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おにぎりに込めた想い

娘の誕生日会にて、私のおもてなし料理として、おにぎりを作った。私がおにぎりを作ったのには、理由があった。日本らしいおもてなし料理といえば、なんと言っても"お寿司"である。英国でも"sushi"はとても人気があるようだ(それが日本的なホンモノのお寿司かどうかは置いといて…)。なので、巻き寿司などを用意してもよかったのだけれど、お寿司はもうすでに誰でも知っている日本食であり、今さら私が紹介するまでもない。

"sushi"が広く認知されている一方で、私たち日本人が幼い頃から日常的に食べている、おふくろの味であり、食事であり、おやつでもあり、ファストフードでもある"onigiri"は、あまり認知されていない。たとえ知っていても"sushi"と同じものだと思っている人が多いようだ。しかし、日本人にとっては、お寿司とおにぎりは全く別ものである。日本人なら誰もが食べたことのある"onigiri"を、日本人のソウルフードとしての "onigiri"を、私はこちらの友人たちに知ってもらいたいと思ったのだ。

ちなみに、英語で"soul food"というと、アメリカ南部の郷土料理を意味し、日本で使われているような"ソウルフード"という意味合いにはならないらしい。つまり和製英語なのだ。では、英語ではどう表現するのかというと…"confort food"や"signature food"と書いてあるものもあったが、どちらもニュアンスが異なる気がする。なかなか適した訳を見つけられない。

話を戻そう。おにぎりを作った理由だ。海外の友人たちに"onigiri"というものを知ってもらいたいたいということだ。お寿司というと、なんだか"特別なもの"という感じがする。ちょっと贅沢なような、肩肘張ったような。いや、娘の誕生日会なのだから、"特別な日に食べる特別なもの"でもちろん構わないのだけれど。誕生日会での"特別なもの"はケーキがあるし、普段出さないほどたくさんのお菓子もある。だったら、娘にとっての"特別"はそれでもう十分で、あとは"いつものおにぎり"でいいだろう。私たちにとっては"いつものおにぎり"でも、ゲストにとっては"特別なもの"ではあるわけだし。そしてゲストにとっては、どちらかというと"sushi"の方が身近で、"onigiri "の方が、初めて出会う"特別なもの"だろう。

そして、何よりの理由は、私自身が、娘が、お寿司よりもおにぎりが好きなのだ。好きだから、よく作る。よく作るから、気合をいれなくても自信を持って作ることができる。自信を持って作ることができるから、"これが私のおもてなし"としてゲストに出すことができる。たとえもし、それが相手の口に合うものでなかったとしても、それはもう味覚の違いとしか言い様がないと、仕方がないと諦められる。

そんな私のいろんな勝手な想い入れを込めて作ったおにぎりを、友人たちが美味しいと言って食べてくれたり、おにぎりに対して興味を持ってくれたりしたことが、本当に嬉しかった。

私は今、ありがたいことに日本を出て英国で暮らすという機会をいただいている。せっかくそんな機会をいただいているのだから、英国でしか見ることのできない景色をたくさん見たいし、ここでしか出会うことのできない人たちとたくさん関わりたいと思っている。その人たちのとの出会いを通して、その人の国の文化や暮らし、考え方や感じ方を知りたいと思っている。

お祭りなどの伝統行事や、特別な日に食べられる料理には、それぞれの文化の持つエッセンスがギュッと濃縮されている。それらももちろん知りたいけれど、しかし私が何より知りたい文化とは、そこで生きている人たちの日々の暮らしの中にあるものなのだ。伝統行事に濃縮されたものよりも、暮らしの中に溶け込んで、本人はそれが自分たち独自の文化によるものだとは気がつかないような、それでいて、実は何よりもその国を象徴しているものだったりする。そしてそれが何よりも表れるのが、普段の料理や食事の習慣ではないかと思うのだ。そういうものを知りたいし、自分も伝えたい。そして、日本の場合のそれが、おにぎりにあると私は考えている。

お米という、日本人にとってなくてはならない食べもの、山岳信仰に通ずると思われる三角という形(地域によって形は多少異なるようだが)、たくさんのお米を自分の手でひとつの形に握る・結ぶという行為、和洋折衷合わせる具材を選ばない懐の広さ、いつでもどこでも誰でも食べられる食べやすさ、美味しさ、その全てに、日本らしさ、日本人らしさが表されている気がするのだ。だから私は、外国の友人たちに、そんな日本のおにぎりを知ってもらいたい、食べてもらいたいと思うのだ。我ながら、暑苦しい勝手な情熱であるとも思うけれど。

誕生日会の翌日、参加してくれたポルトガル人ママからメールが来た。招待してくれたことのお礼とともに、「今度はぜひわが家に遊びに来て。そして、onigiriの作り方を教えて。来週の予定はどう?」と書かれていた。そのメールを読んで、私はガッツポーズをした。私のおにぎりに込めた想いが、伝わっていたのだ。こんなに嬉しいことってあるだろうか。いや、私の気持ちが伝わったとか、日本文化がどうとか関係なく、ただ単に美味しかったというだけかもしれない。だとしても、やっぱり嬉しいことには変わりない。

さて、彼女に"onigiri"をどのように伝えるのがよいのだろうか。私の頭は今、それでいっぱいだ。嬉しい悩みで、いっぱいだ。