983), 3. 「歴史との諍い」にかんしては本連載の第1回を参照。
[*3]Ibid, 4.
[*4]Ibid., 4, 7.
[*5]Ibid.
[*6]Ibid., 4, 7.
[*7]Elsa V. Goveia, A Study on the Historiography of the British West Indies to the End of the Nineteenth Century (Mexico City: Instituto Panamericano de Geografia e Historia, 1956), 176–77.
[*8]David Scott, “Preface: Erna Brodber‘s Social Ethics of Black Memory,” Small Axe 26, no. 2 (July 2022), vii–viii.
[*9]Ibid., viii.
[*10]Avishai Margalit, The Ethics of Memory (Cambridge, Harvard University Press, 2002), 6­–7.
[*11]Scott, “Erna Brodber’s Social Ethics,” viii.
[*12]Ibid.
[*13]Ibid.
[*14]Ibid.
[*15]Ibid.
[*16]Ibid., viii­–ix (original emphasis).
[*17]Ibid., x.
[*18]Ibid.
[*19]「個人的意識と集合的思考」において、アルヴァックスは人間の意識が社会による「刷り込み」を経験していると考える。「社会から人為的に切り離されたときでさえ、特に知的なプロセスに関しては、人間にはその刷り込みが残っている」。その意識の刷り込みは、「集団を構成する多数の個人の相互作用する意識状態を表すものである」。(Maurice Halbwachs, “Individual Consciousness and Collective Mind,” trans. John Mueller, American Journal of Sociology 44, no. 6 (1939), 812.)
[*20]モーリス・アルヴァックス『記憶の社会的枠組み』鈴木智之訳(東京:青弓社、2018年)、8。
[*21]同書、9。
[*22]同書、105。
[*23]同書、205。
[*24]片桐雅隆『過去と記憶の社会学——自己論からの展開』(京都:世界思想社、2003年)、127–28。
[*25]同書、129。
[*26]アルヴァックス『記憶の社会的枠組み』、203–4。
[*27]Naomi Angel, Fragments of Truth: Residential Schools and the Challenge of Reconciliation in Canada, ed. Dylan Robinson and Jamie Berthe (Durham: Duke University Press, 2022), 173.
[*28]アルヴァックスの理論はジェンダーの観点が欠けているという批判もあることにも触れておく。Judith G. Coffin, “A ‘Standard’ of Living?: European Perspectives on Class and Consumption in the Early Twentieth Century,” International Labor and Working-Class History 55 (April 1999): 6–26.
[*29]アルブヴァクス『社会階級の心理学』清水義弘訳(東京:誠信書房、1958年)、5。アーレントが西洋とアフリカの遭遇の記憶をコンラッド作品から抽出したのと同様に、またしても西洋人による物語が非西洋人の「記憶」を作り上げる目論見に利用されていることに気をつけたい。
[*30]オルランド・パターソン『世界の奴隷制の歴史』奥田暁子訳(東京:明石書店、2001年)、32。「社会的死」などのパターソンによる議論は、拙著『私が諸島である』の第10章「ニヒリズムに抗うクロス・カルチュラルな想像力」で紹介している。
[*31]Orlando Patterson, The Sociology of Slavery: An Analysis of the Origins, Development, and Structure of Negro Slave Society in Jamaica (Rutherford: Fairleigh Dickinson University Press, 1969), 9.
[*32]Ibid., 41.
[*33]M. G. Smith, introduction to My Mother Who Fathered Me: A Study of the Family in Three Selected Communities in Jamaica, ed. Edith Clarke, 2nd ed. (London: George Allen & Unwin Ltd, 1966), xxii–xxiii.
[*34]Christine Barrow, Family in the Caribbean: Themes and Perspectives (Kingston, JA: Ian Randle Publishers, 1996), 9 (my emphasis).
[*35]R. T. Smith, The Matrifocal Family: Power, Pluralism and Politics (New York: Routledge, 1996), 42 (original emphasis).
[*36]Barrow,Family in the Caribbean, 22.
[*37]井庭崇、福原義久『複雑系入門——知のフロンティアへの冒険』(東京:NTT出版、1998年)、35–36。
[*38]Mayra Santos-Febres, “The Fractal Caribbean,” YouTube Video, September 28, 2019, https://www.youtube.com/watch?v=8tFlLkUSr84.
[*39]Ibid.
[*40]Ibid.
[*41]Ibid.
[*42]Ibid.
[*43]Ibid.
[*44]Ibid. ベニーテス=ロホの「繰り返す島」やグリッサンの「〈関係〉」の議論にかんしては、拙著『私が諸島である』の第11章、「カリブ海のポストモダンの地平 カリビアン・カオス(前編)」を参照。
[*45]ジョン・T・マドックス4世によるFractal Families in New Millennium Narrative by Afro-Puerto Rican Womenは、サントス=フェブレスらプエルトリコ系女性作家たちの小説における家族の表象をフラクタルの観点から考察するものであり、参考になる研究書である。
[*46]Mel Cooke, “Brodber Presents Nothing’s Mat,” The Gleaner, June 15, 2015, https://jamaica-gleaner.com/article/entertainment/20150615/brodber-presents-nothings-mat. ちなみにそのマットの写真が本のカバーとなっている。
[*47]Erna Brodber, “Dreaming to Change the World: The Erna Brodber Experience,” Tout Moun: Caribbean Journal of Cultural Studies 4, no. 1 (2018), 9.
[*48]Erna Brodber, Nothing’s Mat (Kingston, JA: The University of the West Indies Press, 2014), 5.
[*49]Ibid.
[*50]Ibid., 17.
[*51]Ibid.
[*52]Ibid., 18.
[*53]Ibid., 20.
[*54]Ibid.
[*55]Ibid., 59.
[*56]Ibid.
[*57]Ibid.
[*58]Ibid.
[*59]Ibid.
[*60]山下重一『J.S.ミルとジャマイカ事件』(東京:御茶の水書房、1998年)、6。
[*61]Brodber, Nothing’s Mat, 49.
[*62]Ibid., 53, 55.
[*63]Ibid., 53.
[*64]Ibid., 52.
[*65]Ibid., 22–23.
[*66]Ibid., 13.
[*67]Ibid.
[*68]Ibid., 14.
[*69]Ibid.
[*70]Ibid., 36.
[*71]Ibid.
[*72]Ibid., 95.
[*73]Ibid.
[*74]Ibid.
[*75]Ibid., 97.
[*76]フラクタルの理論をジャマイカ文化に応用し、画期的な研究書を出版したマシュー・チンによれば、「正確な反復を妨げるこの差異の空間は、潜在的な修復の場を構成している。フラクタル幾何学の用語では、繰り返しのたびに変化する線を能動的線ポジティヴ・ラインと呼ぶ(変わらない線は受動的線ネガティヴ・ラインと呼ばれる)。『ナッシングのマット』の登場人物たちは、歴史的パターンの繰り返しを認識しながらも、変化の可能性も認めている」。(Matthew Chin, Fractal Repair: Queer Histories of Modern Jamaica (Durham: Duke University Press, 2024), 6.)
[*77]Brodber, Nothing’s Mat, 102.
[*78]Ibid., 103.
[*79]Ibid.

