揺さぶって彼方へ消えていく教え(片山洋次郎『オウムと身体』
20201017
片山洋次郎さんのオウムの本をよみながら、自分の親が教師であったことに幸運を覚える。
教師と教祖。どちらも教え導いてしまう点で変わらないんだと思う。
その姿とそのことへの違和感を早い段階で捕まえられた。その幸運。
教えは凝り固める。
教えが正しく機能すればするほど、教えの場所にいつづけることを要請する。
流れていく教え。
通過点、通り道であることを積極的につくりだす教えはどうやったら可能か。
伝達されるその一瞬は固定化されたものであっても、それが相手の中ではゆさぶりとして機能し、次の瞬間には彼方へ。
日々の我が身の実践が、できるだけそうであるように願う。
ゆさぶることで、現実から逃げ出すことのきっかけになること。
ゆさぶることで、現実をつくりだすことのきっかけになること。
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