手話をはじめた“きっかけ”

noteを始めたころに少し触れた事があるのですが、改めて記しておきたいと思います。(注:長いです。お時間のある時にでもお付き合いください)

私がはじめて手話を意識したのは、テレビドラマ『愛しているといってくれ』でした。
興味のあることへの瞬発力はある方(!?)なので、その後すぐに自治体で開催されていた手話講座に通いはじめました。半年程の講座が終わる頃、地元の手話サークルでクリスマス会が開催されるとの事でお誘いがあり二つ返事で参加しました。(現在所属している手話サークルです)
その流れでサークルに入会していたら違った「今」があったんだろうなぁと思うのですが、講座の終了とともに手話を止めてしまうのです。続けていたら今頃もっと上手になれていたのかなぁなんて、ふとした時に後悔することもあります。(上手というよりか、今よりスムーズにお喋りが出来るようになれていたのかもしれないなぁの願望ですね)

続けようと思えなかった理由って何だったのか振り返ってみると・・・。出来る人ばかりで気後れしたことと、会場近くに駐車場がなく通うのに不便だなと感じた事です。(今思えば、歩ける距離に駐車場があったのに・・・)
手話がきちんと出来ないとサークルに入っちゃダメな気がしたんですね。
今ならそんなことないって分かるのに、あの頃は『出来ない=恥ずかしい事』と感じていたのかもしれません。

それから数十年(思いのほか遠のきます)
手話通訳のお友達と仲良くなります。
ずっと頭の片隅に残っていた“手話”が間接的ではありますが、身近なものに。活動している彼女の背中は物凄く格好良く、凄いなぁと遠巻きに見ている間に数年が経過します。
それがある“言葉”をきっかけに、再び手話の世界の扉をたたく事になるのです。ご縁って不思議ですね。

「ろう者が“手話の出来る人”と出会う事は、砂漠でオアシスを見つけるくらい貴重な出来事」

うろ覚えなのですが、このようなニュアンスの言葉だったと思います。
ろうの方から聞いた話を私に教えてくれたのですが、日常生活の中で“手話で会話が出来る事”は本当に数少ない出来事のようなのです。そんなに珍しい事なの!?と衝撃を受けた事は今もハッキリと覚えていて、自分一人が少しばかり出来るようになったところでたかだかしれているけれど…
それでもろう者にとって手話が“当たり前”に“身近に”あるものになったら良いなぁと思ったのです。

再開してから5年“手話が出来るようになりたい”が、どの時点で“通訳になりたい”になったのか。。。彼女の姿を見て再開したので、最初から手話が出来る人=通訳のイメージを持っていたのか?そこはちょっと思い出せないのだけど、気が付けば目指していました。今は資格が一人歩きしていて(よく一人歩きするのです)本人が追い付いていない状態なので、日々の生活の中に手話時間を増やしたいと思います。


先輩通訳の言葉ですが「手話は会話をする事がとても大切で、一人で勉強していても限界がある」と、本当にそうですね。もっともっとろう者と交流して、気持ちの交流も深めていきたいです。

手話をはじめた(再開!?)きっかけは書いたとおりですが、飛び込んだ手話の世界には素敵な先輩や仲間がたくさんいて、本当に有難いなぁと日々感じています。こうして振り返ってみると、気持ちが引き締まるというか背筋が伸びて良いですね。
自分の原点を思い出すための引き出し1つ。
ここに残しておこうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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