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クィアのホームパーティー|クィアのカナダ旅行記|水上文

【この連載について】
2023年6月に北米最大級のプライドパレード「トロント・プライド」を訪れ、そこで見聞きしたことを自主制作本としてまとめた著者(同年11月発行『クィアのトロント旅行記』)。本連載では、およそ1年ぶりのトロント再訪と滞在の経験を通し、プライド月間に限らない、カナダのクィアの日常について報告する。個人的な旅行記ではあるが、個人的なことこそ政治的である。カナダの旅を通じて、日本の現況を改めて照らしたい。

 わたしが人生で初めて自分がクィアであることを自覚して人に話したのは、高校生の頃、同級生の友だちに対してだった。
 わたしたちは同じ教室で、一番後ろの席の隣同士で、授業中だろうがなんだろうがお構いなしにいろんなことを話していて、しょっちゅう先生に怒られていた。
 友だちは女性アイドルグループの大ファンで、わたし自身はアイドルには興味がなかったけれど、彼女の話をいつも楽しく聞いていた。わたしたちはとても仲良くなって、そして自分自身についても話すようになったのだった。
 今でもよく覚えているのは、彼女と共に頻繁に通っていたマクドナルドの光景である。
 脂っぽい匂いの充満する店内で、少しべたついたテーブルで、Sサイズのコーラとチキンナゲットを買っていつまでも話し込んでいた頃。彼女は女性アイドルグループのライブをきっかけに、同じファンのある女性と知り合い、それで付き合うことになったのだと、そう言ったのだ。慎重に、「長い人生でこういうことがあってもいいと思うから」と言いながら女性と付き合い始めたことを切り出した彼女の顔は、話し始めた当初こそこわばっていたものの次第にやわらかくなり、単純に初めて恋人が出来たことへの喜びに溢れていった。
 おめでとう、と言ったことを覚えている。チキンナゲットにバーベキューソースをつけて食べながら、わたしは心底彼女を祝福していた。だって、はにかむ彼女はいつにもまして本当に可愛らしかった。幸せそうだった。嬉しかったのだ。

 あの頃のわたしたちは、本当にしょっちゅうマクドナルドに行ったものだった。
 だからその後、彼女が恋人とやり取りしている手紙を母親に見つけられてしまった、という話を聞いたのも、もちろんマクドナルドだったし、母親に「あなたの結婚資金のためにこれまで一生懸命貯金してきたのに」と言われてしまった、と彼女が話してくれたのもマクドナルドだった。別れようとしたら恋人にひどく抵抗され、そのうち恋人は彼女のバイト先にまで泣きながら電話をかけてくるようになった、店長が電話に出てしまって大変だった、どうしよう、と彼女が話してくれたのも同じマクドナルドだった。

 だけどわたしたちが以前ほど頻繁に会わなくなって、だんだんと交流が途絶えて、最後に会ってから3年ほど経って、久しぶりに会った時にわたしたちが集ったのは、もうマクドナルドではなくて、新橋の居酒屋だった。今からちょうど8年くらい前。わたしたちはみんなとっくに成人して、働き始めていたのだった。
 久しぶりに会った彼女は、あんまり変わっていなかった。
 服や化粧に多少の変化があったけれどそんなに変わってなくて、あいかわらず可愛くて、懐かしくて、なんだか不思議だった。どうしていろんなことが変わったのに、何も変わっていないかのようなんだろう?
 でもやっぱりいろんなことが変わっていたのだった。
 何しろ、わたしたちはもうマクドナルドにいないのだから。
 最近別れた彼氏の話をする彼女は楽しそうだった。結婚したい、けど「結婚したい」と言いすぎて前の彼氏とはダメになっちゃった、と彼女は言っていた。ため息混じりの愚痴を語る彼女は、それでも十分に元気そうだった。次の彼氏とは結婚したい、親にも紹介しようと思っている、お母さんも喜んでくれるはずだ、と言う彼女を、わたしは他の友人たちと共に励ましていた。
 わたしたちが入った居酒屋で出てくる料理はそれなりに美味しかった。お酒も飲んだ。マクドナルドで払うお金よりずっとたくさんのお金を、その日は支払った。
 何も悪いことはなかった。悲しいこともなかった。
 誰が不幸になったわけでも、誰が理不尽にさらされているわけでも、誰がかつてと見分けもつかないほど大きく変わってしまったわけでもない。でもわたしは、あの頃通ったマクドナルドが懐かしかったのだ。どうしようもなく。

