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他人の悪意には鈍感になった方がいいという話とその方法

インターネットを見ていると、わりと頻繁に、悪意のある言葉にぶつかります。ネットの外でも、時々不意打ちのように誰かの毒気に触れて、びっくりすることがありますよね。繊細な人は、そのたびに胸がふさがれるような気持ちになるのではないでしょうか。

私は基本的に能天気な性質らしく、あまり他人の悪意に傷つくことがありません。特別他人に好かれるタイプだということではなく、他人からのマイナスの感情にただただ鈍感なようです。

小学6年生の頃、道徳の授業で先生がこんな質問をしたことがありました。「これまで一度も悪口を言われたことがない人はいますか?」。この言葉に勢いよく手を挙げたのはクラスで私1人。

だから、授業の後、クラスメートから「ねえ、私、カリノちゃんの悪口いっぱい言ったことあるよ」と言われた時は本当にびっくりしました。寝耳に水とはまさにこのこと。それでもおめでたい私は、「そうなんだ。教えてくれてありがとう」みたいなことを言った気がします。嫌味じゃなくて、本当にびっくりして、知らないことを教えてくれた相手に感謝してしまったんですよね。(思えば、このクラスメートの主語が「私」だったから、素直に受け止められたのかもしれないですね。これが「〇〇ちゃんが悪口言ってたよ」だったら、ちがっていたかも。)

こうして文章にしてみると、その能天気さにちょっと不安を覚えることも確かですが、自分自身はこの性格で得しているなと思っています。先ほどの道徳の授業の話でもわかるように、多かれ少なかれみんな誰かに悪く言われているんです。それが大多数なんです。だから悪口なんて言われるのはたいしたことじゃない。だったら、それに心を振り回されて、落ち込むなんて時間がもったいない。

でも、そんな綺麗事を言われても、傷つくことは止められないし、そこからネガティブなことばかり考えてしまうのもわかります。能天気な私でも、そういう時期はありました。人間関係で大きく傷ついたのをきっかけに、他人の悪意に敏感になって、善意すら「何か裏があるんじゃないか」「本心じゃないんじゃないか」と疑ってかかるような時期があったんです。

そこから回復するにはどうしたらいいか。コレという特効薬はなかなかないかもしれないけれど、綺麗事に思えても、その綺麗な事を離さず抱えていくことが大切じゃないかなと思います。誰かに傷つけられて、いろんなものが信じられなくなっても、優しい人をすっかり遠ざけてしまわないこととか。まぶしくて見つめられないけど、明るいものがあるのを忘れないようにすることとか。ネガティブに引きずられてしまうのを止められなくても、もう片方の手は柔らかいものから離さずにおくとか。

今の私は、小学6年生の私のように人の善意を信じてるけど、何かの拍子にひっくり返らないとは限らない。なので、「綺麗事」を忘れることなく生きていこうと思います。

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