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終戦記念日を前に語りあった、僕たちが知らなかった戦争のこと|『戦争の歌がきこえる』刊行記念イベント【文字起こし】

 2020年8月8日 (土) に、佐藤由美子 著『戦争の歌がきこえる』(柏書房)の刊行を記念するオンラインイベントがおこなわれました(「終戦記念日を前に語りたい、僕たちが知らなかった戦争のこと」)。この本は音楽療法士である彼女がアメリカのホスピスで出会った、戦争を生き抜いた患者さんやご家族から聞いた物語を記録した一冊です。

 いわゆる“戦争を知らない世代”による座談会には、休日の早朝にもかかわらず、100名近い方々が年齢・性別を問わずご参加くださいました。先の大戦を経験した人たちや語り部の方々は、年々少なくなっています。そうした状況において、私たちは何を語れるのか。どのように記憶を継承し、あるいは、記録していけるのか。当日はそのようなことをテーマに語り合いました。

 本稿は、1時間強に及んだ座談会から一部を抜粋し、文字起こししたものになります(読みやすさを優先し、言い回しなどは多少変更し、適宜言葉を補っています)。75回目の「終戦記念日」を前に、みなさんは何を思い起こすでしょうか? この記事が、記憶と感情をゆさぶるささやかなきっかけとなれば幸いです。

(文字起こし・構成=天野潤平)

▼動画はこちらからご覧になれます▼

▼登壇者プロフィール▼

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著者:佐藤由美子(さとう・ゆみこ)
ホスピス緩和ケアの音楽療法を専門とする米国認定音楽療法士。バージニア州立ラッドフォード大学大学院音楽科を卒業後、オハイオ州のホスピスで10年間音楽療法を実践。2013 年に帰国し、国内の緩和ケア病棟や在宅医療の現場で音楽療法を実践。その様子は、テレビ朝日「テレメンタリー」や朝日新聞「ひと欄」で報道される。2017年にふたたび渡米し、現地で執筆活動などを行なう。著書に『ラスト・ソング――人生の最期に聴く音楽』、『死に逝く人は何を想うのか――遺される家族にできること』(ともにポプラ社)がある。

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主催者:税所 篤快(さいしょ・あつよし)
国際教育支援NPO e‐Education創業者。1989年生まれ、東京都足立区出身。早稲田大学教育学部卒業、英ロンドン大学教育研究所(IOE)準修士。19歳でバングラデシュへ。同国初の映像教育であるe‐Educationプロジェクトを立ち上げ、最貧の村から国内最高峰ダッカ大学に10年連続で合格者を輩出する。同モデルは米国・世界銀行のイノベーション・コンペティションで最優秀賞を受賞。五大陸ドラゴン桜を掲げ、14ヵ国で活動。未承認国家ソマリランドでは過激派青年の暗殺予告を受け、ロンドンへ亡命。現在、リクルートマーケティングパートナーズに勤務、「スタディサプリ」に参画。同社では珍しい1年間の育児休業を取得した。著書に『前へ! 前へ! 前へ! 』(木楽舎)、『「最高の授業」を、世界の果てまで届けよう』(飛鳥新社)、『突破力と無力』(日経BP)など多数。

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ゲスト:徳瑠里香(とく・るりか)
編集者・ライター。1987年、愛知県生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒。出版社にて、書籍やWEBメディアの企画・編集・執筆を行った後、オーガニックコスメブランドのPR等を経て、独立。現在は多様な「わたしの選択と家族のかたち」を主なテーマに執筆・編集等を行う。著書に『それでも、母になる-生理がない私に子どもができて考えた家族のこと』(ポプラ社)がある。

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ゲスト:徐 東輝(そぉ・とんふぃ)
1991年大阪生まれ。京都大学・同大学院法学研究科卒。在学中にNPO法人Mielkaを創設し、データ・デザイン・テクノロジーを用いて民主主義をアップデートするための事業を展開。政治情報サービス「JAPAN CHOICE」を開発し、50万人のアクティブユーザーを獲得。2017年弁護士資格取得。企業法務・情報法の専門家として社会に価値のある情報空間の設計を提案する。2019年にスマートニュース株式会社に参画しデータ戦略、コーポレート・ガバナンス戦略の立案等に従事する。ライフミッションは、良質な情報空間を醸成するアーキテクチャを設計し、幸せな民主主義を実現すること。

