ニューヨーク・タイムズと日本の新聞

 編集権と経営がきちんと分離されていれば、日本の新聞社もニューヨーク・タイムズのように株式を公開できます。コロナ禍の中でも同紙の株価はIT企業並みに上昇中です。そして、日経の記事にあるように、新しい社長は女性で、広告のプロフェッショナルです。

 Ms. Kopit Levien said, “It’s the honor of a lifetime to lead The New York Times. I see a big opportunity to expand journalism’s role in the lives of millions more people around the world, and to invest in product and technology innovation that engages our readers and grows our business. And at a time when the free press remains under pressure, The Times will continue to invest in and defend the high-quality, independent journalism on which our democracy depends.”

 ニューヨーク・タイムズの発表資料からの抜粋です。格調高いですね。

 株式譲渡制限という株主資格を経営者が決めるための日本の日刊新聞法は、もはや終戦直後という時代背景とともに存続意義を失っているはずです。

 この問題を、不正経理事件を見逃した経営陣の責任を問う株主代表訴訟とともに、日経の幾人かの先輩が提起した際、会社側は顧問弁護士を含めて誰も法制定時の国会質疑において、日経の役員がある重要な証言をしていることを知りませんでした。

 日経の株式は持ち株団体から社員が1株100円で買い、社を離れるときも同じ値段で売り戻す仕組みで、誰に株式を持たせるかは経営陣が決めています。

 ところが法制定時、日経の経営状態は極めて悪く、値段を下げても社内で買い手がつかないので役員が買い取って株式の社外流出(特に共産陣営への流出)を防いだりしていました。

 戦後の民主化の中でも、新聞だけは株式の譲渡制限できるよう、議員立法で日刊新聞法ができた経緯です。

 ではもうかった時は経営陣とそのお気に入りだけが配当で懐を潤わせるのか、という疑念が当時羽仁五郎ら左派の国会議員の間に生じますが、ここで日経の役員は「新聞社は取材にためにお金がいくらあっても足りないくらいで、決して株主が私腹を肥すことにはならない」という趣旨(やや誇張しています)の説明をして議員たちを納得させたのです。

 つまり、日本の新聞社は日刊新聞法の株式譲渡制限特例を利用する限りは、協同組合や公益社団法人みたいなものなのです。

 しかし、事業が複合化し、M&Aも当たり前になると、この日刊新聞法はもはや無用の長物。意思決定も事業の成長も妨げる障害になっているだけだと私は思います。だって、日経は英フィナンシャルタイムズ(FT)を買収しましたが、FT の社員たちは社長や編集長のような役員だって日経の株式を所有できないのですから。

 もう十数年前ですが、日経が出版部門と出版子会社を統合した時、同じ組織の中に日経に入社したからという理由だけで日経の株主になった若い社員と、幹部なのに子会社入社だから株主になれないベテランがいる状態が現実のものとなりました。

 そのころ、元出版局長で株主代表訴訟や持ち株譲渡問題を扱う法務、経営企画担当だった喜多恒雄専務(現会長)に私がその点を指摘したら、彼は「持ち株などをめぐる訴訟が終わったら、検討すべきことだ」と返事をくれました。

 しかし、その後も日経の株式所有制度の見直しは一向に進まないどころか、逆に本人が売り戻しに承諾しなくとも持ち株団体が強制的に買い上げる仕組みまで作っていたのでした。それを知ったのが2年前の秋、定年で退職する私の株式を会社が買い戻す時でした。

 超金融緩和が続いているので、株式市場を使わなくても2000億円もしないFTを買収するお金は銀行が喜んで貸してくれます。だけど、時価総額100兆円を超すようなAmazonやアップルのことを考えれば、メディア業界の資本は誠に貧弱です。

 デジタル市場を開拓するためには、少なくとも兆円の単位でM&Aや先行投資をしなければならないはずですが、いまのような状態では株式交換による提携やM&Aは夢のまた夢。これから普及する技術やサービスを買えません。

 ニューヨークタイムズは株式公開、ワシントンポストはジェフベソス、ウォールストリートジャーナルはマードックという富豪をパトロンにして、それでも報道機関としてのモラルを保てているのはにひとえに編集権が経営と分離され独立を保てているからでしょう。

 そして、そもそも、日経を含めて日本の新聞社は編集権の独立をどこまで定款や現実の組織運営の中で保証しているのでしょう。日刊新聞法の特例に甘えていたので、無防備な会社が多いと思います。日経では定款上の扱いを質問する人も教えてくれる人もいませんでした。

 会社が株主を選ぶ日経のような新聞社と、東京からインターネットでも株式を売買できるニューヨークタイムズのような新聞社と、どちらがこれからの読者との関係を密に保てるでしょう。私はそんな好奇心からニューヨークタイムズの株式を買ってみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?