デマの効用

こんな時期だ。デマについて、それも効用とつけ記事を書くのもためらわれますが、それぞれがそれぞれの選択をし、独立していくのにはきっかけの一つになるかもしれないと期待して書きます。

デマの語源

ウィキペディアによると、
「デマとはデマゴギー(独: Demagogie)の略で、本来は政治的な目的を持って意図的に流す嘘のことであり、転じて単なる嘘や噂、流言などを指すこともある。」

とあります。起源を調べれば古代ギリシアにまで行くそうですが、そもそも大衆扇動的なものだそうです。
誰かと共に共有しなくてはいけない情報はそこにある程度の「正しさ」が必要ですが、もし、私一人の中で完結するとしたらどうでしょうか。それはデマと言わないのかもしれません。

ウソとデマ、ホラなど

私の中の稽古の大きなテーマですが「正しさ」がココにも表れてきます。
お湯を飲むとコロナは消える、なんてデマが広がったそうです。
確かに科学的にはおかしな事のようです。そもそも体温がー、となればそれを「嘘」と見抜く人もいるかもしれません。

ただ、もし、それが自分一人で完結している情報ならばどうでしょうか。
百人、千人、万人に否定されるような情報があるとします。しかし、その情報に確信を得てしまった人、それはウソなのか、デマなのか、どうなんでしょうね。

玄能の効用

私がこれまで見つけてきたものはデマやホラに分類されるものばかりかもしれません。もし、私を大嫌いな人間がいたら、私の事を嘘つき!とSNSで書きまくる事でしょう(笑)。

ただ、それでも、私の中から生まれた気づきによって身体は確かに変わります。そんなわけない、と私自身が思っても、それまで何十年も出来なかった動きが出来るようになっていたりします。
そして、それはどう考えても、科学的に、常識的に答えの出るものではなかったりします。
そんな経験を何度も、何度もしてきました。結果、理解されなくてもまぁ、仕方ないよなぁ、と諦めるようになりました(笑)。

時々、「モノ」からヒントをもらいます。下駄を履く事によって生まれる力を私は知っています。ただ、それを伝えても、多くの人はそれを信じません。ただ、モノには「存在」という力があります。
下駄を履く事で、知らず知らずのうちに身体がそれに影響され、変わるのです。

最近、「玄能」によって変えられた身体を見つけました。これも、知らず知らずのうちに変わっていた身体です。
その玄能を手に持った時、意識がぎゅっと、その玄能に吸い込まれるのです。結果的に、胴体の奥に潜んでいた「張らなきゃという力」が消え、肩が軽く回るようになります。
この状態になってみると、どれだけ抑えられても、その状態を解き放つ事が可能になります。漫画のようというか、漫画にもならない事が起こるのです。

面白いのは、どんな玄能でもいいわけではないのです。
最初、手にした玄能は「名人作」のものです。あまりの変化に早速家に転がっていた「普通の玄能」を持ちましたが、これは全く身体を変えません。ただの玄能です。

おそらく、名人と言われる人の玄能は「魂」が叩き込まれているのでしょう。モノに宿った思いが私の身体を変えたのです。玄能の効用についてはまた、詳しく書き綴りたいと思います。

誰もが変わる

玄能の効用にそんなの嘘だ!と思うかもしれません。当然です。しかし、私の中では確信です。
そして、もしかしたらそれを共有してもらえるのではないか、と思い、各地の稽古で試してもらいました。何も説明せず、ただ玄能を持たせ、もがいてもらうのです。

するとどうでしょう。誰もが動きがかわるのです。そして、面白いのは「普通の玄能」も持ってもらい、試すのです。そしてやっと、同じようなものを持ちながら結果が違うという現象を自覚するのです。

まぁ、それでも玄能をもったから動きが楽になった、としても、肉体的に平和で安全な現代ではそこに価値を見つける事が出来ないかもしれません。こんな事が出来たって人生は変わらない、と思うのかもしれません。

しかし、これが入り口となり、人間の不思議さに入れるのです。なかなか伝わりにくいですが、諦めす、これからも、伝えていきます。

改めてデマとウソとホラ

誰かと情報を共有するのは大変です。どうしても、見えるものだけになりがち。見えない何かを見せる時、数字によって見える化されますが、自分の中だけで完結させる事によって生まれる力もあるんですから、それも忘れず、育てていきたいものです。

今、もし、本当に困った状況になったら私は下駄を履き、着物を着て、玄能を持ち過ごします。
身体がそれらによって心配を手放し、外へと気持ちを発散させてくれるからです。コロナであろうが、経済的だろうが、その他もろもろ、意味不明な不運であっても、最後の頼みが私にはあります(笑)。

しかし、それを私が人に押し付ければ、それはウソとも言われるし、ホラにもなりますし、社会的に注目の集めるテーマであればデマと言われます。
私はずっと、身体の内面を探ってきました。外に現れるものは結果として出てきたものです。しかし、内面は見えません。見えるのは外に生まれる結果だけ。

もし、私が相撲取りを崩し、驚かせている姿を見せたらどうでしょう。その時、理由はなんですか?と聞かれて、この玄能なんです、と言ったらどうでしょう。私の中の理由は確かでも、外からではその理由は納得できません。結果的に、暗示が聞いた、気のせいなどとなるのです。

こっそり、ひっそり

誰かの役に立ちたい気持ちはわかります。ただ、なかなか共感は生まれません。特に恐怖や心配、不安からの脱出の時には。心配という確信は強いのです。

だからこそ、こっそり自分が元気になれる事をし続けるのをお勧めします。

笑う事で免疫力アップ!病気だって治る!

そんな事が言われるじゃないですか。
平和な時に散々それを言っているのに、いざ、困った時に笑えないのは笑う稽古が足りないとしか言えません(笑)。
お湯を飲んで笑えるなら飲めばいいんです。自分の身体が求めている事が出来た時、自然と身体は緩み、笑っている時と同じ身体へと変わります。

デマであれ、ウソであれ、専門家でも困っているこの時代、情報は先に言葉として入ってきます。十年、二十年、何十年か経ち、あれはダメだったと言われるものだってあるんです。正しさに縛られて死んでしまうよりも、楽しさを求めて身体を緩め、まわりへと安心を渡しながら暮らし、死ぬ時には死ぬ。

そんな生き方をしたいなぁ、と思っています。

寿命という言葉が好きです。どんな死に方であれ死ぬ時には「寿」だなんて、誰が名付けたのでしょうか。
死からは逃げられませんが、死に対してどう向き合い、考えるかは自由です。私にとっての稽古はずっと、死ぬとは何かと考えてきたものです。最初は怖そうに思えますが、何も覚えなくてもいいし、何もできなくてもいい稽古ならそのうち、楽しさを味わえるようになります。

【お知らせ】

4/12(日)に予定していました「つくばでのヒーラー入門」は延期となりました。ご注意ください。
すでに申し込みをされた方にはメールにて連絡をしました。もし、不着とうありましたら申し訳ありません。
世の中落ち着いて、自分の中の心配がなくなってきた頃、開催したいと思います。

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