それぞれのバックグラウンド

税所 『戦争の歌がきこえる』の出版記念イベントにご参加いただきありがとうございます。今日はアメリカにいる佐藤さんとZOOMをつないでいます。100名ぐらいの方が日本中、または世界中からきてくださっています。
 私は税所篤快と申しまして、東京で子育てをしながら教育関係のフィールドワークをおこなっており、ときどき本を書いたりしています。今回の本の編集者である天野さんとは友人で、この本が出版されると聞いたときに、なんかすげえ面白そうだなと(笑)。めっちゃ話聞きたいんだけど、ということでこの会をぜひやりたいとお願いしまして、友人である徳さんとトンフィを誘って企画させていただきました。
 では、先に佐藤さん、一言お願いしてもいいでしょうか?

佐藤 みなさん、今日は朝早くからご参加いただいてありがとうございます。「戦争」という重いテーマではあるけど、会話することが大事だと思うので、今日は楽しみにしています。

税所 よろしくお願いします。では、ゲストとしてきてくださっている徳さんとトンフィにも自己紹介してもらいましょうか。まず徳さんから。

 はじめまして、徳と申します。ふだんは編集とライティングの仕事をしていまして、人の話を聞いて書いていく、ということをしています。私自身は1987年8月15日の終戦記念日に生まれて、戦争を知らずに育った世代ではあるんですね。「戦争」については、日本の教育の中でふれてきたくらいでした。
 ただ、祖父が陸上自衛隊だったので駐屯地の近くに住んでいて、小学生のころから訓練の音を聞くような感じだったんですよ。海軍工廠の跡地も近くにあって。そういう意味では、地元に暮らしていても戦争にふれる機会はありました。
 でも、今回佐藤さんの本を読んでまた全然違う側面を知って。この本をきっかけに考えたこと、“戦争を知らない世代”として感じたことを、みなさんとお話しできたらと思っています。

税所 ではトンフィ、よろしくお願いします。

東輝 はじめまして。ソォ・トンフィと申します。ふだんは東京で弁護士をしているのですが、名前からご推測いただけるとおり、私は日本育ち、日本生まれの韓国人、いわゆる“在日韓国人”といわれる立場の者です。中学の3年間は韓国の教育を受けましたので、歴史という側面からいうと、日本と韓国、どちらの教育も受けてきたという面がございます。
 大学院のころから自分でNPOをやっていまして、そちらで政治教育だったり、選挙のときにみなさんに情報を伝えるようなウェブサイトを作っているのですが、2年くらい前の終戦記念日にですね、20カ国くらいの留学生たちと「戦争」とか「徴兵制」を考える、というようなトークセッションの場をもったことがあります。そのときに、いろいろな人が考える戦争とは何かとか、軍隊に行くとはどういうことか、という価値観を学びました。
 改めて今日、佐藤さんの著書を拝読しまして、そのときのことを思い出しましたし、あるいは自分自身がふれてきた環境のもとでもさまざまな歴史認識がありましたので、そのあたりのことも含めてディスカッションできればと思っています。

この本は「書きたい」ではなく「書き残さなきゃいけない」ものだった

税所 今回の本は佐藤さんにとって3冊目の著書になりますが、ご自身で文章を書かれることはもともとされていたんですか?

佐藤 いえ。最近インタビューで聞かれたときに気づいたんですけど、何か文章を書きたいな、書こうかな、と思ったのが2007年、いきなりだったんです。これまで文章を書きたいと思ったことは一度もなかったので。急に書こうと思った理由というのは、「書きたい」というよりも、「書くことがある」と思ったからなんですよね。最初に「書かなきゃいけない」と思ったのが、今回書いた戦争を経験した人たちのことだったんです。

税所 あ、いちばんはじめに思ったことだったんですか?

佐藤 そう。そういうものが積もり積もって、書かないと、書き残したないな、と思った。まあ、そこにたどりつくまでには何年もかかったんですけどね。

税所 じゃあ、順番としては今回の本がいちばんはじめに書きたかったもの?

