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寿留女

20210327

最上和子さんの、舞踏の稽古の真似事を、このところやってみてる。

真似といっても、直接体験したことがあるわけじゃない。
押井学・最上和子『身体のリアル』に書いてあることと、ワークショップを紹介したブログの内容を、見よう見まねならぬ、言葉から真似してみてる。

とりあえず、30分の床稽古を、折をみてはやっている。

10分横になり、10分かけて立ち上がり、10分かけて歩く(本当はこの前に発声が10分あるみたいなのだけど、勝手に省かせてもらっている。ごめんなさい。子どもが起きる前の時間を狙ってやっているので、できるだけ静かに)。

これがとても気持ちいい。

個人的には、布団の中からはじめて、居間まで歩いていくってのが、今のところ一番おもしろかった。

布団の中にいる間は、布団の重さも相まってか、床にのぺーっと引き延ばされてるような感じがある。

そこから立ち上がる。

ゆっくりだからか、身体ってのは色々な方向に、重力を捉えるもんなだなあと感じる。

単純に、サッと立ち上がるのであれば、理科の授業で習うような、重力は垂直に働くってイメージで、身体を動かす。

でもゆっくりと重力と向かい合うと、ねじれたり、それたりと、身体と重力との応答の中で、力の向きが色々と生じているような感覚になる。

そして、歩く。一歩一歩畳みを踏みしめる。一歩から一歩の間に、さまざまな身体の分節があることを感じる。

そしておもしろかったのが、襖を開ける時だった。

襖を開けた瞬間の空気の違いに驚く。

いつもの生活の中にある、襖や引き戸を開けるって行為では何も感じない。

でもこの一連のゆったりとした動きの中を経てだと、寝室の外の、廊下の空気の、密度というか温度の違いをビシビシ感じる。

“舞踏って何ぞや”なんて大それたモノはわからないけれど、とりあえず、こんな感覚を享受できる実践は楽しい。

世界の表情というか質感というかが変貌する。その変貌を、受け容れるというか感受できる身体を発見していく。

っていうのはただの妄想だけど、噛めば噛むだけ味わえる身体ってのはいいな。

スルメ。寿留女。

書きはじめたときにはおよそ見当もついてない、こんな出逢いがあるから、書くことはやめられない。

身体もそんな具合になれたらうれしいものです。

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