恐怖の正体 その4

私は臆病者である。これは隠していても仕方がない。そして、これまでも何度も、言ってきた事。
武術の世界にずっといるわけだが、強くなりたくてこの道に入ったわけではない。たまたま父が武道を好み、道場まで作ってしまうほどのめりこんでしまったから、その家に生まれた私はこの道を歩く事になった。

才能はなかったが、人生の大半を武の世界へと費やしている。臆病な性格は変わらないが、色々な事を知るようになる。
それは努力では超えられない世界がある、という事。

平和な時代に武道を始めたので、練習はみんなと一緒、スポーツ化したものだった。スポーツにはルールがある。どうしたって、あまりに「差」のある状況は排除されていく
強さを競う世界であっても、柔道や空手の大会で武器を持って戦う事はない。剣道は竹刀を持ち戦うがそれはお互い様。この世界において、ルールの力はいつの間にか、大きくなっている

演武の中では武器を持った相手をひょいひょいと片付けるが、それを実際に技として求めるレベルは現代ではほとんどない。素手同士だって困るのだから、まずはそこからだ。対武器の技は初心者からどんどんと遠ざかる。結果的に、恐怖を経験しないまま、技だけを覚えてしまう事になる。

幸いにして素手の争いであれば色々と出来るようになった。もともと身体が大きく、体重が生かせる環境にあった事も研究稽古を続けていけた要因の一つ。ただ、色々と稽古が進み、標準の体重、また、もっと小さく、子供と大人ぐらいの差があっても、素手での争いであれば自分の身を守る事は誰でもできる、そう思うようになっていた。それほど、身体の力はすごい

ルールの中で戦っていては見えなかった事が、身体感覚を探るようになり、まだまだ生かしていない事が山ほどある、とわかった。
しかし、それでも、相変わらず戦うのは怖かった。それは相手が「武器」を持つ可能性があったから。努力で武器の力を超えるのは難しい

見たいものを見る力

長年困っていた事が今、変わり始めた。
頭を落とした姿勢は胴体にかかる刺激を捨てる事が出来る。頭が主役になり動き出せば、目が自然とよく動くようになる。見たいものが見える、という働きを生んでくれる。

見たいものを見る。これだけ自由が広がった現代ではそれは当たり前と思うかもしれない。目に見える争いは減って、それぞれがそれぞれの楽しさを求め、表現を拡げている。
しかし、臆病な私には「見たいものを見る」というのはあまり簡単ではなかった

それは日常生活の中でもそうだったのだが、それを稽古として表現した時、端的だったのが「武器」と戦う時だ。どうしたって、素早く動く武器に目を泳がされてしまう。どれだけ身体がしっかりして、強く重い力を出せるようになったとしても、武器には敵わない。ずっと、これが頭の隅に残っていた。

自分を疑わせてきた大問題が、頭を落とす姿勢を作る事で解決へと向かう。最初の一歩が見つかった。「恐怖の正体」が見つかったからだ。
胴体は重く、大きい。武道の世界で現れる武器は大抵、胴体よりも小さい。だからこそ、速い。大きな胴体では「間に合わない」
しかし、案外と「目」はその武器を見ているようなのだ。びっくりして身体を固める、というのは、その「怖い武器」を見ているからこそ起こる事。怖すぎて目をつむってしまう、というのであれば別だが、安心できる状態になれば目の速さは想像以上にあるはずだ。

コンピューターゲームの世界をみればよくわかる。ゲームの中の主人公は生身を持たない。ゲームでどれだけ失敗をしても、この生身は壊れないこの時、目と脳みそのペアは大きな力を発揮する
これが分かっていたにも関わず、出来なかったのは胴体の存在が強すぎたから。その胴体と頭のスイッチが「頭を落とした姿勢」だったのだ。

視野を広げるために胴体を捨てる

頭を落とせば目が動く。武器に対して、「全体」を見渡すことができるようになっていく。全体を見渡せば、その武器にも「弱点」があるのがわかるだろう。
もちろん、頭を落とさなくたって弱点は見えている。しかし、ついつい、刃先などの怖いものに目があってしまい、それを胴体が受け取り、身体を緊張させ、恐怖を生む。

視野を広げ、全体をみる
こんな教えはあちこちにある。多くの人がその教えを受け、成果を求めていく。ただ大抵の指導は集団指導。そして組織、業界が大きく、惰性が強くなれば指導すらされない(笑)。
最近の仕事の仕方は使い捨ても多く、なかなか人を育ててくれない。そもそも育てる意識よりも、すでにスキルを持っている派遣に任せたり、誰でもできるレベルに落としたマニュアルを作っていたりする。わかりやすい成果を求めすぎている。

出来る出来ないは相手に丸投げして教えを伝える。成果を上げるための効率はいいかもしれないが、これは出来ない「負け組」を量産してしまう
私はずっと「出来ない側」。だからこそ、何とかしたかった。そして、頼ったのは「身体感覚の研究」。
今、恐怖の正体を知り、視野の拡げ方を知った。出来る出来ないという、結果よりも前にやれる事がある事が分かった。

稽古としては武器を前にしての戦い方だから、争いに慣れていない人はその状況にびっくりしてしまうかもしれない。しかし、自分の身がギュッと縮むほどの恐怖を感じながら、それをコントロールする楽しさを知ればきっと、研究心が呼び起こされるはず。そして、そこから得る成果は仕事や人間関係など、生きる事全てに広がり、想像もしない結果を与えてくれるはず。

胴体を縮める恐怖と、目玉の関係について、もう少し書いておきたい。次回も胴と頭と目の関係を書きます。
身体感覚の話です、わかりにくいのはご容赦を。

【稽古予定】参加受付中
5/22(土)神奈川川崎稽古
5/29(土)甲野善紀浜松稽古

5/8(土) 浜松
5/9(日) 名古屋緑区
5/12(水) 名古屋緑区
5/21(金) 名古屋熱田
5/26(水) 名古屋緑区
5/27(木) 瀬戸ヒーリング
5/28 (金) 名古屋東山

詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?