佐藤 うーん、どうでしょうね……。最初に書いた『ラスト・ソング』には時子さんという、沖縄で戦争を経験した人の話が出てくるのですが、多分、その人の話も書きたくはなかったんですよ。最初は。
 天野さんという担当の編集者と最初に会ったときに、「これまでのケースをもってきてください」と言われたんですけど、戦争の話をしたくなかったから彼に話すのも避けていて。でも、最後にちょっとその話をしちゃったのかな。そしたら、「それを書いてください」と言われて、それで時子さんの話を書いたんですけど。やはり、まだ実力がないから書けないな、と思いましたよね。「戦争」に関しては。
 時子さんのときもそうだったけど、責任のレベルが違うというか。人の話を書くということそのものに責任はともなうものだと思うけれど、「戦争」という大きなテーマを取り上げるというのは特に難しいことだなって思いました。時間がかかりましたね。

ナショナリズムや歴史修正主義への危機感

税所 今回ゲストできている徳さんも人の物語を聞いて、書くことを仕事としてやっているわけですが、今回この本を読んでみてどうでしたか?

 今まで、戦争に関する「個人の物語」って、日本の戦争体験者の話しか聞いたことがなかったので、アメリカの人たちの顔とか心っていうのは見えていなかったんです。なんかすごく勝手なイメージで捉えていて、やっぱり日本は被害者だっただとか、声を持たない多くの国民が犠牲になったとか、そういう話しか聞いたことがなかったので。今回この本を読んではじめて、アメリカで戦った人たちの顔がぐっと迫ってきました。
 やっぱりそれは、佐藤さんが「個人の物語」として書いてくれたからだと思います。そして、その中で日本も加害者であり、国民も無知・無関心であることで「無言の加担」をしてきたという側面に気づいたことがすごい衝撃でした。歴史の教科書で学ぶものとは違う捉え方ができなのかな、と思います。
 先ほどの話に戻っちゃいますけど、佐藤さんが「書けない」と思っていた戦争の話を「書ける」と思ったきっかけはなんだったんですか?

佐藤 やっぱり、戦争のことは頭にずっとあったんですよね。2013年に日本に帰国して、その後、青森の慈恵会病院というところの緩和ケア病棟で音楽療法をしていたときにも、やっぱり戦争経験者である患者さんがたくさんいたんです。それはもちろん日本側の話で、青森大空襲を経験しただとか、青森から満州や樺太に行っただとか、そういう話を聞いたりしていたから、やっぱり戦争のことはずっとあったんですよ。夫が空軍ということもあるし。
 それで、いざ「書く」となったのは、編集者と話しているときに、日本のナショナリズムだったり歴史修正主義、つまりこういう事件はなかったとか、あったけど実は違ったとか、そういう流れを見たときに、自分にできることはなんなのかな、というか、患者さんたちから聞いてきた話をいつか書きたいなと思っていたけれども、それをやるのは今なのかな、って思った。日本やアメリカの現状を見たときに心配になったからなんですよね。

 その気づきがこの本にはありますよね。つまり、戦争のときの日本は民主主義ではなかったし、国民は犠牲者だという意識がすごく強かったんですよね。日本の教育の中では。でも、やっぱりそのときに、私たちも今、もしも戦争がまた起きたときに、無関心のままで何も知らないままでいたら、そこに加担してしまうかもしれない、ということが怖くなりました。

佐藤 日本人の多くが犠牲になったというのは事実ですからね。原爆だとか空襲だとか、戦地に送られた人とかね。本当に多くの犠牲が出たから。戦後すぐに犠牲のことに集中してしまって、加害のことは語らなかった、語れなかったというのはわからないでもない。けど、この75年のあいだにそれが国の政策としてなされてこなかったというのは、日本人にとって、私たちにとって、マイナスだったんじゃないかなって。本当はもっと学べることがあったんじゃないかなって。もちろん、今からでも遅くはないと思いますけど。

 ちょうどいいタイミングではありますよね。75年経って、私たちは戦争体験者ではないので、その分まだ思考を柔軟にできるというか、そういう側面があったんだと捉えることができる。そのスタートラインに立っている感じはします。

あの戦争をどう名づける?

