真偽は大切なものなのか?

私たちはたくさんの知識を得られる時代に生きています。
誰もが情報を発信できる世界になり、情報の「真偽」を気にする人もいるでしょう。
そして、その真偽は確かめるまでに長い年月がかかってしまう事も多いです。
今、誰もが知っている「ブラックホール」ですが、その存在が理論的に想像されてから、実際に観測がされるまでに何十年、100年近くかかっているといいます。
ブラックホールはある!と言い、嘘つき呼ばわりをされた天文学者、物理学者もいたでしょう。
さて、「真偽」とはそれほど大切な事なのでしょうか?

この数年、世界中が「コロナ」に振り回されました。
コロナはただの風邪じゃない、いや、ただの風邪である。
この争いは今もまだ続いています。
議論だけならずっとしてたらいいんです。学者はそれが仕事です。仕事になればお金にもなり、暮らしていけます。
議論だけなら私たちは平和ですが、今回のコロナの対応では実際に、社会を動かしていく政府は方針を決め、行動を制限していきました。

新型コロナに間に合わせるように、新しいワクチンが急ピッチで作られました。そのワクチンがどんな影響を及ぼすのか、それを調べ終えるよりも先に、人へと使用をされました。
書類上では副作用もあり、安全は確認されていない、と書かれて、そのワクチン接種はそれぞれの選択であり、自由です、と言われても、実際のところ、様々な理由で自分の意志とは別に接種の選択をした人もいるでしょう。
嘘は言っていません。わかりません、と言い、接種は自由です、と言いました。向こうは向こうの行動をしました。ただ、人には立場があり、権力として違いが生まれているのです。自由と言いながらも、実際には強制を想像してしまう場合だってあるでしょう。

過去の薬害を調べてみれば、国の対応は大抵、遅いです。
真偽不明として、調査、裁判が長引き、被害者は大変な思いをする事になります。
真偽がすぐに出たならいいでしょうが、現在の日本では無理でしょう。

誰もが「真偽」が重要なのはわかっています。
間違った事を聞き、覚えて、試験に臨めば、入学も、卒業も出来ません。世の中で嘘をつけば裁判にもなります。
正しい事を教える教育が主になっている今、真偽を気にするように育つのは当然です。
しかし、その「真偽」が決まるまでに時間がかかってしまうのです。それこそ、人間の寿命を超える時間がかかるかもしれません。
真偽は大切ですが、真偽を一番に考えてしまっては楽しく、幸せに、愉快に暮らせないかもしれない、そんな事を考えました。
真偽を完全に捨てるのってのも無理な話ですが、2番手、3番手ぐらいには置いてもいいんじゃないかな、って話です。

最近の稽古のテーマは古事記です。
noteを読んでくださっている方はまた古事記の話か!と思うかもしれません(笑)。
さて、果たして古事記は「正しい」のでしょうか?

同時期に作られた古事記と日本書紀には細かな違いがあるといいます。
いや、そもそも、「神さま」の話ですよ!
神さまっているの?と真偽を問えば、いったいどんな結果が出るのか?(きっと、戦争です。)
多くの国が神話を持っていますが、どの神話も言葉そのものの現実があったわけではない、というのはわかるかと思います。
どの国にも神話はあります。神さまなどいない、と主張も出来る時代ですが、心の奥底には人智の及ばない神さまの世界(それがどんな神さまであれ・・・)を多くの人は持っていると思うのです。

今日は「身体感覚」の話です。
このまま記事を終えれば説教じみた話として終わりです(笑)。
違うんです。とにかく私は一歩でも前へ、奥へ、上へと身体感覚の世界を拡げたいと思っています。
この時、「真偽」への思いが邪魔をしているのではないか、と思ったので、今、この記事を書いています。

身体感覚は当人には確かなものであっても、他人はその身体感覚を直接、そのまま、受け取る事は出来ません。
触覚は他の感覚に比べて多少は多く、共有する事もあるかと思いますが、それでも、感じている全ての感覚からしたら極々わずかだと思います。
自分が今、何を感じているのか。そもそも、そこに第三者的観点があり、この時、真偽を無意識に気にしている可能性があるわけです。

稽古をし始めた時、自分が今何を求めて、どう稽古しているかを見る事が大変でした。今は「マシ」になりましたが、きっと、数年たってみれば、今だって結局、常識的真偽に縛られていた、と思うはずです。

自分の感覚を言葉にして人に伝える時、人にわかるように言葉を選びます。これは無意識の働きです。
普段、筋肉の話をしていれば、筋肉の動きを説明するでしょうし、骨格の話が多いなら、それを手掛かりに身体感覚を伝えていくでしょう。
骨や筋肉であればまだ、存在を疑う事はありません。前提条件は共有されています。確かなものを渡したい、と思えば、形としての変化を生む「手順」が大切にされて伝わっていくのもわかります。
骨も筋肉も「有る」。真偽でいえば、有るのは正しいのですから、伝える側も受け取る側もストレスがありません。

