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社長のサイン、私のスキ。

今から10年以上も前のことになるが、その頃の私は都心に勤める会社員だった。毎朝満員電車に乗り、会社がある駅で降りると、通り道にあるスターバックスでコーヒーを買うのが日課だった。

とある朝、いつものようにオーダーの列に立つ私のすぐ後ろに、見覚えのある男性が並んだ。勤務する会社の社長だった。

所属する部署が社長室と同じフロアにあることもあって、社長は私の顔を知っていた。私たちは、軽く微笑みながら挨拶を交わし、その日の天気について、ひと言ふた言話をした。

オーダーを済ませて飲み物を待つ間も、私たちはなんとなく一緒に場所を移動した。新作の飲み物をオーダーした社長の「甘いものが好きでね」という言葉に、新人だった私は、なんて返したらいいのかがわからなく、ただ頷くしかできなかった。「なんだか可愛い人だな」と感じたものの、もうすぐ初老にさしかかる社長に、そんな言葉を返すのは失礼な気がした。

何かちがう話題を、と思った私は、社長のサインのことを思い出した。そして、店員から差し出されるコーヒーを受け取りながら、社長に話しかけた。「社長のサインって、2種類ありますよね。お名前の後に点を打つ時と打たない時と」と。

社内では、企画や発注への役職者の承認は、書類にサインすることで行われていた。経理担当者として収支分析をしていた私は、社長が承認した書類を目にすることが多く、そのうちに、そこに書かれたサインの、力強く打たれた小さな点の有無に気がついたのだ。

私の言葉に、社長は一瞬目を見開き、それから「気がついた人は君が初めてだよ」と言った。そして、にっこりと笑うと、「本当に心からいいなと思うものには点を打ち、そうじゃないものには打たないんだよ」と、教えてくれた。

それ以来、社長のサインを目にするたびに、その小さな点の有無を確認せずにはいられなくなった。それから、3代目である社長の立場や、くだらない派閥争いについての噂を耳にしては、あの時の寂しそうな笑顔を思い返し、小さな点に気持ちを込めるしかない彼の思いを想像して、私までさみしい気持ちになった。

今、そのさみしい気持ちとは別に、小さな目印をつけられた社長のことをうらやましく思うことがある。SNSで誰かの言葉に「いいね、スキ」としるしを送る時、本当の「スキ」とそうじゃない「スキ」、自分だけにわかる目印がつけられたらいいのに、と。

そう思った瞬間に、自分が社長でもなく、なんの派閥争いにも巻き込まれていないことを思い出す。そう、私は、自分が思うように「スキ」をつければいいのだ。何にも気にすることなく。そうしないと、あの時の社長に申し訳ない気がする。そして、並んだ「スキ」を眺めて、私は混じり気のない微笑みを浮かべる。

私がその会社を辞めた数年後、風の便りに、社長が引退したことを聞いた。今、社長はどんな笑顔を浮かべているだろう。「甘いものが好き」だとはにかんだ時のような、混じり気のない笑顔だといいなと、遠い場所からそう思う。その笑顔に、私は、迷いなく「スキ」を送りたいのだ。



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