税所 トンフィはどうですか? 

東輝 僕が読んだときに思ったのは、この本は「記録」だなって。もちろん佐藤さんの叙述ではあるんですけど、若くして死に向かい合った方々の最期の言葉を、佐藤さんがお聞きし、まとめてくださった記録だな、と思いました。彼らが戦争と向き合った年代というのは、今僕は29歳なんですけど、僕よりも少し若いくらいだと思うんです。

税所 たしかに。

東輝 そのときに形成された記憶が、80歳とか90歳とかになるまで、強烈な記憶として脳の刺青のように入っていて、おそらく身内に言えないこともたくさんあったはずなんです。それを音楽療法士として向き合う佐藤さんに亡くなる直前に出会えて、残しておかなければいけない言葉を残しているんだな、と思ったんです。だから最初は「記録」だと思いました。
 でも、あとで深掘りしたいなと思っていたところ、実はこの本の本質は、その証言を受けて佐藤さんが書いた「補遺」ではないかと思ったんです。まだ読んでいない方はぜひそこを読んでいただきたい。ただ、それはそこだけ読んでも意味がなくて、個々の戦争の当事者の声を聞いた上で佐藤さんが感じたことを読んではじめて、本質はここにあるんだな、と感じられることだと思いました。

佐藤 具体的に補遺の部分で印象に残ったところはありますか?

東輝 まず衝撃を受けたのが、「あの戦争どう名づけるか」という観点。おそらくこれは、日本の中で日本の教育を受けているだけだと出てこない観点だと思うんです。
 あるいは、ちょっと違う観点でいうと、8月15日をなんと呼ぶかは、おそらく日本だと「終戦記念日」が「敗戦記念日」しか出てこないはずなんです。そういうひとつの教育のもとで、ひとつの当事者から話を聞いていると、そうとしか名づけられない。それに対して、この本のように他の当事者から話を聞くと、あの日は、あの戦争は別の意味をもつ日だったということが非常に身体性をもって現れてくる。だってあれは、アジアの人たちからするとまた別の戦争だったはずですから。それがまず一点目。
 補遺には4つの観点が出てくるんですけど、これ、ネタバレにならないように言わないといけないんですけど(笑)、一点目で「あの戦争どう名づけるか」が出てきたというのは、非常に素晴らしい問題提起だと思いました。

佐藤 ありがとうございます。

韓国における「8月15日」

佐藤 ちなみに、トンフィさんは“在日韓国人”として育ったということですが、「終戦記念日」のことを「光が戻った日」と……

東輝 ああ、そうです。みなさんはひょっとするとご存じないかもしれないんですけど、韓国では8月15日を「終戦記念日」とか「敗戦記念日」とは言わずに、光が戻った日、「光復節」と書くんですね。私は韓国の家庭で育ったので、家で「今日、終戦記念日だね」と言うと、親から「そういう言い方じゃない」と指摘されるんです。これは何かというと、1910年から45年まで続いた日本による暗黒の支配が終わり、韓国に光が戻った日、という文脈で使われている。やっぱりそこでも名づけが違うんですよね。

佐藤 うんうん、そうですよね。

東輝 この本を読んでいて、これって日本と韓国に限った話じゃないと思ったんです。例えば私は日本で生まれ育ちましたけど、沖縄の人たちにふれてはじめて6月23日がもつ意味を知りました。彼らにとっては8月15日より「沖縄慰霊の日」である6月23日のほうが重要な意味をもっていて、国の中ですらその分断が起きている。そのことが、その日をなんと名づけるか、ということから見えてくるのだと感じました。

「戦争」から見えてきた自分のルーツ

税所 参加者の方からメッセージをいただいています。「徳さんが『本をきっかけにLINE通話で当時小3だった84歳の祖母に戦争の話を聞きました』とつぶやいていたので、どういう話をしたのか教えてほしいです」ということです。

 私の祖父は他界してしまっているんですけど、祖母は今84歳で、愛知県の豊川市に住んでいます。今は実家に帰って会って話すことができないので、LINEの通話で祖母の話を聞いておきたいなと思って、画面越しで話しました。
 当時、祖母は小学校3年生で、海軍工廠が近くにあったんですね。お兄さんの歳が離れていて、18歳で戦死しているんですけど、そのときに送られてきた写真とか、すごく覚えてるんです。どんな表情だったかとかを明確に。それから、豊川市では海軍工廠を狙った空襲が結構あったみたいで、そのときはB -29から逃げるんじゃなくて、飛んできた方向に走っていくんだと。

税所 へえ〜!

