「淀川」

⑤八幡

 京街道から別れ河内の国を通て高野山に向かう東高野街道が、京阪八幡駅の前を通っている。駅前には観光案内所や旅館もあり小さの観光地のようだ。ここに来る観光客の主な目的は男山の石清水八幡宮である。徒然草で仁和寺のある法師が岩清水八幡宮をお参りに行って、他の参拝者が山に登っているのに何をしに行っているのかわからず、山麓のお寺だけ参拝し、結局本殿を参拝せずに帰ってくるという話がある。今はあちらこちらに参拝の案内が出ているのでそういう失敗を犯すこともないだろう。駅のすぐ横からケーブルカーも通っているので、体力に自信がない人も安心してお参りできる。実際に徒歩で登ってみると、なかなかの急斜面で、20分から30分ぐらいはかかる。木々の中を史跡の案内板を読みながらゆっくり歩いていくのは楽しいものだ。頂上付近は少し開けた場所になっており、立派な本殿がある。本殿の裏側、ケーブルの駅のそばに展望台があり、三川合流地点など京都から宇治にかけて一望でできる。京都タワーのはるか奥に見えているのは比叡山で、左手には愛宕山も見える。残念ながら天王山は木々に阻まれ見ることはできない。京阪本線や第二京阪道路につながる京滋バイパスなどが川を横切っており、今でも交通の要所であることがよくわかる。展望台には谷崎潤一郎の文学碑があり「蘆刈」の碑文の文字は自筆原稿を基にしたものだと説明がある。東版にはこの「蘆刈」の書かれた経緯と作品の解説が詳しく書かれている。高橋輝次氏の「僕の創元社覚え書」(2013年10月10日発行 亀鳴屋)によると、東氏は編集者として大谷晃一氏の作品「仮面の谷崎潤一郎」にかかわり、JR住吉駅近くの阿弥陀寺に建てられた谷崎潤一郎の歌碑の除幕式にも参加したとある。東氏の谷崎潤一郎への関心の深さが想像できる。この「蘆刈」の文学碑が建てられたのは1986年7月24日。東版「淀川」が出版されたのが1989年7月14日。しかし、東版「淀川」には何も触れられていない。原稿が書かれたのはその前だったのだろうか。「蘆刈」に出てくる橋本の渡しは京阪八幡駅から大阪方向へ一駅の京阪橋本駅の近くにある。今は町から堤防への上り口に小さな石碑があるだけだ。橋本の町については、東版ではこう書かれている。

「橋本は京阪電車と淀川にはさまれた細長い町で、ここがかつて遊郭として栄えた町だとは、教えられでもしないかぎり気がつかない。」

「だが、その気になって歩けば家の軒下の飾りに、淀の水車や、淀川べりを船を曳いて歩く人の姿などが彫り込まれていたりする。タイルを使った大正ロマンの匂いがする建物なども、他では見られないものである。」

 現在は建て替えが進み、よくある建売住宅になっていたり、更地になっている場所があちらこちらにある。大阪では2018年の大阪北部地震や、同じ年の台風21号の被害を受けて古い家が多く壊れ、建て替えられたから、ここもそうなのかもしれない。それでも何件かは軒下の飾りに恋の泳ぐものが彫られていたり、凝った作りの窓の欄干が当時をしのばせてくれる。細い路地を黒猫が歩いていた。
 八幡市は発明王のトーマス・エジソンとゆかりの深い土地だ。駅前には胸像があり、山上には記念碑もある。東版にはこう書かれている。

「山上にあるエジソンの記念碑を見て、けげんに思われる人も多いようだが、これはエジソンが明治十二年に初めて伝統を作ったときに、ここの境内の竹を使ったことを記念したものだ。」

 訪れた日はたまたまエジソンの誕生日の2月11日だったので、エジソン生誕祭が行われるということだった。12時の開催に合わせて記念碑のそばに行くと、アメリカ合衆国国歌が流れる中、国旗掲揚が行われていた。続いて君が代が流れる中、日の丸が掲揚された。エジソンの誕生日がたまたま2月11日だったので、建国記念の日にアメリカ合衆国国歌が鳴り響くという不思議な光景が繰り広げられることになったわけだ。
 淀川から少し離れるが、八幡市のもう一つの観光名所と言えば流れ橋である。本当の名前は上津屋橋と言い、全長356.5メートルの木造の橋である。時代劇のロケなどがよく行われている。嵐山から木津川市木津まで至る桂川サイクルロードともよばれる自転車道が通っている。流れ橋のたもとには休息所もあり、多くのサイクトが川を眺め休息をとっていた。流れ橋というとおり、増水時には橋げたが流される仕組みになっており、実際によく流されている。今回訪ねたところ、2019年10月12日の台風19号の影響で橋は流れだしてしまっており、重機が何台も並び復旧工事しているところだった。1953年(昭和28年)から1986年(昭和60年)までで9回流されている。平成に入った1990年から昨年までで14回流されている。とくに2010年代で7回流されており、近年の台風の大型化の影響がよくわかる。

※本稿は2020年2月上旬から3月上旬にかけて現地を訪問し書いたものです。
※東版…「淀川」1989年7月14日発行 
    著者 東秀三 
    発行者 涸沢純平 
    発行所 株式会社編集工房ノア
※北尾版…「淀川」1943年1月15日発行
    著者 北尾鐐之助
    発行者 村岡史郎
    発行所 京阪電気鐵道株式会社

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