参考文献

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● Coffin, Judith G.“A ‘Standard’ of Living?: European Perspectives on Class and Consumption in the Early Twentieth Century,” International Labor and Working-Class History 55 (April 1999): 6–26.
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● アルヴァックス、モーリス『記憶の社会的枠組み』鈴木智之訳。東京:青弓社、2018年。
● アルブヴァクス『社会階級の心理学』清水義弘訳。東京:誠信書房、1958年。
● 井庭崇、福原義久『複雑系入門——知のフロンティアへの冒険』東京:NTT出版、1998年。
● 片桐雅隆『過去と記憶の社会学——自己論からの展開』京都:世界思想社、2003年。
● パターソン・オルランド『世界の奴隷制の歴史』奥田暁子訳。東京:明石書店、2001年。
● 山下重一『J.S.ミルとジャマイカ事件』東京:御茶の水書房、1998年。

凡例

・引用文中の亀甲括弧〔 〕は原著者・翻訳者による補足を、角括弧[ ]は引用者による補足を意味している。
・引用文献のうち、邦訳のないものはすべで引用者が原文から訳し起こしている。

著者略歴

中村 達(Tohru NAKAMURA)
1987年生まれ。専門は英語圏を中心としたカリブ海文学・思想。西インド諸島大学モナキャンパス英文学科の博士課程に日本人として初めて在籍し、2020年PhD with High Commendation(Literatures in English)を取得。現在、千葉工業大学助教。主な論文に、“The Interplay of Political and Existential Freedom in Earl Lovelace's The Dragon Can't Dance”(Journal of West Indian Literature, 2015)、“Peasant Sensibility and the Structures of Feeling of "My People" in George Lamming's In the Castle of My Skin”(Small Axe, 2023)など。日本語の著書に『私が諸島である——カリブ海思想入門』(書肆侃侃房、2023)。