 爆弾を落とされちゃうからそっちに走っていくんだと。そういうことを鮮明に覚えていて。もちろん、それは祖母が体験した側面でしかないけれども、そうやって戦争を経験した人っていうのがこんなに近くにいたのに、ちゃんと聞いたのははじめてだったというか。
 祖父は私が12歳のときに他界してしまって、聞いたことがなかったんですけど、陸上自衛隊だったんです。奄美大島で生まれて鹿児島にきて、本当は警察になりたくて警察予備隊に入ったら、自衛隊になっていた、という時代。祖父は終戦時に15歳だったので、そういう時代の中で自衛隊に入ったんだと知って、でもそこに入ったから駐屯地のある豊川で祖母と出会って私は生まれているんですけど……。自分のルーツを知ったような気がして、このタイミングで話ができてよかったと思う。そのきっかけをくれたのは佐藤さんの本でした。

佐藤 それはよかったですね。ありがとうございます、共有していただいて。

聞けなかったことの後悔

税所 同じく、「トンフィさんも祖父母さんから聞いている話があれば、よければ共有していただけたら」というメッセージをいただいています。

東輝 結論から述べると、僕はほとんど聞いたことがなくて、めちゃくちゃ後悔しています。早くに、と言っても、自分が高校生か大学生の頃に両方の祖父母が亡くなったり、母方の祖母が去年に亡くなったんですけど、改めて戦争の話というのを聞いたことってなくて、すごく後悔しています。
 他方で、どうやって日本で生きてきたのか、その大変さとか、どういう差別にあってきたのかという話は聞いてきたつもりではあるんですけど、戦争という意味では、どうやってこの国にやってきたのかくらいのことしか聞いたことがない。
 今思うと、おじいちゃんおばあちゃんに聞くのが本当に照れ臭くて……

税所 ああ、わかるわかる。

東輝 でも、今さらながら本当に後悔していて。今回、同世代の人がもしオーディエンスにいらっしゃるのであれば、そして、おじいちゃんばあちゃんがご存命なのであれば、ぜひ場をセットしてですね、もう、インタビューさせてほしいくらいの感覚で。

税所 あはは(笑)

東輝 俗っぽい言い方になるんですけど、テレビでやってる証言とかって、今さらながらすごい貴重な記録になっていると思っていて。NHKとかジャーナリストの堀潤さんとかが「戦争証言」をアーカイブするプロジェクトをやっているんです。いよいよ戦争を知っている人たちが少なくなってきている中で、今生きている方々の動画を撮りつづけ、話を聞く。一年に一回、こういうタイミングには僕も見るようにしているんですけど、自分のおじいちゃん、おばあちゃんの動画も撮っておけばよかったと思いました。
 あと、僕がすごく好きな番組で「水曜日のダウンタウン」っていうのがあるんですけど、100歳前後になった人にインタビューするという企画があったんです(「100歳の人の話今聞いておかないと後悔する説」)。「今までに食べたいちばんおいしいご飯はなんですか」という質問に、「戦争が終わったあとに食べた白いご飯」だとか、「GHQからもらったチョコレート」だとか、そういう話を聞くときに、この人たちの言葉って残さないといけないよな……って思う。