 さて、トロントでカップルセラピーを受けてから3日後、わたしはタマの友だちの家に行くことになった。
 タマの10年来の友だちであるLとそのパートナーであるCが、わたしたちを招いてささやかなホームパーティーを開いてくれるというのだ。
 タマからわたしの話を聞いていたというLたちは、わたしがトロントへ来たことを知って、ぜひ会いたいと言ってくれたのである。中国系オーストラリア人のLとフィリピン系カナダ人のCは結婚していて、トロントのクィーン・ストリートに面した場所に住んでいる。なおLはクィアのフェムで、Cはトランスマスキュリンなクィア(代名詞はthey/them)である。LとC、それから同じグループでこちらもタマの10年来の友だちであるH——彼女は韓国系カナダ人でクィアのフェムである——、そしてわたしとタマの2人。アジア系クィアの5人で、LとCの暮らす家に集まることになったのだった。

 Cが手料理を作ってくれると言うので、わたしたちはワインとデザートのレモンタルトを買って、クィーン・ストリートに向かった。
 クィーン・ストリートは賑やかな通りである。ふたりの家に向かう途中、クィーン・ストリートの一角のビルでアジアン・マーケットが開かれていることを知り、今度行こうね、と話しながらわたしたちは歩いた。日本で「アジアン」マーケットと聞いたら、東南アジアや南アジアの雰囲気を思い浮かべるかもしれないけれど、カナダでアジアン・カルチャーと言えばKawaiiである。実際、覗き見たアジアン・マーケットの開催場所ではパステルカラーのピンクと水色で作られた折り紙の鶴(人の頭より大きい)が天井からいくつか吊り下げられていて、とてもオシャレで可愛かった。
 ちなみにタマによると、北米でアジアと聞いて思い浮かべるもののひとつは「ハイチュウ」だそうだ。謎である。ハイチュウがアジアを象徴するお菓子になっていたとは知らなかったし、そもそもハイチュウのどのあたりがアジアっぽいのかよくわからないけれど、現にタマの友だちの日系の子は自分の犬に「ハイチュウ」と名前をつけていたらしい。

 と、そんな話をしながら歩いていると、LとCの家に到着する。
 まさしくクィーン・ストリートに面した建物にあるLとCの家は、扉を開けてすぐに階段がある。階段を上るとすぐにダイニングキッチンがあって、奥には茶色い革張りのソファが見える。天井が高くて、広々として見える。ソファのあるリビングの右隣には小さな個室があり、Lの仕事スペースだそうだ。ダイニングキッチンの左隣にはささやかな中庭と細い廊下があり、進むとバスルームとベッドルームがある。ものすごく広いというわけではないけれど、ふたりで暮らすには十分な空間で、わたしが日本で暮らす独り暮らしの小さな家(1Kである)とは全然違う。
 ダイニングテーブルの上にはフィリピン系であるCが手づくりしてくれた、フィリピンのお祝い料理、カマヤンが広がっている。タガログ語では、「手」が「カマイ」、「手で取る」が「カマヤン」という意味らしい。5人で囲むに十分な大きさのあるダイニングテーブルいっぱいに、大きなバナナの葉が広げられていて、その上にご飯、春巻き、焼き魚、エビ、ソーセージ、オクラ、そしてソースの入ったお皿が並んでいる。それぞれ、自分の手で直接ご飯や好きな具を掴んで食べるのだ。

