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(雑談)「能ある鷹は爪を隠す」の違った捉え方

能ある鷹は爪を隠すという言葉がありますね。表向きは、本当に能力のある人はそれをひけらかしたりしないこと、という意味ですが、そのココロは「能力が無いやつに限って大口をたたく」ということなのだそうで、何とも日本らしい嫌味だなぁ、と思ったりもするのですが、私はこの言葉について「能ある鷹の爪は見えない」という捉え方をしていたりします。これが案外しっくり来たりするので、ちょっと紹介したいなと。

たとえば社会人になったばかりの頃、自分の上司や先輩、なんなら自分の会社の役員や社長さんに会ったりしても「案外普通の人だな」って思ったこと、ありませんでしたか?私はありましたし、何なら「上司なのにこんなこともできないなんて…」と、ちょっとしたことで見下したりしていた時期もありました。でも今、当時の上司と同じぐらいの立場になって、はじめて当時の上司の凄さを理解し、絶対に追いつけないなと感じたりしている今日この頃です。ないしは美術館や博物館に行って絵画を見たとき、「これなら自分も描けそうだ」と思ったこと、ありませんか?私は正直ありました。でもおそらく、いざ同じ絵や作品を作ろうと思って筆をとったところで、同じ作品を作り出すことは無理でしょう。

「凄さ」とか「能力」とかが自分と大きく離れると、その本質は見えにくくなる。そういうことが往々にしてあると思うんです。「その道」の人からすると凄い人って世にたくさんいると思いますが、何もそういう例に限らず、部下は上司の凄さを知らないし、生徒は先生の凄さを知らないし、子供は親の凄さを知らない、気付けない。そして後でその立場になったとき、ないしは近づいたときにはじめて、あの時のあの人って凄かったんだな、ありがたかったんだな、という気持ちになるものです。それが「自分」と「鷹」の関係に置き換えられたとき、「能ある鷹」の爪が「隠されて見えない」という捉え方になるんじゃないかなと、そういうふうに考えています。能ある鷹が研ぎ澄まされた爪を持っていても、その鷹が自分からあまりに離れた高いところを飛んでいるとき、それは鷹なのか鳩なのかスズメなのかもわからなくなってしまうのです。

ゆえに。自分の目線で見てその相手がどう見えるか、それを評価の基準にしないことが大事だと思うのです。横柄な態度をとったり、見下したような言動をすることは、誰に対してもダメ。社会的に評価されていたり、会社で立場があったりする人は、結局のところそうなるだけの何かしらの「爪」を持っていて、しかもその爪は今の自分からは見えないところにあるかもしれませんから。場合によっては後から損をしたり、後悔することにつながるかもしれませんからね。

見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました、ありがとうございます。

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