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「期待」は愛を阻む

期待するって、自分も相手も縛り付けることなんじゃないか、と思う。

だから、人に対して大きな期待をしないことがいいと、私は思う。


少し私の話をしたい。
私には兄がいる。
両親は兄と比較し出来の悪い娘に対して口々に言葉を散らかしていた。それは私にとって、「皮肉」や「嫌味」、「怒り」であり決して嬉しいという感情を味わえる言葉ではなかった。辛かった。

私のこともどうしても認めてほしくて、褒めてほしかった私は、必死で家族から寄せられる「期待」に応えようとした。

でも、これはネガティブな原動力。
内面から溢れ出す「欲」(私はこれがしたい、だとか、こうなりたいというもの)を封じ込め、他者からの評価のために自分を殺してまで活動するということでしかない。

辛かった。
おまけに中学生の時、学校で「楽しい」と思う瞬間を見つけられなかったものだから、私にとって人生は悲劇でしかなかった。



ただ、人を自分や状況を客観視できるようになってから少し分かったことがある。

私だけではなく、私に対して期待をする両親までもが辛そうなのだ。

両親の抱く「理想」から私が遠ざかると
「こんなに愛情もって育てたのにどうして!!」と言う。

何だか辛そうだった。
けど、こんなの愛情の履き間違いでしかないと思う。


私がなりたい「私」と他者が私になってほしい「貴方」は違う。

ただそこで、自分が「貴方」に対して抱く理想像をまるで本人の理想であるかのようにすり替え、本来相手が持つ「理想像」「欲」を無視してしまうことは、愛とは全くの別物だと思うのだ。(実際私もあれを愛だとは思っていない)

相手に期待をするということは、本人のためではなく、自分の満足を手にしたい/自分の思い通りに人が動いてくれることに快楽を覚えたいだけに過ぎない、と私は思う。
(私が彼氏にしてしまったことがあるからこそより思う)

では、本当の愛とは何なのか。

①当人の自由に/好きにさせてあげること
②その選択をまるっと受け止めること
③どうしてもの時は、怒らずに話し合ってみて一緒に合点がいく改善策を見つける/新たな選択肢を提示すること

この3つが揃って本当の愛だと思っている。


愛は別に家族や彼氏彼女に対してのみ抱くものではない。誰に対しても持った方が良い者だと思っている。だから私は誰に対しても愛をもち、それぞれが自分の人生を生きられるようにしていきたい。

#日記 #コラム #エッセイ #人生哲学




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