税所 うんうん。

私たちはいがみあって当然という「空気」を打ち破りたい

東輝 それで、この本を読んで僕らができることっていうのは、首相とか政治家が終戦記念日前後にいつも言う、「あの惨禍を起こさないために」という主語がどこに言ったのかわからない、誰が、誰に起こさないのか、という視点を欠いた一言「誠に遺憾である」という言葉に対して、どうコミットするのかということ。それを考えないといけないと思うんです。
 本にもあったように、あれは為政者がはじめた戦争という側面もあるんですけど、他方でそれを許していた民衆というのもあるんですね。僕自身は、加害者と被害者がずっと子孫永劫いがみあう必要はないと思うんですけど、なぜああいうことがおこなわれたのかという意思決定システムそのもの、あるいは「空気」そのものは見直さないといけないと思っています。
 やっぱり、「空気の支配」でそうなっていったというのがあの戦争だと思いますし、今もひょっとするとそうなっているのかもしれない。それに自覚的になるタイミングって、一年に一回このタイミングしかなくて、そこにこの本があることの意義は小さくないと思うんです。

佐藤 トンフィさんのおっしゃる「空気」って、具体的にはどういうことなのでしょう?

東輝 僕は民衆が根本的に悪いとは思っていないんです。基本的には為政者が意思決定をするものだと思っているので。でも、民衆同士が今もいがみあっていると、まあ僕自身が日韓両方のアイデンティティをもっているので、日本と韓国が歴史認識だとかあの戦争のことでいがみあいつづけるというのは、すごく嫌なことだと思っているんですね。
 今っておそらく、日本と韓国の空気として、日本と韓国はわかりあえないだとか、隣国だけど疎遠な国となってもいいとか、そういう空気が流れているような気がするんです。それは韓国だけじゃなくて、中国もそうかもしれないし、いろんな場所であると思うんです。それを許容しつづけることは、いつか起こる分断、それが武力的なのか経済的なのかわからないですけど、それに私たちが寄与しつづけているだけだと思うんですよね。

佐藤 うん、うん。

東輝 そう思ったのが、冒頭で述べた20カ国の子たちと「戦争」や「徴兵制」について話をしたときでした。僕は全然知らなかったんですけど、フィンランドの留学生が、「フィンランド人は全員ロシア人が嫌いだから」と言うんです。なぜなら、「彼らは戦争で条約を破って踏み込んできたからだ」と、「だから永遠にいがみあうんだ」と言っていたときに、なんか日韓関係とものすごい近いものを感じて。それでもその彼は、「そこに寄与したくない、そういう空気を打ち破りたい」と言っていて。それを聞いて、それはすごくいいことだな、と思ったんですよ

「被害者」意識が一転するとき、ふたたび戦争が起こる?

佐藤 日本と韓国は近い国だから、過去のことで問題があるというのは、当然あるのでしょうね。アメリカ人の中でも、例えばメキシコ人に対する差別とかはあるんだけど、日本と韓国の状況がどんどんひどくなっていっているんだな、というのは帰国してびっくりしたことのひとつで、この本を書くひとつの理由にもなったと思うんですよ。私自身、大学院の親友が韓国人だったので。
 アメリカにいると、私が「日本人」だということは誰にもわからないです。ただ「あなたはアジア人でしょ?」という感じ。だから「私は日本人だ」とか、そういうふうにも感じない。でも日本に帰ると、アジア人同士でもいがみあっているというのは非常に心配なことだし、トンフィさんのような方たちにとっては恐怖に近いものを感じることさえあるんじゃないかと思うんです。
 先ほどのお話の中に、日本は被害者でもあり加害者でもあった、というのがありましたが、「被害」だけに焦点を当てておくことについていちばん心配しているのは、まず、「加害」の面を見つめないというのは正直な態度ではないですよね。それが前提としてあるんだけど、次に心配なのが、私たちが聞かされてきたこと、信じてきたことというのは、「日本人はこんなに被害を受けたのだから二度と戦争はしてはいけない」というストーリーだと思うんです。もちろんそれは間違いではないけれども、ひとつの側面でしかないわけです。
 でも、私たちが「日本人はこんなに被害を受けたのだから二度と戦争をしてはいけない」というストーリーでこのままいくと、次にもし何か「敵」が出てきたときにですね、それが「架空の敵」であっても、政治家が「こんな敵がいるぞ」と恐怖を煽れば、被害者意識が強ければ強いほど、自分たちがまた被害者となるのが怖いから「なんとかしなきゃ!」と思考が一転する可能性があるんです。だから、それがすごく心配。
 平和って、「平和がいいよね」というふうにスローガンとして唱えていたり、信じていたりするだけでは足りないんですよ。それよりも、もっとアクションとして実行していかないといけない。選挙で投票するのもアクションのひとつ。在日韓国人に対してヘイトスピーチをしている人がいたとして、それを見てみぬふりをしているのだとしたら、complicit、「無言の加担」をしているということになります。だから、あえて声を上げるだとか、そういうことを一人ひとりがやっていかないと、これからのことが心配ですよね。

