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「読書メーター」

2024年1月、読書メータ―なるサービスがあるのを知り、登録して使い始めている。これは自分の読書歴を記録できるもの。
読了(途中でも)コメントが書けるし、気になる本を登録しておけるし、新しい本のプロモーションにも出会えて、備忘録・ToDoリストとしても使えるような感じでおもしろい。
コミックや雑誌も登録できるというのもよい。

どうせなら過去に読んだものも記録しておきたいなあ、と思ってお気に入り本から登録しているけれども、これはなかなか追いついていない。書庫(という名の外物置)を確認してみないとわからないものもある。
とにかく直近のものから登録して、感想めいたコメントを残している。

このサービスのよいところは、同じ本を読んだ見知らぬ人の感想も垣間見られるということ。「ネタバレ」マークもついているので、そういうコメントはいったん避けて読むこともできる。
もっとも、わたしの場合は、たいてい自分が読了コメントを出した後、「ナイス!」(というボタンがある)を押してくれた人のコメントを読む――という流れになっているので、その影響はない。

他人の感想を知れるのは、つまり視点の違いや共感ポイントを知れるということだ。
知り合い同士で分かち合う楽しみとはまた違う。
顔は見えないながらも、同じ本で旅した見知らぬ人と、その一冊をはさんで向き合っているという感じである。コメント欄を通じてやりとりが生まれる場合もあるのだろうけれども、今のところわたしにはそういう構築はない。

読書日記とか読書ノートとかを作っているひともいるし(そういう習慣の中高生もいるようだよね)、あるいはこのnoteの場を使って記録しているひともいる。
わたし自身は昔から、日記と違ってうまく読書記録をノートに手書きであらわすことができなかったし、XやFacebookなどSNSやこのnoteの場を活用しようという意欲が持てなかった。
書くことは好きなのに。

手書きの記録を作るのが苦手なのは、思いが追いつかないからだ。気に入ったノートにきれいにまとめる、ということがきらいなわけではない。
ただ、そこに奇妙な完成度を求めてしまい、一字でも間違えたら、そのノートが台無しになってしまう気がして、ためらってしまう。
日記は思いのまま徒然でよいけれども、読書録はそうはいかない――という謎の思い込み。

SNSは自分の使い方次第で、何に使ってもよいという自由がある。どれかを読書録としてのアカウントにしてもよかったと思うのだが、そもそもそんなに読書家といえるほどでもないから。たとえば公開範囲の設定の有無も、関係あるように思う。
まあ、SNSの使い分けはまた別の機会に整理して書いてみよう。

では――なぜ読書メータ―ならよかったのか?

今後どうなるかはわからないけれど、今のところはよかったかなと思う。
ちょうどいいんだろうな、きっと。
特段の工夫をすることもなく、自分がそのシステムに当てはまって、利用していけばいいだけ。SNSを利用していたら、自分であれこれ工夫したくなって(しなければならないと思って)しまって、本質的な「記録」とするのに時間がかかってしまっていたに違いない。

「読書」に特化されていることで、出てくるデータも月ごとの読書量(ページ数もカウントしてくれている)や、読んでいる著者グラフなどがあっておもしろい。
読了日、感想コメントの制限字数255字というのもなかなか絶妙と感じている。
変にせかされるような気持ちも生じないし。
SNSによっては、継続せねば・連日投稿ノルマ!みたいな、自分勝手に妙な使命感を抱いてしまうことがあるから――。

ゆるゆると自分の読書ペースで向き合えるあたりが、ちょうどいい。
ので、しばらく使い続けてみる、という、ただそれだけの話。




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