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妖怪在庫荒らし|常識のない喫茶店|僕のマリ

本連載の書籍化が決定しました(2021年8月4日付記)

 なんでこんなに喫茶店が好きなのだろう、好きになったのだろうとたまに考える。通い出したのは大人になってからだが、働くまでに好きになったのは意外だった。わたしの住む東京都は条例で今やほとんどの飲食店が禁煙となってしまったが、わたしは喫茶店で煙草を吸うひとときをこの上なく愛していた。どんなに疲れていてもコーヒーと煙草で一服すれば何もかもリセットされるようで、喫茶店は手軽に非日常を味わえる場所だった。しかし、煙草が吸えなくとも喫茶店は好きで、今はコーヒーを飲みながら読書をするひとときをご褒美にしている。まさに都会のオアシスだと思う。

 今働いている店は、お客さんとして通っている時代から好きだった。当時は会社勤めで毎日へとへとで遊ぶ余裕もあまりなく、しかしまっすぐ家に帰りたくない日に自然と足が向いた。前職もサービス業だったが、大手企業ゆえに低頭平身の接客を強いられており、毎日神経をすり減らしていた。会社を辞めたときはもう接客なんてやりたくないと思っていたが、今ではこんな面白い仕事もないなとにんまりしている。この店で働いていると、まるで強力な磁場にいるかのようにおかしな出来事ばかり起こるのだ。店としての個性も強いが、そこに通うお客さんもとにかく濃い顔ぶれなのである。雨が続き塞ぎがちな6月も、毎日事件が起こるので退屈させてくれない。

 かつて「妖怪在庫荒らし」というあだ名で呼ばれていた藤野さんという中年男性は、1時間の滞在で飲み物を4杯も飲む猛者だった。お店としてはありがたいことなのかもしれないが、3分くらいかけて作った飲み物を提供した後、1分も経たないうちに「ズッッッ」というストローの音が聞こえてきたときは二度見してしまった。空のグラスと、つやつやした藤野さんの顔が並んでいた。最初は(めっちゃ喉渇いてんだな)と思っていたが、ある日クリームソーダを3杯続けて飲んだときは本気で心配になった。クリームソーダとはそんなに水のように流し込むものではない。強靱な胃腸の持ち主かと疑ったが、帰り際に「お腹が痛い」とこぼしていたことがあるので普通に無理をしていたようだった。
 
 藤野さんは店に通い始めた当初、ロイヤルミルクティーを特によく好んでいたのだが、それも3、4杯は注文するので彼が来ると厨房に緊張感が走った。在庫が一気になくなるのである。藤野さんが来る=在庫がなくなる=発注に関わるという、たった一人で物凄い影響力を持つ人物であった。ピザを食べた後にもう一枚おかわりしたり、ロイヤルミルクティーを飲みながら苺ジュースも堪能するわんぱくぶりも発揮する。目が離せない人物だ。しかし先日、調子にのってか「他の店で買ってきた弁当とか食べてもいいっすか?」と聞いてきた。いいわけないので、もう家で過ごせと思った。
 
 基本的には面倒くさいのだがなんだか憎めない人というのがいて、酒好きの白井さんがその一人である。年齢は70代だがめちゃくちゃ元気で、いつもこちらの心臓が止まりそうなほど大きな声で「おはよお!!!」と叫びながら入店してくる。他のお客さんがみなビクッ!と肩をふるわせるほど派手な登場だ。常に酔っていて飲み屋帰りのテンションなのか、BGMのクラシック音楽をかき消すほどの声量で話しかけてくるので、「うるさい!」と叱り飛ばす日も多い。しかし悪気は全くないので、怒られると「ああ、ごめんね……」としおらしくなるのは結構かわいいなと思う。白井さんは四六時中酒を飲んでいるからか、顔色が赤を通り越して土色の日があって心配になる。「顔に肝臓の色が出てるよ」と教えてさしあげると、歯が抜けた口で「あふぇふぇ」と笑っていた。「歯がなくて噛めねえからゆで卵小さく切ってくれない?」とお願いしてきたときは「介護」の領域だなと思った。酔っ払いなので面倒なときもあるけれど、無償で買い出しを手伝ってくれたりするのでいい人認定されている。しかしある日、酒を飲み過ぎた白井さんが1日に4回来店したときはフェスみたいで凄かった。

