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生まれ直す

20210324

先日、娘がうまれた助産所に行った。

お久しぶりな面々と話をしているうちに、娘が生まれた時に、僕は泣いていたことを思い出した。

助産師さんが忙しなく動く中、お布団に横になった妻が、娘を産んだ。

その隣で、僕はただ泣きながら、いた。マジで何の役に立つこともなく、いただけだった。

妻が、娘を無事出産してくれたのは、朝4時くらいで、夜中の12時くらいから本格的な陣痛がはじまった。

そこから妻は横になって、僕は隣にいた。
やることといえばBGMの調整くらい。テニスコーツ『Music Exists Disc3』が終わるたびに、立ち上がって、再生ボタンを押しては、元の位置に座る。

そんなことを数回繰り返して、たぶん2時くらいから、ボロボロ泣いていた。

担当してくださったベテラン助産師さんに「生まれる前から泣いてるお父さんは2人目です」と言われた。

当時、アレはなんで泣いてたのと尋ねられたりしたけど、濁して返していた。

実際自分でもよくわからなかった。
わかってるような気もするけど、ボンヤリとだし、それを言葉にするのがためらわれて、なんか泣いちゃってたんだよって具合に対応してた。

今ならアレは、ゴリゴリ、自分のためというか、自己満な涙だったなあと言えてしまう。

生命の誕生に感動した、といったキレイな話ではない。

自分のために、助産所の人たちが必死に動いていたり、妻が文字通り命懸けで子どもを産もうとしてることに、動揺したんだと思う。

自分のためにありがたいってことと、自分なんかのために申し訳ないってことに挟まれたような。

ここでオカシイのは、そもそもお前のためじゃねえよ生まれてくる命のためだよ!ってことではある。それはこうして書いていて自分で、アホか!とツッコミたくなる。

ただ、その時の涙は、そういう感慨とともに出てきてしまった、そう思っているのだから、どうしょうもない。

その頃は自覚していなかったけれど、自分で自分の“生”にためらいを持っていた。

意識はしてなかったけれど、奥底で生きることを否定してる。

それに身体は多分気づいていて、そんな奴の子どもが出現することにブレーキがずっとあったんだと思う。

そんな父親のためらいをよそに、女性陣の、生命を無事迎え入れんとする奮闘ぶり。
目の前の光景と、自身のありようのギャップ。

その葛藤が、涙として、あふれた。
肯定でも、否定でもなく、あふれた。

なんで泣いたの?の答えとして、今の僕が言葉にするなら、こんなところだろう。

娘が生まれて、妻との関わり方が変わって、妻と娘と過ごす中で、僕は生きることを歓びたいんだなあと発見したんだと思う。

妻が産んでくれて、娘が生まれてくれた場所は、こうして振り返れば、僕にとっても生まれ直す、そのキッカケの場所だったくさいなと、うれしい再開だった。

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