見出し画像

摂食障害の私が作った完全栄養食CENZ BAR


はじめまして。Karenです。

現在私は、株式会社MITORAを仲間と立ち上げそこで商品開発をしています。
そして約1年半の開発を経て完成した、
『植物性・無添加の完全栄養食』=CENZ BARを販売することが決まりました。

詳しくはこちらをご覧ください。

画像9


摂食障害を経験したからこそ今の私がありCENZ BARを開発するきっかけに
繋がっているので今回摂食障害をテーマに書いてみました。

摂食障害とは
食行動を中心にさまざまな問題が生じる病気です。
単なる食欲や食行動の異常ではなく、体重や体型に対する過剰なこだわりや、
それにより自己評価に過剰に影響を与えるなど、心理的要因が根底に存在していることが特徴です。


自分のコンプレックスを誰かに話すのってすごく怖かったんです。
それでも長年悩んできたことを打ち明けることでもう一度向き合い
これを機に過去の嫌いだった自分を少しでも受け止められたらいいなと。

『私と同じような悩みをもつ方にも少しでも勇気を与えることができたら嬉しいです。』


少し長くなってしまいますがよろしくお願いします!!


摂食障害になるまで

画像11


私は物心ついた頃から人見知りで自分から前に出ることがとにかく苦手な子供でした。
幼稚園の慣れない時期は毎日のように行きたくないと泣き、小学校に入っても
周りの子と馴染めないことが多く毎年一回は学校に行きたくない!という時期が
あり両親にもすごい迷惑かけてしまいました。

そんな私が2年生になった頃EXILEのキッズダンサーに憧れてダンスを習い始めることに。
人と話すだけで顔を真っ赤にするくらい人見知りの私がダンスを習いたいと話したとき両親はとても驚いていましたが自分と同じくらいの子たちが堂々と踊っているを姿を見て自分もこうなりたいという憧れがあったのでしょう。

画像13

そしてダンスを通して表現する楽しさ、人前に出ることに慣れてきた私はもう一つ夢中になることができました。

小学6年生になり洋服にも興味を持ち始めた私は、当時読んでいた小学生向けの雑誌の読者モデルに応募し、それに出たことがきっかけで『モデルさんになりたい』と思うように。

痩せてなくてはいけないと意識し始めたのはこの頃からです。


中学生になるとモデル事務所に入りました。
そんな一方私は学校に行けなくなり不登校になってしまうのですが、何か理由がある訳ではなくただ、
『みんなと同じ服装で同じ行動をしなければいけないという環境、個性を消されてる気持ちがして居心地が悪く、とにかく学校が嫌いでした。』
義務教育だから行かないといけないのは分かる。だから学校に行けないことで自分はダメな人間だと惨めに感じたり、その葛藤で家族ともぶつかることも多く心身ともに辛かったです。


そんな心の居場所がない私を支えてくれたのがダンスとモデルでした。
ダンスを踊っているときとモデルをやっている自分だけは好きでいれたんです。

画像12

画像8

そして中学3年生の終わり頃ウォーキングの先生にモデルになるんだったら
余分な筋肉がつくからダンスはやめた方がいいと言われダンスをやめることに。(今思うと関係ないのにって思いますけどね、、)


コンプレックスの塊

そして学校嫌いな私は、制服が着たくないのとモデルも続けていきたかったので
通信制の高校に通うことにしました。

ダンスを辞めてしまったので運動をするためジムに通い始め、ウォーキングレッスンや毎日トレーニングしたりと自分なりの努力をしてました。
『でも成長と共に体型が変わってきますよね、、、それがどうしても認めらなくて
嫌で体型が変化していく自分に自信をなくしていきました。』


今見ると全然太ってるなんて思わないけど一回自分はこうだって思うとそれが頭から離れない。思い込みって怖いよね。

画像12


周りのモデルさんはみんな自分よりも細いし背も高く自分とかけ離れたスタイルを見て自分にはモデルなんて向いてない、上には上がいることを目の当たりにした
16才の私は自分には無理なんだって思いました。

私=コンプレックスの塊でめちゃくちゃにネガティブって感じ。
(今でもたまになるけど。笑)

ちなみに、人と自分を比べるもんじゃないってこと最近やっとわかった。

『自分らしく。それが一番生きやすい。』


そうして進路を決める時期に、、

このままモデルを続けてみるか、新しいことをするか、
占いに行って『自分はモデルは向いてますかとか?』と聞きに行ったりするくらい悩みましたが自信のカケラもない人にモデルなんてできるわけないと諦めることに。


それで他に何がしたいんだろうって考えた時、お菓子作ること好きだけど、
それだけの理由で仕事にするのって大丈夫なのかな、、、?

