大きい方がいいのか、小さい方がいいのか?

常識って強い。
いつの間にか、考える間もなく、好き嫌いを決めてしまう。ある身体の見方からすると、特に私はその「好き嫌い」の傾向が強いらしい。

大きいと小さいにも好き嫌いが出やすい。
昔話に大きな土産、小さな土産、どちらかを選べ、みたいな話が出てくるが大きく欲をかいてうまくいく話はあまり聞かない。

ただ、現代は大きいものが強くなった。お金が強くなったからかな。
在って困るもんでもないしくれるもんなら置いておこう、と。大金は人の心を狂わせる。
また、人気が大きな学校や会社に人は集まるし、仕事だって大きさを求めて世界へと拡大していく。今、国よりも大きな会社が出てきているのだからいったいどこまで巨大化していくのだろう。

本来武道や格闘技はいかに命を守るか、というものなはず。それがスポーツになり、大会を作り勝ち負けを競いだした。柔道もボクシングもレスリングも体重別になった。
ルールの中では大きなものが有利だと簡単に結論付けてしまう。

だんだんと小さなものへの興味を失ってしまってはいないだろうか。
小さなものにも同じように働きがあるのだ。
そういえば、スマホの画面も年々大きくなっている。小さいものも出てきてはいるが、それらは売れない。あちこちで「大>小」の図式が出来上がった。

固定観念を変えるのには経験が一番だ。
小さなものにも価値があるのだ、という経験をどこで得たらいいのだろう?その場所がなくなったのが一番厄介な問題なのかもしれない。
どこに行ってもステレオタイプな人ばかり。情報源を同じにしているから仕方がない。
だからこそ、身体の中に潜る。

身体の中は「広大」だが、その大きさは限られている。意識の世界は大きく無限になるが、肉体は有限という矛盾があり、それを経験できる。
有限な肉体も意識の虫眼鏡の精度を上げていくと、倍々に、どんどんと動かせる場所が増えていく。
意識を小さく、集中させることで、肉体を大きくしなくても身体を大きく使え、心は無限に自由になる。小ささを求めたら大きさもついてくるのだ。

これを日本人は知っていたはず。

当たり前だが日本は島国だ。
世界のほとんどが大陸。大陸に生きていれば外に目を向けなくてはいけない、領土を増やしていった方が安心安全だったのだろう。
しかし、大帝国だって滅びてきた。外に目がかかる分だけ、内側が疎かになり崩壊していく。
日本は島国、外に目を向けても海を越えるのは大変なので、ひきこもりやすかったのではないか、と考えている。そして、諸外国が価値を認められなかったものに価値を置き、独自の文化を作り、育ててきた。

今はネットの世界だ。ネットはそれ自体が海のようなもの。つながっている。
守ってくれるものはない。むしろ、これはクジラやイルカの世界に似ているではないか。
クジラは地球の上と下、反対側にいても、真ん中にもう一頭いれば意思疎通、コミュニケーションが取れるという。どこまで本当かわからないが、ありそうな話だ。
意識が宇宙レベルに進化をすると無意識がつながり、人と人とが結びつく、と言われたりする。世界平和、人類一つ、とつながる話だから反対は少ないだろうが、プライベートが無くなることも考えた方がいい。

小さなものにも価値がある。
むしろ、こういう時代だからこそ、小さなものは見逃され、どんどんと自由が広がっていく。
大きさを求めて得られるならそれもいい。しかし、大きさは2番手、3番手になるとあまり注目をされない。しかし、小ささはそれ自身が自由になれる、というメリットがある。
もし、大きさを求めて得られない、と感じてしまったらならぜひ、小ささを求めていってほしい。それは才能だから。

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