
嘘つくし虫殺したしカップ麺大好きだから天国に行けない
めがねを外して見た景色 第2回
かるがも団地のめがね担当 古戸森が送る
短歌とエッセイの連載です。
「めがねを外して見た景色」2度目の投稿です。
前回の記事を見て下さった方、ありがとうございます。
「エッセイ」っていうハッシュタグを付けてみたのですが、
なんだかこっぱずかしかったです。
こんな調子ですが、今回も是非読んでいってください。
嘘つくし虫殺したしカップ麺大好きだから天国に行けない
神様や、天国・地獄というものは、わたしにとって(もしかすると多くの日本人にとって)都合のいい存在だと思います。
お願いごとをするときや、
大事な誓いを立てるとき、
親が子に何かをやらせたり禁止したりしたいとき、
そういうときだけ、わたしたちはそれらの存在を突然持ち出して、そこにすがったりします。
幼い時は、神様の目をいつも感じていたような気がします。
わたしの家も、わたし自身も、特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、
神様はいつもわたしを見ていました。
何か悪いことをたくらみかけても、
「こんなことをしたら、地獄に堕ちてしまうのではないか」とそわそわして、
そのおかげで「いい子」でいられたのだと思います。
齢十にも満たない子どもが、常に死後の行き先を考えながら生活しているのって、
今思えばすごくおかしい。
二十二の今の方が死に近いはずなのに、
幼いわたしは今のわたしよりはるかに死を意識していました。
今のわたしは、自分が死ぬということがあまりリアルに感じられません。
ましてや死後の世界なんて、想像もできない。
というか、わたしは今、あまり死後の世界とか、神様というものを信じていない。
心霊現象と信仰をいっしょにしてしまってはいけないのかもしれませんが、
幽霊も信じていないし、占いなどのスピリチュアルなものも
娯楽としては好きだけど、熱狂は出来ません。
でも、面倒臭いことに、信じられない から 要らない というわけではないのです。
少し前、お世話になった人が亡くなりました。
献花するときに、お顔を拝見できました。
やせ細ったお顔を見て、涙が止まらなくなってしまいました。
痩せた姿に辛い闘病生活を垣間見たようでした。
そのときのわたしは泣きながら、
気づいたらその人の死後の生活について祈っていました。
天国なんてありえないと思いながら、
人生を全うしたその人が天国に行けるようにと、祈りながら献花をしました。
天国で、おいしいものをいっぱい食べて、好きな勉強をたくさんなさってほしい、
そう思いながら、初めて聴く賛美歌を周りに合わせてなんとか歌いました。
ここでも、やっぱり神様とか天国とかは、都合よく使われます。それでいいと思います。
神様も天国も、
生きている人への救済のために作られたものだと思います。本当にあるかどうかは問題じゃない。
でも、もし、万が一本当にあったとしたら。
わたしの大事な人たちは、天国でわたしを待っていてくれるだろうか。
わたしが先に死んだら、天国で待ち合わせできるだろうか。
ばかばかしいと思いながらも
今わたしはこんなことを想像しています。
わたしも、友だちも、恋人も、恩師も家族も、みんな頭には天使の輪っかをつけて、身体には白い布を巻いて、円卓を囲んで、雲の上で積もる話に花を咲かせています。
閻魔さまに会ったときの話とか、
天国にいる美男美女の話とか、
自分の死に際の面白話とか、
三途の川を何秒で泳ぎ切ったかとか。
ふふふ、そんなことを想像していたら、なんだか天国というところに行ってみたくなりました。少し、あってほしい。
さてと、天国に行くために、
カップ麺ばかり食べていないで、明日からはお野菜もちゃんと摂ろうと思います。
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