私を私にしてくれるのはあだち充だった

読書の楽しみを本格的に覚えた小学5年生くらいから、東北にある父の実家に行くのが楽しみになった。

父の実家、と言っても、少々複雑な生い立ちの父には、母親が2人いて、父親にいたっては3人もいたので、あの家を「父の実家」と言えるのかはよくわからない。

余談になるけれど、そんな父を持ったので、小さな頃の私は、祖父母の人数というものは人によってちがうのだと思っていた。私にはたまたま7人の祖父母がいて、でも、人によっては3人だったり8人だったり、中には20人くらいの祖父母を持つ人もいるんだろうなと、そう思っていた。だから、クラスメイトの女の子に「おばあちゃん何人いる?」と質問をした時、怪訝な顔で「何言ってんの?」と返されても、どこがおかしいのかちっともわからなかった。

ともかく、その家には父の父(その1)と母(その1)が住んでいた。それから、父の兄と弟と、それからその家族と。私は、毎年長期の休みになると、帰省する父と一緒にその家へ向かった。

その家は、いわゆる田舎の名家だった。

平屋の大きな屋敷の中央には、私が住む家なんてすっぽりと入ってしまいそうな大広間があり、昼夜を問わずいろいろな人が入れ替わり立ち替わりそこへやって来る。年に1、2度訪れるだけの私には、どの人が親戚で、どの人がそうでないのかもわからない。同じ年頃の子どもたちもたくさんいたけれど、近くに住んでいる彼らたちの間には、なにか固い結束みたいなものがあって、私はその中には入れない気がした。

そんな風だったので、その家に行くのは、本当は、ずっと、気がすすまなかった。だけれど、父は「その家の人々が私に会いたがっている」と言って、必ず私を連れていった。幼い頃の私は、若くして亡くなった父の姉という人に、面影が似ているらしかった。

「会いたがっている」というわりに、大人たちは「大きくなった」などと声をかけた後は、ほとんど私に見向きもしなかった。そして、私と同じくらい所在無げな父にお酒をすすめ、私の知らない昔話で盛り上がった。その隙に、私はこっそりと大広間を抜け出し、人目につかない場所、でもそこにいても不思議に思われない場所を探して、広い屋敷の中をうろうろとした。

その小さな部屋の存在は、以前から知ってはいた。

敷地内には、昔ながらの日本家屋とは別に、後から取ってつけたかのような「事務所」と呼ばれる簡素なオフィススペースが建てられていた。その家の家業が果たしてなんだったのか、いまだによくわからないでいるのだけれど、とにかく、休みじゃない日には、大人たちはその「事務所」で何やら仕事というものをしているらしかった。

事務所には勝手に入っちゃいけないと言われていて、邸宅と事務所を繋ぐ渡り廊下までが、子どもが自由に行き来できるエリアだった。その渡り廊下には、これまた取ってつけたかのようなプレハブの小部屋がくっついていて、そこにはたくさんの本が無造作に積み上げられていた。

ごく小さなうち、私はその小部屋に足を踏み入れることはほとんどなかった。廊下に並べられた、ワシやイタチの剥製だとか、荒々しい顔つきをした木彫りの人形だとか、妙に柔和な表情のお面だとかが恐ろしくて、一人では近づくことすらできなかったのだ。

その恐怖よりも、読書欲と好奇心と退屈への苛立ちが勝るようになったのが、小学5年生の頃だった。私は、相変わらず恐ろしげな様子の置物を横目で見ながらも小部屋に入れるようになり、それからは、その家にいる時間のほとんどを、そこで過ごすようになった。

足を踏み入れてしまえば、その小部屋はとても居心地がよく、紙と埃の匂いは図書館にいるようで落ち着いたし、プレハブの薄い壁から外の温度や湿度の気配が感じられるのも、安心できた。私は、いつも、飲み慣れない砂糖入りの麦茶が注がれたグラスを手に、誰かに呼ばれるまで、そこで本を読んだ。

本棚には、持ち主の個性がクッキリとあらわれる。そこに置かれた本たちは、私の家にある本とは、全くちがっていた。童話やファンタジーや少女小説が並んだ私の本棚とも、推理小説と時代小説ばかりの父の本棚とも、ロマンチックな文学作品ばかりを集めた母の本棚とも、まるでちがっていた。

色でたとえれば、私の本棚は薄明るいピンク。父の本棚はくっきりとした紺色。母のは、かなしげな薄緑。そして、その小部屋の本たちは、黒だった。夜空のような潔い黒ではなくて、いろいろな色、それもとびきり濃い色ばかりを集め、それらを煮詰めてできあがったような、どろりと混沌とした黒だった。

私はそこで、シモーヌ・ヴェイユを読んだ後に「週刊プレイボーイ」を読み、澁澤龍彦を読んだ後に「週刊朝日」を読んだ。萩尾望都を読んだ後に「実録団地妻」みたいな本を読んだ。理解できないまま哲学書を眺め、後ろめたいときめきを感じながら大衆紙を読んだ。「日出処の天子」にも「論理哲学論考」にも「ドグラ・マグラ」にも「芋虫」にも「変身」にも「火星年代記」にも「鏡の中の鏡」にも、初めて出会ったのはその小部屋だった。

そこで本を読んでいる間、私は自分自身もどろりとした真っ黒な液体になってしまった気がした。それはとても息苦しいのに甘美で艶かしい感覚だった。

私はその感覚をとても愛したけれど、同時にとても嫌悪した。どろりとした何かになった自分のままでは、誰かの前に、父の前に、姿をあらわすことは絶対にできないと思った。そんな気持ち悪い私のままでは。

小部屋には、あだち充の漫画もほとんど全てそろっていた。「初恋甲子園」があって「泣き虫甲子園」があって「ナイン」があって「陽あたり良好!」があって、「みゆき」と「タッチ」と「ラフ」があった。私の家にもおんなじものがあるのは、あだち充の作品だけだった。

その小部屋を出る前には、必ずあだち充を読むことに決めていた。たった数ページでもいい、慣れ親しんだキャラクターと余白に満ちたセリフを目にすれば、一瞬で、娘や孫や姪としての私に、戻ることができた。

あだち充は、いつも小部屋の出入口近くに置かれていたので、そこで本を読む他の誰かも、もしかしたら、同じ気持ちだったのかもしれない。その誰かも、小部屋で得体の知れない何かになった後、あだち充で人のかたちを取り戻し、そしてまた何食わぬ顔で、あの大広間でお酒を飲んで大騒ぎをしたり、事務所で仕事をしたりしていたのかもしれない。

そう考えると、何度訪れてもなじめないままの私も、間違いなくこの家の人々とつながっているのだと、信じられる気がした。

あの小部屋での読書体験は強烈で、私は今でも、自分をどろりとした何かにしてくれる本がとても好きだ。今日みたいにしとしとと雨が降り、部屋の空気が濃密に感じられる人気のない昼間、私はそっとバタイユだの矢川澄子だのを読み、自分の精神がほどけていくことを楽しむ。

それを思う存分楽しめるのは、あだち充がいるからだ。どんなに解けても溶けても、あだち充が、私を妻や母や娘に戻してくれる。そして、私が何かに連なる存在であることを、信じさせてくれるのだ。


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