テーブルを覆うほどの大きなバナナの葉の上に、直接ご飯やおかずが乗っている。

 ご飯はとびきり美味しくて、LもCもHもみんな優しくて、楽しくて、わたしはなんだか海外ドラマの世界にでも入り込んだ気分だった。
 LとCは、いかにも幸せそうな新婚カップルである。
 トロントのあるオンタリオ州では、2003年からすでに同性婚が可能なのだ。そして2005年には、すでに⼤部分の州で認められるようになっていた同性婚が連邦レベルで法制化され、カナダ全域で認められるようになった。要するにカナダでは今から約20年も前に、クィアカップルも結婚できるようになっていたのだ。
 だからLとCはカナダで1回、Lの母国であるオーストラリアで1回、Cのルーツであるフィリピンでも1回、計3回も結婚式を挙げたという。3回も! なおHはふたりの結婚式の準備を手伝って、ふたりのためにゲイのダンサーを手配したそうだ。Hはわたしに、ほとんど裸みたいな恰好をしたゲイのダンサーが、並んで座るふたりの前で踊り、ふたりにまたがるように接近していく動画を見せてくれた。それはわたしが日本で参列したことのある、シスヘテロの友人たちの結婚式やそのアフターパーティーとは全然違っていて——友だちの幸せは心から祝福しているけれど、父親と腕を組んでヴァージンロードを歩いて娘が夫となる男性に引き渡される光景も、両親への感謝の手紙を読み上げる光景も、ファーストバイトも何もかも、隅々までジェンダー役割ロールと「正しい」異性愛家族像に満ち満ちているように感じられて、わたしはいつも自分がいかに「正しくない」存在かを実感させられるようで、いささか気鬱であった——笑っちゃうくらいゲイゲイしくて、最高だった。
 Lesbian Herstory(=レズビアンの歴史。だから「彼」の歴史 His-storyではなく「彼女」の歴史 Her-storyなのだ)という文字の下に各国の言葉でレズビアンと書かれたTシャツ(もちろんカタカナ表記の「レズビアン」もあった)を着たHは、結婚こそしていないけれど、楽し気にワインを飲みながら、トランスマスキュリンなクィアのパートナーの写真を見せてくれる。それから、Lがちょうど直近で日本旅行の予定があるから、日本のクィアスポットに行きたいと言う。わたしは新宿二丁目にあるレズビアンバー「どろぶね」や、「どろぶね」と同じオーナーによって経営されている足湯カフェ「どん浴」をお勧めする。タマが「レズビアンの足湯 the lesbian foot bath」と言い、その単語の響きに皆が沸き立つ。実際の「どん浴」は極めて健全なカフェなのだけど——そしてお客さんにレズビアンが多いのは事実だけど、「どん浴」は特段レズビアン限定の場ではなくて、どんなジェンダー/セクシュアリティの人も居心地よく過ごせる場所である——、なんだかとてもセクシーな場所を想像しているようだ。誤解があるような気もしたけれど、とにかくウケているからよしとする。

