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愛しいノイズ

昔、好きでよく聴いていた曲を、Apple Musicで見つけた。懐かしくて嬉しくて、繰り返し聴いているうちに、なんだか少し物足りない気持ちになってきた。

聴いていた曲は、ベスト盤かなにかで再録したものらしかったが、アレンジは変わらなかったし、歌い手の声も表現力も変わらず素敵だった。だけど、何かがちがう。何がちがうのかと、記憶の中のその曲を、何度も頭の中で再生しているうちに気がついた。ノイズだ。ノイズが足りないのだ。

音楽に対する考え方の変化のせいか、音響技術や演奏技術の向上のためなのか、新しく聴いたものには、ノイズが取り除かれていた。歌の中に混じる息づかいや、ほんのわずかな声のゆらぎ、それからギターのフィンガリングノイズも。

ノイズを聴くために、その曲を聴いてたわけではない。
でも、私の無意識に刻まれていく、あのノイズがよかったのに。

音楽に限らず、そういうことはよくある。作り手の意志に反して、まじってしまった何かにひかれてしまうこと。図らずももれてしまった本音や、気を抜いた瞬間の表情や、ぬぐい切れなかったエゴ。そこに、人間らしさ、その人らしさを感じる。

もちろん、逆のことだってあるけれど。完璧に計算された言動が、たったひとつのうっかりとした振る舞いで台無しになること。それも、本当に本当によくある。

そして、そのノイズはワザとでは嫌なのだ。ただただ、よりよいもの、より純度の高いものを目指し、それでも、あらわれてしまう、そのほころびが愛しい。

あたりを気にしない喘ぎ声より、我慢を重ねた上で漏れてしまう吐息にこそ、そそられちゃうのとおんなじ。いや、ちょっとちがうかな。

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