紀寿(100歳)を祝う意味?

100歳になると市町村から祝われることを職場で聞いた。これ疑問を感じたので、今回の論点にします。

行政が祝う意味はない


100歳を祝う意味なんて冷静に考えるほど見つからない。簡単な話、社会に還元できない人に対する助成金が年金。これにプラスして現役世代の税金から祝い金を捻出する必要はないと思います。年金を60歳から受給できる世代だから、40年間は年金で暮らしている。それで生活が安定している人に、今更数万円を渡す意味があるのだろうか。いや、ない。お金の価値は低減すると仮定すれば、100歳で貰うお金の価値は0に等しい。なぜなら、死は目の前に迫ってるから。それなら、現在60歳を迎えた人に年金暮らしに向けた準備金として渡した方が、経済も周りお金の循環という観点からも好ましいのでないかと考えてしまう。しかも、お金の給付には数人の市役所職員を充てており、100歳を迎えた全国6,060人に対して払う金額より、職員を働かせる金額の方が高くなる。給付額は1-5万円とすると、平均3万円。9万人に配ると、約2億円。全国市町村1,724に対して、各市町村の担当が2人、時給2,500円、全ての事務処理に30時間かかると仮定すると2.5億円。簡単な計算でも費用対効果が薄いのに、実態は余計に時間がかかっていることも容易に推測できる。こんなことに全国の市役所職員が手を焼いているなら、本末転倒な無駄なイベントだと思ってしまいます。

祝うメリット


物事にはメリットとデメリットがあります。デメリットは、前に書いたとおり。一方でメリットは何なのかも考えることは、多面的に物事を考えられるうえで重要です。

①100歳という凄さが最も分かりやすい数字

やはり100歳という年齢は分かりやすい。とてもキャッチーな数字です。そのため何かイベントを起こしても批判は少なく、イケイケドンドンで始めたのでしょう。人が生きる中で最も凄さが分かりやすい数字なので祝っている。それだけ。

②個人より周囲を配慮した

100歳となると1人で生活している人はいません。何も祝ってくれないより気持ちでも祝ってくれたほうが嬉しいてすよね。それだけです。

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