 お腹いっぱいになって、ほろ酔い気分でデザートをほおばり、Cがコロンビアで手に入れたという紅茶ももらって飲んだ。良い気分だった。春の夜だ。心地よい夜風に吹かれながら中庭に出て、カナダの煙草を分けてもらって吸いながら、拙い英語で話すのは楽しかった。わたしはぜんぜん英語はできないし、英語では日本語で話せることの100分の1も言いたいことは言えないのだけど、それでもなぜだか、とても楽しかったのだ。
 全く問題なく操ることの出来る日本語で、毎日何時間も顔を合わせる職場の人々と話すよりもずっと、ここにいる初めて会う人々に、わたしは親しみを感じていた。
 クィアで良かった、と心底思った。
 クィアであるからこそ、言葉も文化も経験も全く異なる、初めて会った人々と繋がることができるのだから。もちろんLやCやHはもともとタマの友だちで、わたしがタマのパートナーだからこそ親しく過ごせているのだけど、それでもクィアであることによって、初めて会ったにもかかわらず大切な何かを共有しているように感じることができる部分は確実にあるように思う。
 そもそもクィアカップルとしてクィアカップルの家に招かれる経験を、それまでわたしは持ったことがなかった。わたしが過去に持ったことのあるクィアな関係性はとても閉鎖的で、互いの友だちに紹介し合うこともなかったのだ。だからすごく解放的な気分だった。タマの10年来の友だちに紹介してもらったことも嬉しかったし、その場にいる人が全員クィアである環境でクィアカップルとして承認されている経験も、びっくりするほど居心地が良かった。その場にいる人が全員アジア系のクィアで、それぞれマスク/フェムのクィアな関係性を築いていることも、特別な居心地の良さだった。
 だから、クィアで良かった、と思った。
 トロントで、クィアのパートナーと共にクィアな人々に囲まれて、こんな風に楽しいひと時を過ごせているのは、わたしがクィアだからなのだ。この場の居心地の良さ、楽しさ、親しみ、あらゆるポジティブなものは、わたしがクィアであることによって生まれているものなのだ。クィアであることは良いことばかりではない——むしろ差別と抑圧、排除や暴力の危険性、自分自身であることを否応なしに隠す経験と、それはしばしば結びついている。でも他ならないクィアであるからこその喜びも、またあるのだ。同じクィアだからこそ得られる親密性、クィアな人生の喜びを、まぎれもなく感じた一夜だった。

 それにしても、ここはかつてのマクドナルドとどれほど離れていることだろう?
 LとCが当たり前のように結婚していて、しかも家族や友人たちにめいっぱい祝福されて3回も結婚式をしていて、とびきり素敵な家に住んでいるこのトロントは、同性婚が未だ法制化されていない日本とは、ずいぶん違っているように思えた。
 その上、LとCは子どもを作るつもりで、精子提供者を探しているところだという。だから子どもが出来たらもっと広い家に引っ越さないとね、と言っていたのだ。この家は、今まさしく生殖補助医療の対象を法律婚している人々に限り、事実婚の異性カップルや法的同性カップルは対象外で、その上法律婚をしているカップル以外に医療を提供した医療機関への罰則規定まで盛り込まれた法案がニュースになっている日本とは、どれくらいかけ離れているだろう?[1] 約20年も前から同性婚が法制化されている場所で生きることは、どれくらい日本で生きるわたしたちとは異なる想像力を働かせて日々を送ることなのだろう。

 高校生の頃、あのマクドナルドからずっと、わたしにとって「結婚」は恐怖を抱かせる言葉だった。いつか自分も母に「あなたの結婚資金のためにこれまで一生懸命貯金してきたのに」と言われてしまうのではないか、わたしはわたしであることによって何かを台無しにしてしまうのではないか。だから今のところ共に人生を過ごしたいと思えるほど男性を好きになれる可能性が見当たらなくても、いつか男性と結婚するのではないか、あるいはたとえ望んで男性と結婚することにしたとしても、それによって自分の重要な核となるものを手放すことになるのではないか。そう思っていた。
 だって、高校の頃のあの子は確かにクィアな部分を持っていたと思うけれど、様々な困難を経て自分のクィアネスを捨て去り、今では異性愛者として生きているのだから。彼女以外にも他にも何人もの人が、実際そうして生きているのだから。
 新橋の居酒屋を思い出す。わたしは確かにあの時、何かが決定的に変わってしまったのだと思っていた。わたしは彼女が今幸せであること、望む人と共に安全に生きられることを心から望んでいるけれど、それでもどこかで引っかかるものがあった。以前には近しかったものが遠ざかり、道は確実に分かれたのだった。

