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M村の腱切り儀礼について


報告書『横切るひと』の「腱切り」について


【概要】
M村の葬送儀礼「腱切り」についての調査記録を公開する。

【M村の葬送儀礼】
現在のM村における特徴的な葬送儀礼のひとつとして、遺体の両アキレス腱辺りに✕シルシを書くというものがある。
✕シルシは大体が墨と書道筆で書かれるのが一般的だが、近年筆ペンや油性ペンなどが使われる場合もある。遺体に✕シルシを書くのは直接血の繋がりのある親族に限り、なんらかの理由でそれが難しい場合は出来るだけ近い親族らがふたりで手を重ねながら筆を動かして書く。

遺体にこの✕シルシが書かれるようになった具体的な時期は定かではないが、M村で生まれ育った86歳の男性は「(✕シルシは)こどもの頃からやってた」と話した。このことから、少なくとも80年以上続いているものであると言える。
一説によると、✕シルシはアキレス腱を切る行為の代用であるとされる。
時代の記述はないが、1975年に発行された『民間信仰 第三集 葬送儀礼と墓制研究』 (北國尚哉 編)の葬送儀礼の項目に、M村の「腱切り」という儀礼の記載がある。

腱切り
■■地方のM村では、死人の両足首の腱を切ることを腱切りと称し、魔に操られた死人を徘徊させぬ為のものだという。
実際に腱を切ることはなく、刃物を死人の足にあて「人間、巣穴へ」と何度か唱えて切る真似をする。そのあと足首を墨で塗り、腱切りが済んだ状態を示すことで魔が死人に入り込むことを防ぐとされる。
またこの腱を切る行為は、神への供物用のウサギにも施される。

『民間信仰 第三集 葬送儀礼と墓制研究』 (北國尚哉 編)


この資料は全国の特徴的な葬送儀礼と墓制形態を記したものであり、M村の記述は「腱切り」のみであった。
✕シルシだけに簡略化される以前は、刃物を足にあて「人間、巣穴へ」と繰り返す所作があったことが分かる。また、切る真似をすることから、この時点でも簡略化がなされていると言える。

供物用のウサギの腱を切ることに関しては、ウサギを逃がさないようにすることと、ウサギを生きたまま捧げることを目的とした行為であると思われる。
その目的と行為の関係性が曖昧になり、腱を切ることが神(または仏、あの世)の元へ送るために必要な行為であると意図が変容した結果、葬送儀礼として「腱切り」が取り入れられたのではないかと推測する。

また足首を切ることから、この世の地から放す、解放する、という連想もしやすい。この世の者か否かを容姿で判断する方法として「“足があるかどうか”を見る」という俗説も昔からよく見られる型のひとつである。



【M村での怪異通報記録】
これまで普遍的な民間習俗の視点から「腱切り」についての仮説を立てたが、学会データベース内にあるM村が絡んだ通報記録を調べると、類似した通報内容が一定数あることが分かった。

通報内容としては、
「足を引きずるこどもの霊を見た」
「両足から血を流すこどもの霊を見た」
「腹這いになったこどもの霊を見た」
などであり、1972年には『M村類似通報多発の件』という調査報告書があがっている。
その報告書には当時82歳だった男性に聞き取りが行われており、男性の曾祖父の時代にあったとされる因習が関係しているのではないかと記されている。


以下、関連箇所を報告書より抜粋する。



かつてM村では人身御供の形式をとった儀礼が存在した。
M村に生まれた長男以外の男児は、生まれてから最初の夏に■■■川の上流へ連れていき、水につける。
男児には決まった晴れ着があり、緑色の顔料を混ぜた墨文字が書かれた白い着物を着る。(文字は着物の全面にびっしりと書かれ、内容は祝詞だと言われている)
男児を仰向けに抱え、そのままそっと水中に入れた際泣き叫んだりじたばたと動いたら引き上げ、時間をおいて数回それを繰り返す。
その年の“役”にあたる村落の人間が水につけた男児の表情、顔の揺れた方向、回数、などを細かく記録する。
限られた人間のみが所有するその年の表(男児の顔の角度や表情の見え方などによって細かく吉凶が記されている)を頼りに、一番神の元へ送るにふさわしい男児を選ぶ。
選ばれた男児は“スナタチの儀”(詳細不明)を受け、6歳を迎えるまで神と同等の扱いを受ける。年の順に個別に部屋が用意され、6歳に近付くにつれ■■■■■様(信仰対象と思われる)の部屋にも近付いていく。
6歳になってから7歳になるまでの1年間は、■■■■■様がその身に宿るとされる。
1年が経つと“宿替え”が行われ、次の6歳になる男児へと■■■■■様を移す儀が行われる。

