3.11 9年
9年前。
高校2年生、春休み直前。
短縮授業で早く帰るからと、母の仕事が終わったら一緒に出かける約束をしていた。
いつもと同じように、帰宅後すぐにテレビをつけると、そこは同じ日本ではなかった。
右手にはリモコンを握りしめ、制服で突っ立ったまま動けなかった。
私は岡山県にいた。
私は何も知らない。
いつもの生活で変わったのは、テレビの番組とニュース。
知るのが怖かった。
それから時は流れ、昨年の6月。
色んな縁が繋がり、初めて東北を訪れた。
三陸鉄道の復旧記念で、貸し切ってイベントをやるから歌いに来てくれないか?とお話しをいただいたから。
呼んでくれたのは、盛岡県で居酒屋「里伊」を経営する伊勢央(いせちから)さん。
出会いは、一昨年11月。同11月にオープンした大塚LiveBar○-maru-にて、私が自主企画LIVEをした時のこと。開店のお祝いとして店長に会いに、たまたま岩手から訪れていた伊勢さん。その日のLIVEがきっかけだった。
出演者:スーパーメロディ(芸人)/平原ケイシ/みやぎいっこう/キスシタイ清人/KARUwith.J/店長maruyaMAX
とても天気のいい日だった。
穏やかに風が流れ、時を運んでいた。
列車内では、この日を待ちわびていたたくさんの方が笑顔を浮かべ、おしゃべりをしていた。
三陸鉄道の関係者、三陸鉄道が好きな人、「里伊」の常連の方。たくさんの方。
すごくいい日だった。
歌った。空の色に負けないように。遠くまで届くように。
あの日のみんなの、溢れるくらいの笑顔と手拍子、そしてたくさんの声はいまでもまだ耳の奥に響いてる。
理不尽に無慈悲に失ってしまった悲しみも、それがどんなにどんなに辛くても、無情にも時は過ぎていく。生きていかなきゃいけない。
強くて、優しくて、あったかい。
そんな人たちがいて、自分はこの上ないくらいちっぽけで、できることなんて何にもないのに、歌を歌えるということ。本当に嬉しかった。
三陸鉄道で歌うことが決まり、その日のために曲を作ると心で決めていた。
どんな曲にするか。迷いに迷った。何も知らない自分が、何の体験もしていない自分が、その人たちのために何ができるというんだろう。そもそも歌ってもいいんだろうか。
…明るい曲にしよう。支えあいながら生きている人たちのための優しい歌にしよう。そう思った。
そうして曲ができた。(『列車にのって』)
9年前。悲しみがたくさんたくさん襲った日。今、生きていることを本当に大切にしよう。自分たちにできることは明日を生きること。楽しい未来を想像すること。祈ること。小さな行動。
Yahoo!で「3.11」と検索すれば募金ができます。他にも、Tポイントを使った募金などもございます!
今年1月末から『列車のって』三陸鉄道支援CDとして発売を始めました!
1曲入り 1枚500円
そのうちの8割を支援金として三陸鉄道の方にお渡しします。
お店に置かせてもらうことはあっても、基本的には手売りで販売しております。LIVEは遠くてなかなか足を運べないけど欲しいという方、もしいらっしゃれば一度ご連絡ください。
今日までの総売上枚数 65 枚
集まった支援金 26,000 円
まだ、もう少し頑張ります。
これが今の私にできること。
心にぽっかりと空いてしまった穴が、新しく出会ったたくさんの方や支えてくれたたくさんの方の笑顔で溢れますように!
今はまた、色々なことがあって大変かもしれないけど、明日も一生懸命生きようね!
「列車にのって」の歌詞を公開!!
☝︎よかったらYouTubeみてみてね!
列車にのって
KARU
大切な宝物をいつのまにか失くしていて
とてもとてもとても悲しくて泣いてばかりいた
泣いてる僕に優しく声をかけてくれた君
一緒に泣いてくれたり 笑わそうとしてくれたり
1人じゃ何もできないけれど
君がそばにいてくれたから
僕は今はもう平気さ
胸が痛んでも君がいてくれる
相も変わらず今日も海は綺麗で
情けないほど僕はちっぽけで
そんな僕に今できること
君に気持ちを伝えること
変わっても変わらなくても
この町はやっぱり綺麗だなぁ
歌声ラララ♪ 心弾む
列車に飛び乗った
相も変わらずこの列車は
たくさんの夢を運んでいる
みんなの夢 みんなの笑顔
そして僕の歌に乗せて
僕の愛を運んでいく
悲しいことの先には幸せがきっと待ってて
そんなことを繰り返して僕たちは生きているんだな
忘れることもないでしょう
胸にそっと優しく抱いて
流れゆくまま生きていこう
遠くのあの人に届くように
相も変わらずこの列車は
たくさんの夢を運んでいる
みんなの夢 みんなの笑顔
そして僕の愛を乗せて
未来へとレールは続いてく
相も変わらずこの列車は
たくさんの笑顔で溢れてる
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