 道がどうしようもなく分かれてしまうこと——婚姻の平等が達成されていないことで存在する不利益はたくさんあるけれど、そのひとつに、マイノリティ間の分断があるように思う。現に、婚姻の平等を求める集団訴訟「結婚の自由をすべての人に」の東京原告の一組である小野春さんと西川麻美さんは、2020年のインタビューで、訴訟に加わった理由のひとつはそこにあるのだと言っていた。「マイノリティへの差別がひどくなればなるほど、マイノリティの中の差別も厳しくなっていく[2]」ように思うから、と。
 私より10歳ほど上で、同性愛嫌悪が今よりもっとひどい時代を知るふたりはそれぞれ、様々な試行錯誤の中で異性婚をした経験を持っていて、そのことでレズビアン・コミュニティに近寄り難さを感じてきたのだと。異性婚せず、困難な中でも女性と生きる経験をしてきた人々に、自分は受け入れてもらえないだろうと思ったのだと。小野さんは言う。

向かい風の中頑張って生きてきた人と、生ぬるく生きてきた自分は同じには見てもらえないし、「男とセックスできるような人間はLコミュニティにはいらない」って言われるだろう、近づいたりしたら失礼だと思ってました。
 当時は怖かったんです。こんな生き方して怒られると思ってました。今でも実は思ってるんです。今でも消えない。レズビアンの人個人と仲良くなれることはもちろんあって、すごく素敵な友達に囲まれてるんですけど、Lコミュニティっていう塊になったときにはやっぱり足がすくむんですよね。私のような人間は仲間とは認めてもらえないだろうと今でも思ってます。

[3]

 わたしは以前、この箇所を読んだ時に強いショックを受けた。
 今、国を相手取った訴訟で矢面に立って闘ってくださっているまさにその人でさえ、こんな風に感じさせられる社会なのか、と、そう思ったのだ。
 でも以前よりはずっとクィアの可視性が増していく中で大人になった——日本においては2010年代に「LGBT」の認知度が特に高まったけれど、それはちょうどわたしの20代と重なっている——わたしでさえ、新橋の居酒屋で置いてけぼりになったような気持ちだった。自分が男性と結婚することはあまり考えられないけれど、そういうことを考える時、今いるかけがえのないクィアの友だちとの関係が決定的に変わってしまうだろうと思うと恐ろしかった。うまく想像さえつかない異性婚生活で待ち受ける困難よりも、そちらの方が実感をもって怖いくらいだった。
 そしてわたしは気が付いた。
 日本にもクィアの友だちはいるし、というよりわたしの個人的に特に仲の良い友だちは8割くらいクィアだし、その場にいる人間全員がクィアであるような状況は特段珍しいものではなかったのに、トロントでの一夜が格別解放的に感じられた理由。それは、とっくに婚姻の平等が達成されているトロントでは、こういう恐れを差し迫ったものとして感じなくてすむからなのだ。もちろんカナダでだって、クィアコミュニティに所属していた人がシスヘテロの婚姻関係を結んだら色々と変わるものがあるだろうけど、少なくともトロントではクィアのカップルとして結婚することもしないこともできて、それは個人の自由でしかないから。マクドナルドで感じた恐ろしさも、新橋の居酒屋で味わった寂しさも、ここでは感じる必要がないから。クィアとしての未来を問題なく思い描くことができて、それも恐れずに想像することができるからなのだった。


【註】
[1] 寺町六花「特定生殖補助医療法案の最終案、罰則や利益授受禁止など 超党派議連」『毎日新聞』2024年10月7日(https://mainichi.jp/articles/20241007/k00/00m/040/183000c)。
[2] 『日本Lばなし 第2集 ~日本のレズビアンの過去・現在・未来をつなぐ~ 2017-2021年度講演録』パフスクール、2022年、98項。
[3] 同書、97-98項。

【著者略歴】
水上 文(みずかみ・あや)
1992年生まれ、文筆家。主な関心の対象は近現代文学とクィア・フェミニズム批評。文藝と学鐙で「文芸季評」を、朝日新聞で「水上文の文化をクィアする」を連載中。企画・編著に『われらはすでに共にある——反トランス差別ブックレット』(現代書館)。

注記:写真はすべて著者が撮影したものです。

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