一人稽古ってこんな感じ

思いついた事があったので、いつものようにツイートをしようと思ったのだけど、あまりに長く、取り留めがなかったので、まとめて一つの記事にしてみた。
案外「一人稽古をしている時の頭の中」が表れているのではないか、と思う。とにかく、気になった事を素直に問い続けるのが一人稽古。

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思い浮かぶ事はすべてが解決する。そんな教えが世の中にはある。そうは言っても、実際にこの身体を通して実感を得るのは簡単ではない。そう「思っていた」。これこそが固定観念なのだ、と今、気がついた。

このところ、ずっと、一人稽古だ。対人にて手を合わせ、動きを止めてもらう事がない。一番の手がかりは休み前に見つけた指先が運命のレールを作る、という事。指先が決まれば、内臓の前に存在をしているだろう重心が導かれる。それを手がかりに1週間ほど過ごしている。

赤いポストまで郵便を歩いて出しに行く。道すがら気になるのはやっぱり「身体」。指先でレールを作り、重心が自然とそこへと向かえば「歩く」という強い意志がなくても、身体は運ばれる。考えを身体を通して確かめるのが私の一人稽古。

1週間ほどでレールが確かにはなったが、その分、飽きてもきた。もうちょっと刺激が欲しい。飽きからくる願望が次の世界への切符だ。必然性のある願望は飽きる事から生まれる。勢いを求めた時、エネルギーは内にある液体が作る。液体が大きく揺れないかと思いながらポストまで歩く。

問いが生まれれば脳は動き始めるのだろう。走馬灯のようにこれまでの経験をあれこれ出してくる。指先は速い。そして、形もしっかりしている。デコピンの動きをすれば勢いも出る。まさかデコピンで倒されるとは誰も思わないだろうが、指にはその力がある。

久しぶりにデコピンを思い出し、指は速いなぁ、と改めて実感。そして、その瞬間、指の中の僅かな液体はとてつもない勢いを持っている事に気づく。指の中は速いが中心の液体は遅い。これを速くできないか?と問いが進む。

ポストに着き、郵便物を出し帰宅。その途中もずっと、お腹の中にあるたくさんの液体の勢いをどうすれば出せるかを考えていた。答えは出ない。簡単に出るものではない、と固定観念があったからだ。

指先は速く、レールを作る。指先から生まれるレールを意識して、少しあれこれと作業をしていると、左右の手指が作るレールを同時に気にできた。その瞬間、「ハサミ」が見える。

レールという棒。その棒が二つ。衝突は確率的に難しい。しかし、たまたま、すれ違ったのかもしれない。その時、ハサミの感覚を得た。その瞬間、重心は迷い、勢いが生まれていた。背骨から生まれる力ではなく、もっと前から生まれていた力に重心が乗れそうだ。

願った問いがこんなに早く解決してしまうとは思わなかった。問いがなければこの重心の勢いは生まれなかった。問いがなければ努力もしようがない。解決をするには時間が必要だと思っていた。しかし、違った。運なのかもしれないが、すでにその材料は全て持っている。ただ何もしないのとは違う。

長々と書いたが、一人稽古は外からは見えない。僅かな日常生活でも、こんなにも豊かに身体を探れる。こんな日常生活は皆、誰もが持っている。特別な場所へと行かないと人生は変わらない、と思っているのなら間違いだ。見るべきものを変えればいつも、そこは特別な場所になり、特別な時間となる。

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以上がある朝、思いついた事。この新しい感覚を試しにその夜、屈強な稽古相手に試しに出かけた。思った通りというか、それ以上に動きが通る。重心に最初から勢いがあるから相手はどうしてもタイミングがずれるようだ。

日々こうして変わっていく。そんな変身の仕方をもう20年以上続けている。努力は禁止だ、と言えるようになったのは最近の事だが、一人稽古は努力のしようがないように出来ている。一人稽古をしようと始めれば誰でも、努力を気にしなくなるはずです。


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