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雨の日に、恋う

ここ数日、曇り空が続く。雨の日は気分もどことなく沈みがちだ。
好きか嫌いかと聞かれて、雨が好きだと答える人はそういないと思う。通勤通学に不便だし、お気に入りの靴も汚れてしまう。

それでも、雨にしかない魅力というものがあると僕は思っている。

1、雨の名前は400種類以上ある

慈雨(じう)、緑雨(りょくう)、氷雨(ひさめ)…etc.日本には数多くの名前が雨に付けられている。
名前とは識別記号だ。名前がないということは、それを認識する術がないということ。名前を持たない事象は概念がないのと同じ。いわば、存在しないこととイコールになってしまう。

職場で働くその他大勢の従業員をただの数として認識していると、たとえ彼らの一人や二人いなくなったところでそのことに気付かない。
でも名前を知っていれば別だ。昨日いたAさんが今日はいない。そこには疑問が生まれる余地がある。
名前を知り、個人として認識したときに人と人の交流が始まるのだと思う。

雨に多くの名前をつけたかつての人々は、雨の様相一つ一つに意味を見出していた。空から落ちてくる水滴のあり様にリアルな感情を想起していたはずだ。
それが、とても羨ましい。僕を含め、多くの現代人が失ってしまった感性がきっとそこにはあったはずだから。

2、雨によって輝くもの

恋愛ドラマや映画には必ずと言っていいほど雨のシーンが登場する。雨に濡れた女性はどこか儚くも可憐に映る。水滴に濡れる草花は瑞々しく綺麗だ。雨がもたらす美しさも確かに存在している。

小さな頃、水溜りの上でジャンプしたときに感じた気持ち。レインコートに雨粒が跳ねるのを楽しんだひと時。お気に入りの傘をさして街を歩く楽しさ。
大人になって日々の仕事に追われ、手の中の電子機器にのめり込むうちに忘れてしまったもの。

自然を感じる心とその美しさ。

それをもう一度、思い出したい。
そのためにうってつけの季節が、もうすぐやってくる。


<空澄 遊>

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