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横切るひと

狐窓市民からの通報

【通報内容】
全身ずぶ濡れの死人が歩いていた。死人は一昨年亡くなった祖父のように見えた。裸足で歩いていて、アキレス腱のあたりに✕シルシが書いてあったので死人で間違いないと思う。

【経緯】
幽霊の目撃情報は多数寄せられるが、今回の通報者(Uさんとする)の証言に“アキレス腱のあたりに✕シルシが書いてあった”という興味深い内容が含まれていたため聴取を行った。
Uさんが祖父らしき幽霊を目撃したのは2024年8月22日、25日、9月4日の3回で、20時頃職場から帰宅する道中の決まった場所で現れるのだという。その道は大通りから少し外れており、田畑の間に伸びている街灯の少ない暗い道である。

夜は滅多に人の通らなくなるその道でUさんが自転車を走らせていると、少し前を突然人が横切ることが以前から何度かあった。田畑を管理している人だろうとUさんはしばらく気に止めなかったが、頻繁に見かけるようになったため、意識して“横切るひと”へ目を凝らすようになった。

はじめは自転車のライトが届かず、人の形がぼんやり見えていただけだったが、追加で取り付けたライトを使うようになると“横切るひと”の容姿を確認できるようになった。

Uさんがその姿を祖父らしき人物だと認識したのが8月22日のことであり、そこから三週続けて目撃したため学会へ通報したとのこと。
祖父に似た“横切るひと”は三回とも、全身ずぶ濡れでアキレス腱に✕シルシがあり、服装は緑のチェックシャツを着ていた。また水路に沿うように同じ方向へ進んでいたという。
Uさんは怖くなり、今はその道を迂回して帰宅している。


【✕シルシについて】
アキレス腱の✕シルシを死人の記号であると判断したことについてUさんに聞くと、「曾祖父、祖父の兄、祖母の葬式の時にもアキレス腱に✕シルシがあったから、そういうものだと思ってました」と答えた。
Uさんは狐窓市民だが、亡くなった祖父はM村の人間だという。
M村の習俗を調べると、葬送儀礼のひとつとして「腱切り」という項目があった。
腱切りとは、遺体の両足の腱(アキレス腱)を切る行為であり、魂が抜けて空洞となった遺体に荒魂が入り込んだとしても歩き回ることがないようにという意図がある。
遺体が生き返ることを忌む傾向は全国に見られ、それを阻止するための措置は数多く存在する。
M村の✕シルシは「腱切り」で実際に腱を切っていた時代からの名残であると推測する。

また、Uさんの祖父が亡くなってから一年以上が経過しているため、腱切りを✕シルシに代用したからといって荒魂が遺体に入り込み徘徊しているという可能性は低い。


【M村の葬送儀礼について】
M村の習俗を調べていると、『M村不思議噺』という村の住民向けに作られた冊子が見つかった。


2023年 秋号 とのこと



内容はM村の住民が体験した不思議な話を集めたもので、その中にUさんが見た祖父の姿と関連する記述があった。
以下、該当ページを抜粋する。




『誰かの葬式』

 うんと片隅にある記憶である。親族が死んだ。あれは誰だっただろうか。見慣れない顔だったが、親族だということは何となく分かった。家で安置されているその人の周りを囲めるだけの人数で囲み、持ち上げる。死に装束などは身につけておらず、緑のチェックシャツとスラックス姿でその人は死んでいた。生きていた痕跡を強く残したまま持ち上げられ、家の裏に運ばれていく。
 家の裏には黄金色の枯れた草が一面を覆い、すぐ手前には川が流れている。時間帯は夕方頃、黄色っぽい光が黄金の枯れ草を照らす。眩しい程ではなく、彩度は低めだった。親戚一同は何をするのか全員が分かっているように、川の側へ先回りをして待っていた。二歳の女の子だけは走り回るので、捕まえて抱っこをする。この子との間柄はよく知らない。
 川の側まで遺体を運ぶと、そうっと水の中に入れる。水は透き通っていてその人の死に顔は水の膜に覆われていてもよく見える。親戚一同はその様子を凝視する。川の流れで遺体が動いたり、水のゆらめきで表情が変わったように見えると、遺体を川から引き上げる。そしてすぐにまた水の中に入れ直し、再びその様子を凝視する。
 二回目は水の流れでその人の頭ごと動いた。一瞬生き返ったように見える。親戚一同は再び川からその人を引き上げると、今度こそはとそうっと水へ入れ直した。
 三回目は川がさっきより静かになったように思えた。その人は静止し、水に浸る表情も時が止まっていた。緑のチェックシャツを着ていてももうちゃんとした遺体に見えた。これで安らかに眠ることがことが出来るだろうと思った。引き上げられたその人は、来たときと同じように持ち上げられて家の中へ戻されていった。
 親戚一同に知っている顔が誰ひとり居ないことに特に違和感を覚えないまま、その儀式めいたものを昔からよく知っているかのように理解した。知らない女の子を抱えたまま、黄金色の枯れ草を少し眺めたあと、親戚一同の後に続いて家へ戻る。
 女の子は「じいちゃん、うごいた」と言って川を指差していた。



Uさんの目撃した祖父らしき幽霊と服装が一致している。また、全身がずぶ濡れだったことと関連付けることも出来る。
しかし実際にM村で遺体を川に一旦沈めるような儀礼があったという記述は見当たらず、またUさんによると祖父は普通に火葬されたとのことだったので、この話を軸にして調査をすることは難しい。


Uさんが道を迂回するようになってからすぐ、同じ場所で通行人の男性が何者かに襲われるという事件が発生した。男性は道の真ん中に倒れているところを発見され病院へ運ばれた。命に別状はなかったものの、しばらくの間入院を余儀なくされた。

その情報を受けて、Uさんは「祖父の霊は自分を護ってくれたのかもしれない」と解釈し、近々墓を綺麗に掃除するつもりだと解決の方向へ進んだ。



一方被害にあった男性は回復後、当時の状況を振り返りこう証言している。

「死んだはずの親戚に似た人間が歩いていた。声をかけたら突然襲われた。気が付くと病院だった」

さらにその人物の特徴として、緑のチェックシャツを着ていたとした。
発見時、男性には肺に水が入ることによる酸素欠乏の症状が見られた。

現状問題のなさそうなUさんにはこの情報を伏せ、引き続き道の迂回を強く勧めた。


【補足】
男性が見たというのは叔父(母親の兄にあたる)であり、母方の家は男性から数えて三代前まではM村の住人だった。

M村習俗の“腱切り”、『M村不思議噺』掲載の儀礼、狐窓市内での幽霊の目撃情報、そして学会のデータベースにあるM村に関する情報を集め、詳しく調査する予定である。


※次回、『M村の腱切り儀礼について』にて調査資料を公開します。

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