2019年の術理 4月

2019年のまとめを書き出してみると、忘れている事がたくさんありました。
この秋、身体の中に「モーター」があるという発見をしました。そのモーターの動きを「自転」として感じましたが、すでに4月にその「自転」という言葉を使っていたのです。

2019年の4月は大きな出来事がありました。3月末でそれまで務めていた少林寺拳法の道院長を辞任しました。物心つく前から少林寺拳法の世界にいました。40年以上ずっといた世界から離れる決意をしたのです。
これからは身体を探る一人稽古だけを伝えていこう、と決めました。
実際に辞任し、無意識にあった肩の荷を下ろしてみたところ、ひらめきは次から次へとやってきました。気がつかないものですね。

環境を変える。なかなか難しいことですが、もし、そのチャンスがあったなら、ぜひ、楽しんでその瞬間の身体を観察してみてください。きっと、考えもしない気づきがやってきます。
さて、4月の気づき、盛りだくさんになりそうです。書き出してみます。

【スピン】

へそからゆっくり動く事でその瞬間を静止画として認識をするような感覚が生まれてきました。自分の中に変化が少なくなると、他者への観察力が上がるようです。
そして、「常に人は動いている」という気づきを得ます。これまで気づけなかったのは、その動きが小さすぎるからです。前後左右ではなく、背骨を中心として「スピン」をしているのです。

どんな人も、その瞬間、左右どちらかのスピンをしている。つまり、そのスピンの方向へと押し出してやれば重心の崩れを生む事が可能になります。

前後左右の動きは「公転」だとすれば、スピンは「自転」。星だって回っているのです。人だって回っていてもいいですよね(笑)。
ただ、この時は自然と回ってしまうものとして認識をしました。まさか、このスピンを自発的に作れるようになるとは考えもしませんでした。

【女帯】

甲野先生に憧れ、その背中を追いながらも、形からはいるだなんてダメだ、と勝手に思い込んでいました。
数年前、「着物の効用」に気づきましたが、ちゃんと形から入っていればもっと早く気づけたんです(笑)。

着物を着る機会が増え、次第にそれが身体に合ってきたんでしょう。着物の方が楽なのでは、とも思えるようになってきました。ただ、それでも私が着るのは男の着物だけ。帯は腰に締めるだけです。

たまたま、女帯を締める機会を得たのです。その時、窮屈さが気になりました。着物の効用に気づいた時と同じです。楽なのではなく、窮屈、不便。これが私が見つけた着物の効用です。

窮屈、不便であっても、そこから逃げられない。すると、身体は着物に合わせて動きを変えてしまうのです。自然と動きは現代的なものから変わっていきます。膝や肘を多用する事がなくなり、体幹を意識しやすいものとなっていきます。
女帯を締めた時、それまで感じた事のない窮屈さを胸に得ました。帯の締め付けにより、胸の回転がしにくいのです。想像は難しくないですが、ぜひ、機会があれば実際にそれを試してみるのをお勧めします。

女帯の効用は「平面」を強く感じられるという点です。
胸が抑えつけられ、胸が動かない。自然と腕は前ではなく、左右へと流れていきます。肩甲骨が回りだしました。

前へと行けば他者とぶつかります。その他者が敵であれば戦いの始まり、衝突からは逃げられません。これは、前へと行きたい欲求がそうさせます。

欲を捨てろ、と言われても難しいのが私たちの心です。しかし、身体は違います。身体が前へと進みにくくなるのなら、手も前へとは出ないのです。身体が心を押さえつけるのです。

女帯を締めれば手は前へと出しゃばらず、衝突の頻度はすくなくなります。まず、この身を護る、それに専念ができるのです。日本には強い、男女への考え方がありますが、その多くは現代的ではありません。しかし、女性と男性、身体を比べればそこには歴然とした違いがあります。

