長生きしたねこ

こんにちは。

先日、推しが有料記事を公開したことで慌てて登録したnoteですが、せっかくなので日記を書くことにしました。

というか、まあ、心の整理というやつです。


私の家では猫を2匹飼っています。

飼っていました。

猫の名前は、緑と書いてりょく。もう1匹は空といいます。そら、と読みます。

両方ともオスで、まあまあなおじいちゃんです。


空は、4月7日、息をひきとりました。

そんなわけであのようなタイトルになった訳ですが、「100万回生きたねこ」をもじったつもりでそうでもない仕上がり。

それくらい、どこにでもあるありふれた、なんてことない話になると思いますが、お付き合いいただけたら。



空は癌でした。リンパ腫というやつです。

最初に発覚したのは約4年前。
夏頃。のどに腫瘍が見つかり、そこから抗がん剤治療をはじめました。

当時すでに11歳、シニア猫というやつで。
毎週の通院、血液検査をしてエコーをみて、抗がん剤を打って。お薬も飲んで。よく耐えてくれたなと本当に思います。

副作用がひどく夜中の2時頃に救急病院にかけこんだこともありました。


そんな約1年の闘病の末、病院の先生から完治のお達し。
その時点でのタイトルはいわば「ガンに勝ったねこ」です。

抗がん剤治療をはじめる前から元々の体質でおハゲちゃんだったので、おハゲが増えたりひげがなくなったりこそしましたが、完治後は「お前、癌だったって嘘だろ?」というくらいめ~~~っちゃめちゃ元気。

癌の発覚以前よりも元気だった気すらする。

空はおしゃべりな猫で、寝てるとき以外はずっと人間に話しかけてくる子でした。猫なのに「ワオン!」と鳴いては人の邪魔をするやんちゃなやつでした。そんな日常が戻ってきました。ひげも少しずつ生えてきました。


そこから2年、これまた、夏頃。癌の再発。

今度は腸に腫瘍が見つかりました。
輸血と、摘出手術、入院を経て、また抗がん剤治療。

言葉にすれば数行ですけど、本当にその時点でいつ死んでもおかしくない病状でしたし、13歳になっていた空は、手術の負担に耐えれるかどうか、そのまま麻酔から覚めない可能性すらありました。

(ちなみに闘病生活の話も、元気だった頃の話も色々書き連ねていたんですが、文章量が50000000倍くらいになってしまったので割愛します。)

出来うる治療はすべて、していただきました。
そして、2週間ほど前から緩和ケアに切り替えました。理由は皆まで言うこともないよね。

それからは一日中しんどそうにテント型のクッションに籠って、1回に数歩あるくのがやっとでした。
ご飯もお水も自力で食べれないので、強制給餌と点滴が欠かせません。
最期の4日くらいはオムツも欠かせない状態でした。




でもその日は、朝からリビングに出てきて。

食卓用の椅子の、父の席にだけクッションがあるんですが、窓際で、東向の我が家のリビングでは朝のそこは日当たりが最高です。
元気だった時のお気に入りのその場所に、手をかけてジャンプした空。(結果的には筋力が足りなくて出来なかったので、人間の手で乗せてあげました。)

もうずっと、ジャンプなんてしてなかったのに!
ずっと、なるべく静かな影の場所にとどまってたのに!
眠ろうとしても、苦しそうで、ほとんど眠れていない様子だったのに!

その日の午前中は、窓からはいるお日様のもと、クッションの上で日向ぼっこをしてぐっすり気持ち良さそうに眠っていました。


なんだか、いつもの空が戻ってきたみたいでした。


その後もお昼にオムツを替えたとき、何か口をもぐもぐと動かして見せてきたので、もしかしてと思っておやつのチュールをあげたらすごい勢いで食べだして。

久しぶりの自力で食べるご飯。
なんと丸々1本(その後夕方にもう1本!)食べきってくれた。


夜は、姉の膝に乗ってきました。
人の膝の上になんて、いつぶりだろうというくらいでした。


空、今日なんか元気だね。
なんか調子いいね。

なんとなく思いつつ、声には出せなかった。


そのまま空がリビングで寝始めたので、今日はチュール食べれたし、夜の強制給餌やめとこうか、その分朝たくさんあげよう。と家族と話して、私は寝床に入った訳なんですけど。


夜中3:00頃に姉に叩き起こされました。「空が痙攣してる」。

そこから、痙攣、安定、を繰り返して。

5:25でした。朝の。
母の腕に抱かれながらの最期でした。

姉は二人とも実家を出ているのですが、一人は心配で泊まりに来ていたので、その姉と、私と、父と、母。家族4人に看取られて。

もう片方の姉こそ立ち会えなかったけど、ほぼ家族全員が揃うことができたのは、本当に良かった。


空は、白い毛にグレーのぶち模様のある猫なんですが、その白い体に鼻と肉球だけがピンクでとってもかわいかったんです。

最期、息をひきとったあと、その鼻と肉球がどんどん真っ白になって。
からだはかたく、つめたくなっていきました。

全然意味わかんないな。って思いました。

うそみたいで、泣きながらやたらと冷静に、からだを拭く蒸しタオルを用意してました。

全身をきれいに拭いてあげて、からだが固まりきる前にポーズを整えてあげて。

もう一人の姉も駆けつけ、家族全員でゆっくり空との時間を過ごしてから、私は仕事に行きました。
仕事中も電車でも「花粉症です顔」をしながらズビズビしてたけど(実際花粉症ではある)、なんとか仕事をこなし、定時で飛び出して葬儀へ。

その日の夜に葬儀をしたのですが、姉二人の旦那さんも仕事終わりに来てくれて、みんなでお見送りできました。

全員すげー泣いたけど、たくさんおしゃべりして我が家らしい明るいお葬式になったなあと。

お水が大好きだったからって末期の水を大量にあげすぎて空の口をびしょびしょにしちゃって笑ったりしながら。

あと、お骨になった空、骨の形がまじで空でびっくりしちゃったな。



ああ、さいごに食べたごはんがおいしいチュールでよかった。(強制給餌のご飯は高栄養価の療養食なので正直まずそうなんだ。)

さいごにお気に入りの場所で大好きな日向ぼっこできてよかった。

その瞬間も、空は寂しがりやだったので、みんなが揃う時間を狙ったんだろうなと思います。お昼だったら仕事中だもん。

天気がよくて夜はスーパームーンだったし。

思えば、入院したのも夏のお盆だったから家族が交代でお見舞いできたし。

そもそも癌を発見できたのだって、たまたま見てたテレビ番組で、猫専門の病院があることを知れたからだし。(最初は近所の犬猫病院に連れていって、「老化でしょうね」と言われた。)

早急に輸血が必要だとなったときも、ボランティア猫さんが偶然見つかって。

不思議と運が強い子でした。良い先生にもボランティアさんにも恵まれました。


私は良い飼い主ではなかったかもしれないけど。


13歳11ヵ月の生涯で、計1年半以上の闘病、絶対に辛かったし苦しかっただろうけど。


少しでもしあわせだったならいいなと思います。

安らかにねむってほしい。




かなり割愛したはずが長くなりました。
読んでくれた方、長いとか関係なく読みにくい文章だったでしょう、すみませんね。ありがとうございます。

今回はこの辺でおしまいです。




空、ばいばい!

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