余計な心配とかを考えてしまい趣味を仕事にすることになぜか抵抗があったんです。

でもある方に進路で悩んでることを相談した時

『好きなことならやってみればいいじゃん!』って言ってくれて、そっかそういう道もありなんだ!ってそのたった一言で気持ちが変わったんです。

そうして製菓の学校に通うことにしました。



摂食障害に苦しむ

学校に通いはじめ、とある授業で先生が言いました『卒業する頃にはみんな太るよ〜』みたいなことを。
詳しくは覚えてないですがそれを聞いた時太ることが一番の恐怖だったので私は
絶対太らないって心に誓った。

(ほんとバカだねって言いたい。笑)

モデルになるの諦めたならもう体型とか気にしなくていいじゃんって思うけど長年植え付けられてきた、
痩せてない=認めてもらえない、自信が持てない、恥ずかしいこと。』っていうのがどうしても頭から離れなかった。

その頃から食事制限を始め
『調味料を含む小麦、白砂糖、炭水化物、脂質をできるだけ取らないようにしました。』

そうなると学校で作ったケーキも原材料を知れば知るほど怖くて食べれなくなり、ほとんど家族に食べてもらっていました。
本当にごめんなさいと心では想っていても当時の私はどうしても食べられませんでした。


その頃の主な食事は、、、

毎日自分でお弁当を作り
ほとんど野菜、鶏胸肉、脂身の少ないお魚、卵、少量のご飯
おやつは、、、ナッツ、ドライフルーツ、ヨーグルトなど

画像7

画像6

その時の食事に対するルール、症状はこんな感じです。
□ 自分の食べるものはカロリー計算をし自分で作らないと食べない。
(こだわりが強すぎて相当母に迷惑かけてしまいました。)

□ 何を食べるか寝ている時以外ずーっと食べ物のことを考えている。
□ 何時までに朝昼晩食べないといけないというルールがありその時間に間に合わないと不安でイライラしてしまう。
□ 自分より周りの方が食べている量が多いと安心する。
□ 食べたいものよりカロリーが低いものを選んでしまう。
(この選び方してると何を食べたらいいか本当に分からなくなるんです。)

もっと沢山あったと思いますが今思い出せるのはこんな感じです。

そして友達からご飯に誘われても怖くて行けなかったので放課後に遊びにいくことはほとんどできませんでした。
多分友達にも気を使わせてしまっていたのかなと思うとほんとにごめんねって
気持ちでいっぱいです、、、


『そして運動も欠かせない存在でした。ジムに通い筋トレ、走って、ヨガ、、、
どんなに疲れていてもとにかく1日一回は運動しないと気が済まない。』
今では真似できないくらい動いてましたね、、、


そうして極端な食事制限と運動を続けていくうちに痩せ、肌はカサカサ、髪も薄くなり、体重は今よりも-15kgぐらいかな。

画像8

画像8


体力が落ち、1日遊びに外出するのも体力的に辛かったですね。
そんな状況でも太ろうとは少しもも思わないどころかその生活が健康的で自己管理できているって思っていました。


そんなある日、ヨガのレッスン中に先生から耳を疑うようなことを言われました。

あなた拒食症なの?』って。

え、、、今なんて!?びっくりしたと同時に自分ってそんなふうに見えてるのかと思うと何だか恥ずかしくなって逃げ出したかった。


自分はどんなに努力しても美しくなれないのかと怒りすら感じたけど、

『普通に生活するのも辛かったし、このままじゃダメだって気が付き、
そこから食生活をい
い加減にして少し太ろうって思いました。』

このままではよくないことは頭では分かっていても、少しでも体重が増えるとものすごく太ってしまった気がして、このまま太り続けたらどうしようとかこの頃は、まだ恐怖でいっぱいでした。


