アメリカ史を学ぶために岡田斗司夫さんのYoutubeの内容を書き出した②「ハンバーガー」

挽き肉機の登場

1876年 フィラデルフィア万博で、挽き肉機が登場しました。アメリカンチョッパー、パシフィックチョッパーといった挽き肉機が紹介され、万博の後5〜10年でアメリカ中に広まりました。挽き肉の登場によってすじ肉など硬い肉でも食べやすくなりました。
19世紀末焼いた挽き肉をパンに挟んだ商品が誕生しました。多くのところが元祖を主張しています。1880年のテキサス、アセンズ などです。コネチカット州のルイズランチには証拠の写真などもあるので最初の可能性が高いそうです。

その頃、『アメリカ料理』は存在していませんでした。そこにあったのは、黒人料理とインディアン料理でした。なぜかというと、アメリカに来たピューリタンは金儲けのために来た人たちが来ていたためでした。投機目的の農場主実が買った土地だったので、実際にアメリカに来ていたのは、大金持ちに雇われた手下や、身分は低いけど信頼された召使いといった人たちだったそうです。

食材と料理人

追放のように送られた人たちは、現地でアフリカの奴隷を買いまくって農業を始めました。作った作物はヨーロッパで高く売れるサトウキビばかりで、自分たちが食べるような作物は作らなかったようです。使える土地は全部命令された通り、サトウキビを作っていました。そして儲けた金で農地を広げ、自分たちのための作物を作るかと思いきや、地主に断りなく勝手に作ってはいけなかったので、やはりサトウキビを作っていた。

なのでアメリカに渡った人たちは、現地のインディアン、原住民から現地の食材であるトウモロコシの調理法を教えてもらっていたりしたそうです。
トウモロコシは下手に加熱すると破裂するし、小麦粉のように粉を作るには水分が多く固まっていて扱いにいため、調理法はインディアンに聞くしかなかったとのことでした。

また、アフリカの奴隷たちもアメリカ原産のもので食べ物を使って食べ物を作るようになっていました。奴隷たちはアフリカの食文化である米も使えた事もあって、独自に食材を扱うようになりました。
そして、インディアンからだけではなく、後から来たドイツ人やイタリア人から入ってきた食文化を持ち込んだため、当初のイギリス食の原形は無くなっていきました。

このような圧倒的な料理人不足がアメリカ建国から100年続いたそうです。そして奴隷から上がってハウス奴隷になった人たちが、アメリカの料理をするようになっていきます。

移民とアンチイギリス

他にも、独立戦争によって、アンチ・イギリスブームが起きました。そしてウィスキーを飲まなくなり、そこでトウモロコシから酒を作りました。バーボンのできあがりです。また、ワインは作れないし輸入もできない状況になりました。紅茶も飲まなかったので、当時としては謎の飲料であるコーヒーを飲むようになりました。

そして、19世紀末にケチャップという万能調味料ができました。(万能調味料とは、台所用と食卓用とは別物なので、醤油のように台所でも食卓でもどちらも使えるものは無かった。)あまり化には変わった食材が多く、料理人も少なかったため、アメリカは万能調味料を必要として土壌だった。そこで発明されたのがケチャップだったのです。

ドイツ移民が増えてきた頃、酸っぱいものを必要とするドイツ移民が増え事で、ケチャップが生まれたようです。他にも、マスタード、ピクルスなど酸っぱいものが出来上がっていき、ハンバーガーに必要なものが揃ってきました。

ライフスタイルの変化

南北戦争は『南部の奴隷を使った巨大農業』対『北部の工業主義、人を消費者にして労働者にする』の構図の戦争でした。

もともと、アメリカ人の大部分は農地の近くに住んでいました。工業地に住んでいる人は、工場の知覚に住んでいなかったため、お昼になったら家に帰ってご飯を食べてまた仕事に戻るという以前のライフスタイルを継続する事が出来なかった。遠い人は1時間半くらいかかる人もいたらしいです。
そのため、工場のまわりには屋台が増えました。屋台しか食べるものが無いから、とにかく屋台で食べました。

こうしてサンドイッチやソーセージが流行りました。
その中でも流行ったのが、牛肉をパンで挟んだビーフサンドイッチでした。酪農技術の発達によって肉牛が増えてきたからです。しかし、貧しい人は歯が少なかったのです。(労働者の平均歯が4本だったらしい。)そのため、硬い肉を使ったビーフサンドイッチは食べられませんでした。そこで、挽き肉機が注目されたのです。

どうしたら良いんだという事で、柔らかいビーフサンドイッチを作ってほしいというニーズが高まってきた事でハンバーガー登場したのです。挽き肉に玉ねぎをい入れれば安いし、柔らかくなるので、一石二鳥だったこともあり、必要とされていったのです。

ハンバーガーの位置づけ

ハンバーガーは貧しい庶民のたべものであるというイメージは、アメリカ人の方が強いようです。映画「バックトゥザフューチャー」では、お父さんが良い仕事してなくて、お兄さんがマックジョブに出かけるシーンがありました。大統の選でも、必ず大統領候補がハンバーガー屋に行くのが慣例になっているそうです。マックだけでなく、地方でフィリイチーズというハンバーガーを食べに行ったりしているそうです。

元々ドイツ移民のための食べ物が、徐々にいつの間にかアメリカのお袋の味になっていったののです。

勉強になったこと

実際の移民のイメージは僕たちがイメージするような感じではない事がわかりました。かなり食に苦労していたようで、食材にも料理人にも恵まれず、自分たちで工夫していたようです。

工業化によって昼食が屋台食が中心になったこと、移民が増えたことで食文化が混ざり合って、ハンバーガーが作られたという事でした。


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