宿替えの詳細も限られた人間しか知らず、聞き取りを行った男性の曾祖父の口から宿替えについて語られることはなかったという。
“スナタチの儀”についても詳細は不明になるが、選ばれた男児たちが万が一部屋から逃げ出すことのないように足に外傷を与え歩行困難にさせていた可能性があるとのこと。
スナタチという単語が「スナ(土)タチ(絶ち)」であるならば、足が地につくことを絶つ処置(足が立たないように運動機能を損なわせるなど)がなされていた可能性はある。
宿替えが行われたあと7歳となった男児がどうなったのかは語られていないが、こどもの幽霊の目撃情報がある以上、神の元へ送られたと考えられる。
(神を季節によって移動させる習俗は全国に存在しており、移動させる際に依代としていた小屋などを破壊する場合がある)

当時の村落の信仰対象である■■■■■様に関しても情報が乏しいが、男児の選び方からして川や水と関係した存在ではないか、とされている。
こどもの霊の通報が多発した頃のM村では、■■■川から水を引くための工事が行われた。
これらは憶測に過ぎず民俗資料的な価値は低いものの、こどもの霊の特徴となんらかの関係はありそうだ。




この1972年の報告書には今回の『横切るひと』の調査内容と関係が深い情報が挙げられている。

・川に遺体をつける記憶(M村不思議噺)
 ▶️男児を選ぶ儀礼と類似。のちの時代に神の元へ送るためのものへと意味が変容し、葬送儀礼となり密かに続けられている可能性あり。

・緑のチェックシャツ
 ▶️男児が着せられていた晴れ着の文字がチェックシャツに見えた可能性あり。

・✕シルシ・腱切り
 ▶️遡ると男児への“スナタチの儀”が大元にある。

・ずぶ濡れの霊
 ▶️男児を選ぶ儀礼や信仰対象に川や水が関連している。

・狐窓市の幽霊と出現場所
 ▶️M村にゆかりのある人物であること、水路の近くであることなどと関係している可能性がある。



【憶測】
調査が及ぶ範囲ではすべての現象に明確な説明をつけることは難しい。
点と点を繋げる形での憶測として、まずアキレス腱の✕シルシがどのように変容してきたかを考える。

①男児が逃走しないよう足に外傷を与えていた。
  ↓
②男児からウサギが代用されるようになる。ウサギは神の宿とはならず、供物となる。供物のウサギの腱を切って逃走しないようにしていた。
  ↓
③腱を切ることが“神の元へ送るために必要な行為”という意味を持つようになり、葬送儀礼の「腱切り」となる。
  ↓
④「腱切り」で刃物を足にあてたシルシとしてつけていた墨が✕シルシとなる。
  ↓
⑤アキレス腱の辺りに✕シルシを書くだけになる。(現在)

また、目撃された幽霊が祖父や親族の姿をしていたことについて、祖霊が帰ってくるとされるお盆を過ぎた辺りで目撃されていることから、善良な祖霊だったものがM村で強い念を持つ元男児たちの霊と共鳴し怪異化した可能性がある。



最後に、『民間信仰 第三集 葬送儀礼と墓制研究』の腱切りの記述にあった、「人間、巣穴へ」という言葉に関しては、

「にがさない」

が転訛した言葉ではないかと考える。




【補足】
狐窓市を含めM村の■■■川と繋がる水路沿いの怪異除去を依頼した。現在M村に関連した幽霊の新たな目撃情報はない。

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