税所 佐藤さん、ありがとうございます。ちょうど時間がきております。そろそろまとめに入りましょうか。

それぞれが考えたこと(その後の話)

イベント当日は、このあとにまとめとして、それぞれからコメントがありました。その内容については動画(vol.6)でご確認いただけたらと思います。本稿ではあえて、イベント終了から数日が経ち、改めてみなさんが「あの日」感じたこと、考えたことをシェアいただくことにしました。

税所さんより
イベントの翌週8月12日に我が家に次男が産まれました。イベントの最後のほうでは、徳さんから「自分たちの子どもに、体験していない戦争をどう伝えるのか」という話があったのが印象に残っています。果たして僕たちの世代は、僕たちが直接経験していない戦争の話を、息子の世代とどんな風にしていくのでしょうか。願わくは、息子たちの人生が引き続き、戦争を経験しなくてすみますように。先月対談したジャーナリストの田原総一郎さんが「俺が生きている間は、戦争は起こさない。戦争を起こす総理大臣は俺が退陣させる」と凄い迫力で話されていた。僕は田原さんみたいな迫力はないけれど、その思いへの切実さは変わらないと思う。
徳さんより
佐藤さんの著書を読んで、こうしてみなさんとお話をして、これまで自分が学んできた「戦争」とは違う側面を知ることができました。一つの角度ではなく多様な側面にふれることで自分の無知や偏見と向き合っていくこと、大きな主語ではなく自分たちの言葉で語り合っていくことの大切さを改めて感じます。この本をきっかけに聞いた祖母の戦争の話や考えたことを伝えながら、いつか、自分の娘と戦争について語り合ってみたいです。
トンフィさんより
著書を拝読した際、なぜ佐藤さんはこれほど人から言葉を引き出せるのか不思議に思っていました。しかし、この出版記念イベントを通じて、佐藤さんが人の心の奥底にある言葉を引き出す大変な聞き手であられることを知りました。その佐藤さんが引き出したこの本の登場人物の方々の声は、後世に残されるべき「戦争の当事者」の言葉です。「◯◯人」、「敗戦国」といった大きな主語で語るのではなく、具体的な一人ひとりの声を聞き、そこから見えてくる戦争の本質を佐藤さんはこの本を通じて教えてくださいました。この本、そして著者の佐藤さんに出会えたことに心から感謝しております。
佐藤さんより
はじめてお会いする3人と、先の大戦を取り巻く難しい問題についてオープンに話し合えたことが貴重でした。「光復節」の話を聞きながら、あの日は多くの日本人にとっても「光が戻った日」だったのかもしれない、と思いました。もちろん、戦地で命を落とした人や、空襲や原爆で犠牲になった人の命は戻ってきませんし、遺骨が戻らなかった家族にとっては終わりなどなかったはずです。それでも、ようやくこの長く恐ろしい戦争が終わった、もう戦場に行かずにすむ、あるいは行かせずにすむ、という意味で、ほっとした国民も少なくなかったのではないでしょうか。私も徳さんと同じように、日本人は「犠牲者」という意識が強くありました。悪かったのは「一部の指導者」と教えられてきましたから。でも、アメリカのホスピスでさまざまなバックグラウンドをもつ人たちと出会い、話を聞く中で、少しずつこの戦争の違う側面にふれることができました。こういうことを日本の方々と話し合う機会があまりないので、今回いろいろな発見がありました。ありがとうございました。

読者のみなさんがこのイベントの文字起こしを読んで何を感じたのか、あるいは、この75回目の「終戦記念日」に何を感じているのか、SNSやnoteなどで教えていただけたら幸いです。ここまでお読みただき、ありがとうございました。

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