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優しくなるために我慢して悲しみを求める必要はない

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【軟水のたそがれ】
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毎週日曜日の夜に更新しています!

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています(*^^*)

水はその存在が当たり前すぎて、なかなか価値に気づくことができない。

だけど、間違いなく恵みを与えている。

僕の言葉が水のように染み渡るように、思想をやわらかくお伝えしていきます。

本日取り上げるツイートは⇓コチラ!

さっそく深堀りしていきましょー!

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もっと我慢しろー!我慢することでその先に見えてくるものがあるぞー!

という、父性溢れる激励。

我慢なんてしなくていいんだよ〜。気にせず好きなことやっちゃおうよ〜

という、母性溢れる賛美。

・・・どちらも時と場合によって正しいし、声をかけた方は誰かのためを想っていることは間違いない。

我慢には、した方がいいものと、してはいけないものがありそうだ。

そこに境界線を引くために少し立ち止まって考えたいのが、『我慢=忍耐』だと誤解してしまってやしないかい?ということ。

(ちなみに)

仏教の解釈で『我慢』とは、「自分が唯一正しいと思い込んで、自己に執着している」という立派な煩悩の一つなんですね。

つまり我慢とは、自分の考えに執着して我に慢心している状態。

そうならないように、我慢という煩悩を捨てるために、『忍耐』が必要になるわけです。

自分の考えが正しくないと迫害されることは苦しいことだけれど、耐え忍び、自分とは違う考えもあることを寛容な精神で受容していこうと。

それが『忍耐』で、「我慢が大切だ!」とか「我慢は必要ない!」とか、そういった自分が信じている正しさを一旦捨てるために、耐え忍ぶことが大切になるわけです。

・・・さて!

上記の父性溢れる激励の本意はきっと、「やるべきことをやらないで慢心するな!」だと思います。

「服を脱ぎっぱなしで散らかして、食べた食器類を片付けないで、宿題もやらないで、遊びに行くな!」

みたいな感じだよね。

そこは遊びたい気持ちを一旦抑えて、まずやるべきことを忍耐強くやろうぜ!と。

今すぐ遊びたい気持ちを我慢して耐え忍べば、思う存分、心置きなく遊べるでしょー?と。

・・・ただし、ここで大切なのことはさ。

その『やるべきこと』とは、はたして当人が自分で決めたことなのか?ということ。

脱いだら服を洗濯機に入れて、食べたら食器類を片して、宿題は絶対にやる!と、自分の意志で決めたのか?ということ。

意志なき忍耐は、ルールや常識の奴隷になってしまう。

耐え忍ぶことは受け身な行為に見えるけれど、内面に強い意志がないと、自分を虐げようとしてくる相手を赦すことができない。

『やるべきこと』が、世間の常識や周りから強いられたことであったり、やらなければいけないと思い込んでいるということもある。

それに対して「〜しなくちゃいけない」と意志なく執着していても、その忍耐の先に待つのは、「自分の考えが唯一正しいんだ」という驕り(おごり)だ。

『やるべきこと』とされているものは、なぜやらなければいけないのか?と自らが考えて答えを持たなければ、そこに本人の意志は入らない。

当事者意識が生まれない。

・・・そういう意味で「とにかく我慢しろー!」は、的はずれな激励となりますね。

一方で、本人がやるべきことをやるんだ!と決めていて、だけど慢心して「今日はいっかー」となっているタイミングでの「我慢しろ!」は、とても効果テキメンになるわけです。

そして「我慢なんてしなくていいんだよ〜」という母性溢れる賛美には、やらなければ!と思い込んでいる壁を取っ払う力がありそうです。

周りから強いられていた『やるべきこと』を一度止めて、自らが「これをやるんだ!」と決断し、それを新たな『やるべきこと』にするためのカンフル剤になるわけですね。

その意志を貫く過程で色んな誘惑があっても耐え忍ぶことで、我に慢心することなく行動することができるようになる。

・・・まとめると!

他者に我慢を強いる際には、「それを耐え忍ばなければならない!そうした方がいい!」と、自分の考えに慢心してしまっている可能性が高い、という感じ。

そして自分が「今日は我慢しなくていっかー!」となっている際には、かつて自らが決めた『やるべきこと』を忘れ、目先の楽しさに流されて慢心してしまっている可能性が高い、という感じ。

自分の意志を貫き通すために、耐え忍ぶことが大切なんですね(^^)

人って悲しみが多いほど、他人に優しくできるもの。

だけど、他人に優しくするために悲しみを求める必要はない。

他者の意志を尊重するために自分が耐え忍んで悲しみを溜め込んでも、自分に優しくなるだけで、自分の意志を貫くための自分への忍耐がなくなってしまう。

そうすると自分の考えに慢心してくるから、他者に対して寛容さがなくなってくる。

「私はあなたに優しくするために耐え忍んで、悲しかったけど我慢した。こんなに我慢したのにあなたは私に優しくしてくれないの?」

「こんなに我慢したんだから、私があなたにしてあげた(我慢した)ように、あなたも私に優しくしてよ!」

・・・こうして『自分が思う優しさ』に執着して、優しさを求め続けてしまうのですね。

そうなってしまわないように、

「この我慢ってホントに必要なの?自分が本当にやりたいことって何だろう??」

という自分への優しさと、

「やりたいことをやり抜くために、やるべきことをやっていこうぜー!たとえ苦しいことがあっても自分なら大丈夫だから耐え忍ぼうぜー!」

という自分への厳しさ。

この2つが、その時々によって大切になってきそうですね!

僕はこのnoteの更新がこんな深夜になってしまって、自分に優しくしすぎてしまったので、精進しますm(_ _)m

耐え忍ぶ・・・

それでは!読んでいただきありがとうございました(*^^*)

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