ただ、手順だけではどうしても、壁にぶつかります。
この時、常識的真偽を壊す必要が出てきます。
私は古事記の中に身体感覚が広がっていく様子と同じものを見ました。
でも、これの「真偽」はわかりません。私には確信ですが、それは感想であり、多くの立派な専門家からすれば、私の意見など「偽り」となるでしょう。

ただ、私は古事記学会にいるわけではありません。
また、古事記に対して意見をいうのには自由です。古事記にパテントはないでしょう。その当時、それを書き上げた当事者は当然、いません。
常識や専門家に遠慮、配慮をしたい、というなら、その世界が作る「正しさ」に従ったらいいのですが、私にとっての古事記はそういうものではなさそうです。

古事記の世界は神さまの世界です。色々なところから神さまが生まれてきます。
常識的真偽でその物語をみれば突っ込みどころ満載です。
現実の世界での衝突をどうにかしようとしている武術において活かせるものはほとんどないように思えます。
しかし、その古事記によって、私は自分に「想像力」がある、と気づかされました。
古事記が作る世界観が私の中に入り込む事で、その古事記世界から生み出される「想像」があります。

私の中では「真」である事も、他者からすれば「偽」です。
この信じられないものがあるから、相手は私の動きが止められません。
スサノオノミコトという神さまがいます。
古事記によってスサノオを知り、そこに持っていた三角の術理が出会う事で、「スサノオらしさ」が生まれます。
具体的には胸椎それぞれの間にあるちいさな平面をスライドする事により、わがままさを表現する動きが出ました。

また、スサノオが住む事になる「黄泉の国」というのがあります。
国を生んだイザナギ・イザナミがいますが、イザナミが火の神さまを生み、命を落とした後、行った世界です。
そこでイザナミは雷の神さまを生むそうです。
この物語が、ふぅ~ん、地下には雷の神さまがいるんか、とひらめきをくれました。

身体には電気的働きがあります。
そして、その電気的な働きの実感は既にあり、術理としても持っています。
黄泉の国は雷の神さまが生まれたところ、こんな物語と、電気的身体感覚術理が合わさり、新しく動きが生まれました。
古事記のおかげ、としか言えません。

さて、私は古事記を漫画で読んで知ったぐらいです。
古事記そのものを正しく学んでいる、とはとても言えません。
間違った解釈をしている事もあるでしょう。
でも、これで構わない、というのが今日のテーマです。

真偽はどうでもいい、のです。乱暴ですが、想像力を主役にしたならむしろ、考えもしないものが生まれるチャンスとも言えます。

間違った情報を聞いてしまったとしても、それをヒントに、自分の持つ観念と組み合わせて、とてつもない事に気づいてしまうかもしれません。
この時、感謝すべきはその「間違った情報」です。
情報が間違っていたから、その後に気づいた大きなものを捨てる事はありません。

こんな風に思えるようになってきたのは、やはり、身体感覚を手掛かりにする一人稽古が「気づき」の連続だから、かもしれません。
もし、一人稽古を知らずに生きてきたなら、きっと、「気づく」事なく、毎日を生きていたと思います。そんな生き方ができる時代です。
しかし、一人稽古は、これまでの観念を変えてしまう気づきが次々と生まれます。
最初はほとんどなかった気づきも、今は毎日、気づきばかりです。
気づきを得られる、とわかると、今困った事があっても、まぁ、そのうち何とかなるよなぁ、と思えるようになります。
そして、困った事のおかげで、新しく気づきが生まれ、その気づきが作る新しい観念が自分を幸せにしてくたりするのですから、簡単に困った事が嫌だ、とは言えなくなるのです。

ちょっと長くなりました。
いや、本当に今日は「術理」の話がしたかったのです(笑)。
ただ、やはり、今の私の術理はただの手順ではなく、深く、観念と想像とつながっているようです。
観念の世界、想像の世界、それらを私たちの誰もが持っています。ただ、その存在を形として見れないので、共有するのが難しいだけです。
人から教われないのなら、自分でやればいい。だから、一人稽古をお勧めしています。
やり方は自由。本当に自由。好き勝手にやります。この時にも、きっと、「真偽」を大切にしないぞ!という思いが役に立ちます(笑)。

【不定期稽古のご案内】

「つくば稽古」
日時:2024/6/2(日)13:00-20:00
参加費:10000円(当日払い) 
会場:つくばカピオ リフレッシュルーム
住所:茨城県つくば市竹園1-10-1 

「東京ロングヒーリング」
日時:2024/6/4(火)10:00-17:00
参加費:24,000円(当日払い) 最大人数6名
※定員となりました。現在はキャンセル待ちとなります。
会場:大岡山西住区センター
住所:目黒区平町一丁目15番12号

「東京夜稽古」
日時:2024/6/4(火)18:00-21:00
会場:大岡山西住区センター
住所:目黒区平町一丁目15番12号
参加費:参加費10000円(当日払い)
同日10-17時にある「東京ロングヒーリング」に参加の方は5000円

共に詳細、申し込みはウェブサイトから。
http://www.karadalab.com/





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