見出し画像

働くというコト/人のあいだを巡るモノ

1.財政に関する思考実験

以前、「財政に関する思考実験」と題した記事を書きました。

詳しくはぜひ元記事を読んで考えていただきたいのですが、かいつまんでお話しすると、『大量のお金を稼ぐのに穴に放り込んでしまう人がいると、その国はお金が足りなくなるので、政府はドンドンお金を発行しなくてはならなくなって財政赤字が膨らみますが、はたしてその国は財政破綻するでしょうか?』という疑問でした。

それは「財政赤字は問題か?」という問題をシンプルに考えてみるための思考実験なのですが、とりあえずみなさんは上記の疑問についてどう思われますか?

ちなみに思考実験なので、現実の通貨発行のややこしい仕組みとかは入りません。政府は単純に赤字額を増やしてその分通貨発行しています。利払いとかもありません。

もし上記のパターンで「財政破綻するよ」という方がいらっしゃるのでしたら、以下の二点。


① 赤字額がおよそどれくらいになったら破綻するのか?
② 破綻するときはどのようなプロセスで破綻するのか?


その二点の答えを聞けたら、私はとっても嬉しいです。なぜならいくら考えても私には思いつかないのです。

唯一思いついたのは『「赤字が膨れ上がったら国が破綻する」と国民全員が信じていて、あるところでパニックが起きる』ということですけど、まあそれは直接的な財政破綻とはちょっと違いますかね?

だからもし「こんなパターンが考えられるよ」という方がいるのでしたら、割と本気で教えて欲しいのです。

それで、もし「財政破綻しない」というのが答えになるならば、とりあえず先のシンプルな思考実験の例においては、「赤字の金額は財政上問題ではない」ということが成り立ちますね。

すると「財源の確保」という課題が消えてしまうので、「税は財源ではない」という点も成立するというか、そもそも考える必要が無くなります。

もちろん現実の世界では、国債の発行やら償還やらその利払いやら為替やらといろんな要素が絡んでくるので、そのまま適用される訳ではありませんが、その場合はまたそれらの要素を加えたカタチで、できるだけシンプルな思考実験を組み立てていけば分かりやすくなると思います。

2.稼ぐけど使わない人

それでまあ、それについてはとりあえず良いんですけど(良いんかい!)、今回は、それとはまた違った視点で、「めちゃくちゃお金を稼ぐけど使わない人」という存在について考えてみたいのです。

その人は、自分はどんどん仕事をしていっぱいお金を稼ぐのに、他の人のためにはまったくお金を使わず仕事をお願いしないということだから、言い方は悪いですが、その人は「社会からお金も仕事も奪っている」という言い方もできるでしょう。

その人がお金を使ってくれれば、それによってまた他の人にお金と仕事を供給していることになりますが、そうでないとお金も仕事もその人のところでどん詰まりに突き当たって、そこから先の巡りが滞ってしまうことになります。

ですから、そんな人がいると周りの人の仕事が減っていって、やがて仕事を失って生活できなくなる人が出てくる、という問題が起きることになります。そう考えると、経済全体からするとなかなか厄介な人なわけです。

お金は巡ることによって人々の仕事をつなぎ、暮らしを支えることになるので、仕事ができていっぱい稼ぐ人には、できたらその稼いだお金を使っていただいて、みんなにも仕事とお金を回して欲しいというのが、行政側の思いでしょう。

3.みんなの分まで働く人

でもここで、ちょっと視点を変えて考えてみたいのです。

同じ状況を「お金というモノだけを抜いて」考えてみるとどうなるでしょう?

問題の人物は、「自分はみんなからお金をもらってめちゃくちゃ仕事をするけど、みんなにはお金を使わず仕事を頼まない人」です。

それを「お金というモノだけを抜いて」言い換えると、その人は『自分はみんなのために働くけど、みんながお返しにその人のために働こうとしても「自分でやる」と言って働かせない人』ということになりますね。

さて、単純に考えて、そんな人が身近にいて誰か困る人がいるんですかね?

つまり、もしその人がみんなの分まで働いて、そして誰にも働いてもらうことを要求しないというのだったら、逆にその人のお陰でみんなが働かなくても生きていける状態が成立してしまいませんかね?

みんなの分までめちゃくちゃ働いてくれるんだから、みんなで「ありがとう。助かるよ」って言ってその人に働いてもらったら良いんじゃないですか?

その人はみんなのために働いて、みんなはその人に「ありがとう」って感謝して、それでお互い納得して成り立つのなら、何ともハッピーな世界ですね。

…ん? あれ?

お金が存在しない世界では、その働き者のお陰でみんな幸せに生きていけるのに、お金が存在した途端、その働き者は守銭奴でみんなを苦しめる人になってしまっています。

なんだか話が奇妙なことになりますね。何でなんでしょう?

4.人のあいだを巡るモノ

私たちは、お金という「モノ」に縛られて、「働く」ということが本来いったいどういうことだったのか、よく見えなくなってきてしまっているような気がします。

もちろん仕事というのはいろんな働き方があるので、先ほどの話のようにそんな単純にまとまるものでもありませんが、でもお金が介在するときと介在しないときで、「働く」ということに関して、私たちは何か違うモノを動かしはじめているということが、何となく分かるお話ではないでしょうか?

同じ状況であるはずなのに、まったく違った結果が現われてくるのは、いったい何故なのでしょう? 何が違うのでしょう? 違うのはお金の有無だけですか? それとも…?

それぞれのパターンでいったい、何が巡っていて、何が滞っているのか。

何が変化して、そしてそれによって人々は何を感じているのか。

働くという営み。受け取るモノ、差し出すモノ、私たちの間を巡るモノ…

そういうことから考えていくと、「お金とは何か?」ということについて、私たちがふだんよく見ている側の「向こう側」から見えてくるモノがあるように思います。

関連記事:「財政に関する思考実験」山上亮note


この記事が参加している募集

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?