 かなり美形でうっとりするほどイケメンの男の子がいるのだが、いつも違う女の子を連れてくるので「(女)たらし」と呼ばれている。たらしはわたしたちに話しかけてくることはなく、いつも物憂げな表情でアイスコーヒーを飲んでいる。一人で来ることが多いが、たまに女の子が後から合流して親しげに話している。だが、肝心のその女の子がいつも違うので、店員みんなでさりげなくチェックしてしまう。いくら第三者とはいえ微妙な気持ちになった。
 そう、男女関係は意外と店員にチェックされている。「あのお姉さんはいい人なのに彼氏微妙じゃない?」「○○さんがいつも一緒に来る女性は奥さんとは別の人らしい」などと店員同士でこっそり囁かれる。「最近あのカップル来ないなあ」と思っていたら違う相手を連れてきて、服装の雰囲気も変わったし頼む飲み物まで違うものになっていることがある。(あっ……)と思うが、心なしかお客さんのほうも気まずそうに明後日の方向を見ているのでそっとしておく。その一方で、ずっと一人で来ていたお客さんがデートに挑んでいるのを見ると(頑張れ!)と応援したくもなる。こんな風に誰かの人生や恋模様を定点観測するのもまた一興。

 モーニングの時間帯にたまに現れ、朝一で絶対にウォッカのロックを注文するおじさんがいる。常に目が据わっているし独り言も多いのでずっと怖いと思っていたのだが、特に話しかけられるわけでもないので「無害」認定されていた。ある日、一人で店番している夜におじさんが来店して、珍しくウィスキーを頼まれた。(どの時間帯でも酒なんだな……)と思いつつ、虚空を見つめるおじさんに「水割りかストレートかロック、いかがなさいますか?」と聞いたら突然拳を振り上げてきた。突然キレるタイプの酔っ払いか、いよいよ暴力ですか、と身構えた瞬間、「ストレートにする。これはアッパーです。あ、オヤジギャグね(笑)」と一人でウケていた。全然面白くないし普通に腹が立ったので、マスクの下で歯を剥き出しにして威嚇した。

 ここまで全て店員側の目線で書いてきたが、わたし自身もお客さんとしてお店で失敗していたことがある。よく通っていたカフェでなんだか店員さんの視線を感じると思っていたら、自分が毎回入り口ではなくテラス席へ続く窓をこじ開けて入店していたことにある日気づいた。結構通っていたのに、最後まで誰も何も言ってくれなかったんかいと恥ずかしくて死にそうな気持ちになった。まあ、気づかなかった自分が悪いのだが……。今思えば絶対になんらかのあだ名を付けられていたと思う。カフェの店員さんたち、すみませんでした……。

 2年ほど前だろうか。「あいさん」という常連のお姉さんがいて、いつもおしゃれでやさしくてみんなに好かれていたのだが、あいさんの彼氏がかなり天然でこれまた癒やされていた。恋人とはやはり似たもの同士でくっつくのか、あいさん同様礼儀正しく好印象の彼。ホットコーヒーを出したあとにお冷やを注ぎにゆくと、「熱くてうめえっす」と頭を下げられた。「熱くてうまい」という評価は初めて聞いたのでつい笑いが漏れてしまった。あるときは「すいません……味噌汁ってあります?」と聞いてきたらしい。人によっては「は?うちは喫茶店ですけど」と眉を顰めそうな質問だが、あいさんの彼に関しては「なくてごめん……」と思うので不思議だ。これが人徳というやつなのだろう。ふたりはやがてよその県に引っ越してしまったが、いつかまた二人で来てほしい。あいさんたちのことを時折ふっと思い出しては、元気かなあ、と思う。
 
 毎日百人以上の人が訪れる。それぞれの人生にドラマがあり、出会いと別れがある。しがない喫茶店員のわたしも、常に誰かの人生に関わっていることを思うと、無性に感動したりする。この店では「店員もお客様も対等な関係であること」を大切にしているから、いつも素直な気持ちでいられる。うれしいときは笑うし、嫌な気分になったときには声を上げる。わたしはずっと、フェアであることに救われてきた。
 
 今年のはじめだっただろうか。長く一緒に仕事をしている先輩に「本当に明るくなった、あなたは変わったよ」と言われたとき、鼻の奥がつんとした。「誰とも関わりたくない、人がこわい」と塞いでいた過去があったことを思うと、生き直すことができて本当にうれしい。

僕のマリ(ぼくのまり)
1992年福岡県生まれ。物書き。2018年活動開始。同年、短編集『いかれた慕情』を発表。ほか、単著に『ばかげた夢』と『まばゆい』がある。インディーズ雑誌『つくづく』や同人誌『でも、こぼれた』にも参加。同人誌即売会で作品を発表する傍ら、文芸誌や商業誌への寄稿なども行う。2019年11月現在、『Quick Japan』でbookレビューを担当中。最近はネットプリントでもエッセイを発表している。
Twitter: @bokunotenshi_
はてなブログ: うわごと
連載『常識のない喫茶店』について
ここは天国?はたまた地獄?この連載では僕のマリさんが働く「常識のない喫茶店」での日常を毎月更新でお届けしていきます。マガジンにもまとめていきますので、ぜひぜひ、のぞいてみてください。なお、登場する人物はすべて仮名です。プライバシーに配慮し、エピソードの細部は適宜変更しています。


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