女性の身体は弱いのです。その弱さを自覚し、生きていくために男女の役割分担が自然と生まれ、文化として採用されたのではないか、と思います。
家を守る役目。家に閉じ込められるだなんて、と現代では全く似合わない考え方ですが、誰かが守らねば戦えない時代、生きていけない時代がありました。この時、外へと行きたい欲を女帯が抑えてくれた。そんな気がしています。

【男帯】

女帯は平面を作り出してくれる。それに気づいてからしばらく、ならば男帯は何を助けてくれるのか、そう考えるようになりました。
そして、平面という2次元の次なのだから、3次元、立体が生まれているのではないか、そう予想をしたのです。

男帯をいつものように締め、観察をします。今、身体の中に3次元的なものがないかと探ります。求める事で意識は集まり、わずかな感覚も増幅されるのかもしれません。意識は虫眼鏡のようにも働きます。

男帯は骨盤と切り離せません。骨盤を観察していった時、そこに「」があるのを見つけました。ちょうど二つの尻が左右から押し付けられて玉を作っている、そんな感覚です。
平面ならば力は流れます。立体であれば、力を受け止める事ができるのではないか、そう感じました。
丁寧に男帯によって作られた玉を見ているとその頑丈さを試したくなってきたのです。まさに身体に導かれるように、働きを探りました。

足を強く踏み鳴らしても、そのまま相手へと入っていっても、身体が崩れていく心配を得ません。それどころか、なんと、寝ころび、踏んでくれ!とリクエストまでしてしまいます(笑)。
出来ない事はやりません。この身体なら出来そうだ、という思いが行動を変えていくようです。

男帯は頑丈さを与えてくれる。そう結論付けました。そして、この頑丈さがあるから、外の世界へと獲物を探し、ぶつかり、命だけを守って帰ってこれる。それが男の役割なのかな、とも思いました。帰ってくる場所は平面を武器にした女性が守っているのではないか。
すっかりなくなってしまった、男女の役割分担の意味を身体に感じ、西洋文化に引かれ、無くしてしまった日本らしさを寂しく思いもします。

【鱗】

男帯で頑丈さを見つけました。立体を身体に見つけました。3次元の次は4次元。もしくは一つから多数へと分裂を考えます。このヒントをくれたのは甲野先生。ちょっと詳しくは忘れてしまったのですが、ホテルへと送らせていただいた際に「無数のヘビが・・・」というような事を言われていたのです。その言葉を聞き、思いついたのが「鱗」です。

身体の表面には皮膚がありますが、その皮膚がもしかしたら、一つ一つが「玉」のような頑丈さを持っていたらどうだろう、と思いついたのです。
そして、それを意識してみれば、自然と身体から隙が消えていきます。
もちろん、外から観察をすれば隙だらけなのですが、身体がびっしりと鱗に覆われ、外部からの攻撃を寄せ付けない、そんな強さが感じられたのです。

発見から半年、鱗について多くの発見がありました。私という存在を守ってくれているもの、というのは確かなようです。
そして、その身体的な強さが、精神的には安心を与えてくれました。ここで得た安心があったから、相手を気にせず、さらに自らの奥へと意識を深く持って行く事ができました。

リラックスせよ、とは武道でも、スポーツでも、ビジネスでも良く指導をされる事ですが、頭でリラックスがわかっても、身体が緊張していては働きを生みません
すでに私たちは多くの知識や技術を持っています。何をすればいいのかはわかっているのに、それが出来ない。そこに問題を抱えている人も多いと思います。いわゆる、メンタル、という問題です。しかし、それは身体的にちゃんと解決できるのだ、それを教えてくれたのが鱗の術理でした。

【いよいよ今年の稽古も最後です!】
名古屋 12/29(日)10:00-17:00
浜松 12/28(土)13:00-17:00
【久しぶりの東京稽古も決まりました】
東京目黒 2020/2/2(日) PM1:00~PM4:00

http://www.karadalab.com/sch

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