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【鎌倉殿の13人】梶原景時公一族を訪ねて~羽黒城址探訪サイクリング

犬山市に「鎌倉殿の13人」で13人の内の一人、梶原景時の墓があるってよ。ということで、先日ライドに行ってきました。

初のビンディングシューズ遠征。

自転車NAVITIMEが裏道ルートでもどうしても大通りを指名するので、一旦大通りから外れて路地ルートに設定したりと、相変わらずサイコンではなくスマホナビで移動です。

先日ビンディングシューズを買ったんですよ。まだ1回サイクリングロードで走っただけなので、怖くて大通りなんか使えません。
農道や産業道路の方が土日は空いてるから絶対そっち。と、ビンディングシューズの練習兼ねての今回の練習ライドです。

歩けることも前提なのと、すぐに外しやすくするためにSPDシューズですよ。
ビンディングも最弱にして出かけました。何度も立ちコケしそうになったり。マルチクリートの有難さよ…。
途中でクリート位置変えたりと、おっかなびっくりお出かけです。

羽黒城址

ゆるゆるとゆっくりライドで、途中水飲み休憩も入れつつ、興善寺に到着。

犬山市羽黒 興善寺

まだ中には行かず、先に徒歩1分の羽黒城址に行きます。写真に見えてる右側柵に「羽黒城址↑」と案内看板がありました。

羽黒城址のある公園

と、いうことで羽黒城址に到着。真ん中にあった東屋で一休み。そもそもなぜ羽黒城址なのかというと、梶原景時の一族が北条氏に滅ぼされた時に、景時の次男の妻子がここに逃げて来たんだそうで。
そのまま土着し、後に織田家の家臣になり、羽黒城主として治めていたそうで。

いくらSPDシューズでも
MTB用じゃないのに登るとこじゃない。

写真で見た羽黒城址の石碑はどこだろう。と、東屋横の脇道を行くと、階段を見つけました。多分これ。と思って登ります。

羽黒城址記念碑

登り切った先に羽黒城址の記念碑がありました。城はここですが、先にあった興善寺は梶原一族の屋敷跡なんだそうで。

興善寺と梶原景時

来た道を戻り、興善寺に到着。こっちが表山門でした。

開基 梶原景時の石碑がある興善寺

山門の前にでっかく「開基 梶原景時」の文字が。
景時が開いたとされてますけど、実際には景時が亡くなった後に開山されてます。
最初に寄った通用門には解説看板がありました。

年季の入った看板。

地元に梶原景時ゆかりの寺があるなんて全然知りませんでした。

興善寺本堂


通用門側に自転車置き場があったので、そこへ駐輪し、本堂へ向かいます。

興善寺本堂

襖が閉じていたので、一般公開はされてないのかな。ちょっとその辺、判断つきませんでしたので、本堂には寄らず。
毎年2月に梶原景時坐像が一般公開されるそうなので、一般にはその時だけかもしれません。

本堂横にも梶原景時一族をモチーフにしたレリーフがありました。

景時と一族のレリーフ
羽黒城と梶原一族のゆかりについて

説明書きとレリーフの人数から、七家臣っぽいですね。表にあった看板もですが、山内一豊とその妻(功名が辻)が大河になった時に整備されたのかな。
鎌倉殿で尾張梶原家の祖である梶原景時が再び脚光を浴び、看板の文字通りに有能な政治家、として再評価もされてます。

梶原景時一族の供養塔

本堂横に、景時一族の供養塔の案内看板がありましたので向かいます。

案内看板も新しい。

レリーフのあったお堂の裏側をぐるっと回ると、梶原一族の供養塔がありました。
小さな五輪塔が複数あり、多分大河に併せて修繕と1か所に集めたのかなあーという囲いの新しさも。

一番手前のこの供養塔が景時と御台所と息子の五輪塔
供養塔にあった看板

正面からだと後ろに一般の方の墓地が映ってしまうので、サイドから撮影。
景時自身は北条氏に、その末裔は織田家に仕えたけど本能寺で信長と一緒に滅亡、と聞くと、時代の寵児にどちらも仕えた有能な一族だったけど、その時代の変わり目に同じ様に滅びるのか…と感慨深くも。

看板には「家臣は今も続いている」とあったので残った人たちで守られてきたのかなと思わされます。県内、元織田家家臣が結構沢山いますしね。(知人にも織田家家老→後徳川家家臣の末裔がいます)愛知県内、石投げたら元家臣の末裔に結構簡単に当たるよなあと、しみじみ思うところです。
また改めて、戦国以前より古い歴史がここにはあるんだなと。

看板から何から新しいけど、集まっている五輪塔は小さいながら年季が入っており、長年大事にされていたことが伝わります。
前回(功名が辻)と、今回の大河合わせで再度整備されて綺麗になった、と思えばそれも良いことじゃないかなーとも。(顕彰会が2012年に25周年、と書いてあったので、「草燃える」が終わった後あたりから活動してたのかな)
他にも景時目当てで寄ったっぽい観光客を見かけました。

御朱印と御城印

帰る前に本堂横のご自宅っぽいとこからお坊さんが出てきたので、ちょうどいいと声をかけて御朱印と御城印をお願いしました。

御朱印と御城印。
どちらも梶原景時の文字が入る
景時辞世の句が書いてある

御朱印を入れて頂いた袋には景時辞世の句が。
素敵なんだけど、いきなりのネタバレ()と思いつつも、有難く受け取ります。
御朱印は普段から、神社仏閣に立ち寄ったときには1回だけ頂くようにしてるんですが、実は御城印は今まで集めてなかったので、これを機に集めてみようかな。

あまり意識して見てなかったけど、景時の家紋は「並び矢羽」なのかーと思ったので、今度大河でも気を付けて見てみよう。

初ビンディングシューズ遠征感想

帰りもナビがどう見ても道が分断されてんだろーというルートだしたりと、真剣に普通のサイコンを検討することも考えつつ、事故も立ちゴケもなく帰宅。
ビンディングシューズで初公道を走るには郊外に向かった方が、安全にゆっくり走れるからという理由もあっての羽黒城址ライドでした。

距離も往復50km弱で、交通量が少ないとこを走るので、良い感じに練習になりました。まだ50kmを越えれないガチ貧脚にはちょうどいい。

またフラペにスニーカーの時より、足首先の脱力と、固定されてる分、まっすぐ降ろす方だけに意識できた事もあってか、いつもより疲労がちょっと軽く済みました。

鎌倉殿の13人


そもそものきっかけは、丁度義経の最後もあって梶原景時という人物が非常に面白く見てた時期なので、ちょっと前に駅で見たポスターを思い出しました。
今回の情報元はこれです。

前述の通りに、坐像公開時期に合わせたものだったので、駅でポスターを見た時は、「へー」と思ったんだけど、その時は梶原景時がどんな人物なのか全く不明でして。まあ、人物像が解ったら行こうかなあと、この時はぼんやりそう思ってました。
脚本の良さと菅田さん起用による期待以上の義経の造形、中村獅童さんの名演技で、こんなに光る複雑な人物とは思いませんでした。
源平は何となく知ってるけど、鎌倉幕府方の主要人物までは知らなかったので、大河で初めて知った人物です。

どうしても土地柄三英傑絡みが多い分、犬山に所縁の場所があることも初めて知りました。
熱田に頼朝生誕地があることくらいしか知らなかった。
またぴっかぴかの看板を見ると、大河がきっかけでもこうやって「土地の歴史に触れて欲しい」というのが伝わるから、遠慮なく気軽に行くのがいいよなあと思うところです。

そのうち鎌倉や伊豆へもK3抱えて行きたいものです。

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