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ファッション格差

昨日ネットで服を買った。元々ファッションに疎い僕がネット上の2次元的な情報だけで服を選ぶのは難儀だ。はっきり言ってとても疲れる。
とあるファッションYouTuberに助けられながら色々なサイトを巡っているうちに、あっという間に時間が経ってしまった。

1、ファッションと個性

僕の通っていた高校は私服通学だった。どんな服装をしていたか今となっては思い出せないが、垢抜けていなかったことだけは確かだ。友人が一人もできなかった理由も、ひょっとしたらそこに原因の一端があったのかもしれない。

本やネットでそれなりに知識を得た今だって、垢抜けているとは言い難い。今年のトレンドを頭では理解していても、それを取り入れようと思う気概はないに等しいから。

いや違う。
流行に敏感であること、それ自体に忌避感を抱いているわけじゃない。「流行を取り入れた自分」になることに僕自身が違和感を覚えてしまう。そう言った方が正解に近い。

ファッションは個性であるとされている。どんな服装を着るのも自由だと。
本当にそうだろうか。人は他人をキャラクターで判断する。相手をキャラ付けし、それに適した接し方を無意識に選ぶ。
でもキャラ設定をする対象はなにも他人だけじゃない。自分で自分のキャラを設定して、そこから逸脱することを避けようとする。服装においてもそれは同じだ。

トレンドを意識してお洒落している自分、という設定が僕自身のそれと相反している気がしてならないのだ。
だから、戸惑う。都会の美容室に行ってカットモデルを提示しながら依頼するのも、ブランドショップに行って服を選ぶのも、抵抗感の方が勝ってしまう。

ファッションで個性を表現できる人は、自分のキャラ設定のステータスに「おしゃれ」という項目がある人だけ。
僕にはそんな気がしてならない。

2、おしゃれに縛られた現代人

ティーンエイジャーにとって、恋人を選ぶ基準の上位にくるのがファションセンスである、という話を聞いたことがある。
モテる女子は皆おしなべて流行に敏感だ。学校という同調圧力が強い組織において、流行を知ることは必須スキルと言っていい。そして、ひとたび世の中のトレンドを知った時、そこから外れている者が瞬時に判別できる様になる。

逆はないのだ。
流行に疎い僕のような人が、最新のトレンドを取り入れたフャッションのクラスメイトを前にしてもそのことに気付けない。「なんかお洒落だなこの人」くらいにしか思えない。
だけど相手は違う。自分の同類でないことは、僕の服装をひと目見ただけで分かってしまうだろう。
恋愛だったらその時点で決まるのだ。「あり」か「なし」か。

ここに格差が生まれる。

服の力は確かに偉大だ。
リモートワークだからと伸びきった部屋着でいたら仕事モードにはならない。出勤して仕事着に着替えるとスイッチが切り替わる。精一杯のおしゃれをしてデートに臨めばテンションも上がる。

だけど、今の時代、あまりに服が増えすぎた。ブランドが増えすぎた。
その結果生まれた無数の選択肢の中から、最適なものを探し出せる人とそうでない人の間に格差が生まれてしまった。
おしゃれであることが、恋人を作るための必須条件のように扱われるようになってしまった。

そんなことを思って買い物をしていたら余計にくたびれた。
昔の人はどうだったのだろう。和服の素材もピンキリだろうから、そういった点で格差はあっただろう。でも庶民の間でそこまで着る服に違いがあったとは思えない。

僕みたいな人はそんな時代の方が気楽に過ごせたんじゃないかと、そう思ってしまう。


<空澄 遊>

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