ところで家族はというと一番近くで見ていたので心配はしていたと思いますがあまり干渉せずそっと見守っていてくれました。
小さい頃から問題児で心配させるようなことばかりだったけどそんな時でも『karenなら大丈夫だから』って口癖のようにいつも言ってくれて、
どんな時でも信じていてくれました。ほんとに強い。
私の父母でいてくれて本当にありがとう。

画像12


摂食障害克服の兆し

そしてあっという間に時は過ぎ、就活をする時期になりました。
まだ許可できる物しか安心して食べられなかった私は一体自分は何が作りたいんだろうと、、、

そこで私のような食事をすることが怖かったり、アレルギーのある方や食べ物に
制限がある方にも安心して食べられる健康な食事を届けていきたい』と思い、
美容と健康をテーマとしたオーガニックカフェに就職することに。


就職してすぐの頃まだ体力がなかったので一日中立ち仕事は想像以上に辛く、毎日辞めたいと思ってました。
しかし就職してすぐ辞めることが悔しかったので仕事を続けるために
『体力をつけないと!体型なんて気にしている場合じゃない!今は仕事を続けることが大事なんだ!』
といつしか吹っ切れるようになりそこから今まで徹底していた食生活もあまり気にならなくなりました。

『私の場合環境を変えることにより摂食障害を克服する第1歩になりましたね』


仕事は大変でしたがメニュー開発を任せてもらったりとやりがいを感じていたので休みの日まで仕事のことを考えたりと、仕事中心の生活になっていきました。


新たな出会い

そうして働いて1年ほど経つ頃、、、
VEGANでYouTuberのトシくん(今はMITORA代表)がアルバイトとして入ってきました。
トシくんとの出会いがまた大きく人生を変えることになるのですが、
彼の最初の印象は説教かというような質問をされ正直苦手なタイプの人だなって思った。(ごめんね笑)
でも昔から苦手だなっておもう人ほど仲良くなれたりするんですよ。
話していくうちにいい意味で変人でなんかこの人には何言っても
大丈夫だなって自然と心を開けました。

今では私にとってカウンセラーのような存在。


そしてある日、
トシくんが友達のケイゴさんとビジネスを始めるから『一緒にやらないか』と
誘ってくれました。
私が健康食などに興味があることを知っていたので植物性の完全栄養食の商品開発をやってほしいと、、


『食で健康を支えていきたい』という夢があった私はそんな楽しそうなこと
断る理由はなく一緒にやりたいとすぐに返事しました。

その後カフェを辞め、CENZ BARの試作をする日々が始まりました。


私が得たもの

そうしてMITORAが誕生しその後、
リュウタ、マリナちゃん、ユタカさん、コウジさんが加わり7人の仲間となりました。  

画像13

CENZ BARができるまで約1年半ほどかかりましたが完成するまでの道のりは楽ではなかったです。
正直何度もやめたいっておもう時もありましたがそんな時
仲間には本当にたくさん助けてもらいました。

まだ結果は出せていませんがこのCENZ BARを開発する中でも沢山得られたものがあります。
一番は信頼できる仲間ができたこと。

心を開くことが苦手な私ですが今一緒に何かを成し遂げようと共に生きる
7人の仲間がいる。

以前の自分からは想像もつかないような未来ですが今が一番幸せだって言える
自信があります。


『摂食障害になっていなかったら私はMITORAにはいなかったでしょう。』



今だからわかることがあります

試練は神様からのギフト、、それだけ人を強くしてくれる。

辛く先が見えない、そんな時期があっても決して無駄なことは何一つないと。

今は分からないかもしれないけどそれでもいいんです。

いつか抜け出せる日がくる、、焦らずに、、いつでも間に合うから


あとこれだけは忘れないでほしい、、、、

『どんな時でも愛されてること。』



画像10


今でも私はまだコンプレックスが全て消えたわけではないので急に落ち込んだりする時もあります。

でもその辛いとか、苦しい思う気持ち、その時にしか感じることのできないなにかも大事にしたい。

これからも自分ととことん向きあって、乗り越えながら強く生きる。

感謝の気持ちをたくさん届けていきます。

一緒にこの自由な地球楽しんでいきましょう!!!


只今、私が開発させていただいた
CENZ BAR(完全栄養食)のクラウドファンディングをしているので
応援していただけたら嬉しいです。


ご覧いただき有難うございました。❤️







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?