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バンクーバー編① 雨のバンクーバー|虹はいまだ旅の途上——李琴峰のクィア的紀行

 バンクーバーは雨の底に沈んでいた。
 空港から一歩外へ出ると、凛冽とした空気が四方八方から覆い被さってきた。綿々と降り続く雨は天地を縫い合わせようとする糸のようで、道路も樹木も、建物も車も、すべてが雨の糸からなる煙幕に包まれ、水墨画の遠景のように灰色に見えた。
 「タクシーに乗りましょう」
 さかさんが言うなりタクシー乗り場へ向かったが、私はしばらく雨に濡れた街をぼうっと眺めていた。
 初めて見たバンクーバーの景色は、子ども時代にバンクーバーという地名から受けた印象と大きく異なっていた。
 中国語でバンクーバーは「ウェンガーホァー」というのだから、中国語話者の私にとって、この都市はずっと暖かくて華やかなイメージと結びついていた。漢字はなんて罪なものだろう。音だけ使おうとしても、どうしても意味がついて回る。
 もちろん、大人になるとちゃんと分かる。地名はあくまで地名でしかない。雪梨シドニーでは雪は滅多に降らないし、愛荷華アイオワでははすの花は咲かない。そして初春のバンクーバーは暖かいどころか、かなり寒い。雨の日なら昼間でも5度前後で、夜は0度になる。

 バンクーバーを訪れたのは、学会に招待されたからだ。2024年3月のことである。
 カナダ屈指の名門ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)で行われる「Rethinking Global Japanese Studies」という、世界各国から日本研究の研究者が一堂に会するシンポジウムで、恐れ多くも基調講演をすることになった。
 初めての訪加で抱いていた不安は、羽田空港の搭乗口で再会した逆井さんとキムさんのおかげでかなり解消された。東京大学と大妻女子大学でそれぞれ教鞭を取っている逆井あきさんと金ヨンロンさんには以前、学会や講演の時にお世話になったことがあるが、相貌失認を疑うほど人の顔を覚えるのが苦手な私は声をかけられるまで二人のことを分かっていなかった。二人もシンポジウム参加のため、私と同じ飛行機に乗った。二人が夫婦であることはこのとき初めて知った。
 バンクーバーに着いてからも、同じタクシーでUBCへ向かった。おしゃべりな人に当たったのか、道中、運転手はしきりに話しかけてきた。どんな仕事をしているの? カナダには何しに来たの? 学会? 先週も何かの学会があったようだね、たしか歯科医の学会だったっけ。運転手の話し相手を勤めたのは主に助手席に座っていた逆井さんで、後部座席の私は雨の降りしきる車窓の外を静かに眺めていただけだった。陰鬱な天気だけれど、運転手は陽気で上機嫌だった。
 UBCはバンクーバー市の西、ジョージア海峡に突き出すポイント・グレイという岬の突端に位置している。東京の大学と違ってキャンパスはだだっ広く、徒歩だけで移動するのは難しい。欧米の多くの大学がそうであるように壁はなく、キャンパスの中と外の境界線がはっきりしない。タクシーは学内の宿泊施設の前で止まり、親切な運転手はスーツケースを運ぶのを手伝ってくれた。

 アメリカ大陸へ旅行するたびに、時間を遡っているような錯覚に陥る。羽田空港を出発したのは夜10時なのに、8時間の飛行を経て、バンクーバーに着陸したのは同日の午後1時だ。東京ですでに1日過ごしたのに、バンクーバーで同じ日をもう一度過ごすことができるのだから、ちょっと得した気分。
 ようやくホテルの部屋で落ち着いたのは午後3時過ぎ。大学が用意してくれたのは寝室のほかにキッチンとリビングルームもついている、申し分のない豪華で広い部屋だ。飛行機の中で一睡もしなかった私はすぐにでも眠りの淵へダイブしたかったが、そういうわけにもいかない。夜は会食があるのだ。とりあえずシャワーを浴び、メイクをし直すことで頑張って元気を出した。
 夕方6時前にロビーで集合した。逆井さん、金さん、そして今回招待してくれたUBCアジア研究センターのクリスティーナ・イさんもいた。雨はもう止んでいて、晴れ間から射し込む夕陽はホテルを囲んで植えてある木々を金色に染め上げた。旅の始まりを示唆しているようなその光景は見ていると心が軽くなり、晴れやかな気分になった。
 4人で大学の近くのレストランに入った。そこは学生がよく使うカジュアルな店で、広い店内は学生たちでひしめき合っていた。みんなそれぞれ飲み物と食事を頼んだが、私は睡眠不足のせいであまり食欲がなく、アイスティーとチキンシーザーサラダだけ注文した。サラダは十分すぎる量だが、アイスティーはストレートティーのつもりで頼んだのに出てきたのはレモンティーなのでほとんど飲めなかった(欧米の国では無糖のアイスストレートティーを拝む機会はなかなかない)。
 食事しながら、3人の先生は近年の日本の大学の保守的な方針や、就職の難しさ、そして経費削減を余儀なくされる窮状について語り合っては盛り上がった。仕事柄、大学教員と食事をする機会が多いが、近年は本当にどこへ行っても同じような話ばかり耳にする。
 食事会を切り上げた時、空は真っ暗になっていた。UBC構内ではなぜか至るところで工事をやっており、仮囲いがあちこち蔓延っている。道路にもでこぼこが多く、雨が降ると水たまりになる。それらの水たまりを丹念に避けながら、私たちはホテルへ戻った。ベッドに倒れると、私はあっという間に泥のような眠りに吸い込まれた。

(つづく)

連載概要

「クィアという言葉を引き受けることによって、私は様々な国のクィアたちに、さらには現在にとどまらず、過去や未来のクィアたちにも接続しようとしている」——世界規模の波となって襲いくるバックラッシュにあらがうために、芥川賞作家・李琴峰が「文脈を繋ぎ直す」旅に出る。バンクーバー、ソウル、チューリッヒ、アムステルダム、各地をめぐった2024年の記録。

著者略歴

李琴峰(り・ことみ)
1989年、台湾生まれ。作家・日中翻訳者。2013年来日、17年『独り舞』で第60回群像新人文学賞優秀作を受賞し、デビュー。『五つ数えれば三日月が』で第161回芥川賞・第41回野間文芸新人賞候補、『ポラリスが降り注ぐ夜』で第71回芸術選奨新人賞受賞、『彼岸花が咲く島』で第34回三島由紀夫賞候補・第165回芥川賞受賞。他の著書に『星月夜』『生を祝う』『観音様の環』『肉を脱ぐ』『言霊の幸う国で』がある。