2019年の術理 10月

鱗の術理、小魚の術理を通して「自然治癒」について思うところがありました。人を倒す技を稽古してきた私にはずっと、人を癒す技に憧れがありました。その間をつなげてくれるのが鱗の術理、小魚の術理だと感じています。

世の中には技術だけを学んではたどり着けない場所にいる「ゴッドハンド」と言われる人がいますが、きっと彼らはすでに人間の自己治癒能力を心の底から認めている人人間の可能性を信じている人ではないか、と。技術以上に人への思いを強く持てる人だと思います。

手技、テクニックだけなら残していけても、どれだけ人間を信じているかはその人次第です。ゴッドハンドの凄さは見えない部分の可能性を自覚している事。そして、その深い理解が身体を通して移ってくれるからこそ、テクニックがさらに活かされていくのだ、と考えました。学び方を変えなければ、永遠に憧れにはたどり着きません。

私には人を治すテクニックがありません。もし、テクニックがあったのならそのテクニックに任せてしまっていたはず。ある程度までは行けても、その奥にまではいけません。テクニックがないにも関わらず、鱗に触れれば力が抜けるし、小魚の群れを自覚してもらえば力みなく動く事ができます。身体の軽さが見つかります。私にも人の役に立てることが見つかったのです。

医療はさらに進歩をするでしょう。今治らないものも、治癒する時代がくるでしょう。ただ、その時、心に不安があれば治るものも治りません心を落ち着けるのに、身体の力みをとる。そして、身体の力みは自分でとれる、とわかっていれば、安心して歳を重ねられます。

老いや病気は大きな怖れです。どれだけ進化や努力をしても、必ずやってくるのが死です。最後は「死」なのです。
ならば治癒を目的にしては必ず心は落ちていきます。心に必要なのはやれる事をやりきったという、「納得」ではないかと思います。

すべき事がある、とわかったからこそ安心感が生まれたのかと思います。
この安心がさらに、突飛なアイデアへと向かわせてくれたのだと思います。10月もたくさん、刺激的なアイデアが湧きました。

【脊髄も脳】

パラパラと身体の雑学の本を読んでいた時です。

脊髄は脳の一部

との一文を見つけました。その瞬間、そうか!とひらめきました。
脳は考えるもの。身体操法を考えた時、脳には休んでいてもらいたい、そう思ってきました。

それまで脳はパイロットであり、首から下は身体、私とは違う存在だ、と感じていたのです。身体の凄さを感じるたびに、頭の悪さというか、我の強さを感じてしまっていました。そしてきっと、この抵抗感が身体感覚の世界へ入る事の難しさを生んでいるのだろう、と。

脳は「私」なのです。現代人としての私。ろくでもない事もやってしまう私は脳にいます。その脳がこの世界に溢れ出ています。身体感覚の世界を知り、そこから学ぼう、と従いだしたのは別々の存在だからです。

脊髄までが脳、と知り生まれてくる感覚に驚きました。脳が全身へと満ちていくのです。そして、その瞬間、やっとこの地面に立った、と感じたのです。これまではずっと、バーチャルな世界にいたようです。脳から身体へと塊感を持ったまま満たされ、見るもの、聞くもの、触れるものをリアルな感覚で受け取れます

この感覚でいる時、全てを「経験」として受け取れるのです。つまり、痛みさえも喜びとして感じられるものがある、とわかりました。
この先、人生はもうちょっとあります。その中には「嫌な事」も出てくるでしょう。その時、嫌は嫌としてみればいいのですが、反射的にそれを拒否し、選択を奪われるのはもっと嫌です。
心落ち着いた時、ちゃんと冷静に観察をして、嫌だと思った事の中にも世界を広げるチャンスを見てあげたいな、と思えるようになりました。

具体的に技としても変わりだしました。
脳が全身に満ちた時、痛みに対して前向きになれたからでしょう遠慮なく相手にぶつかっていけるのです。自然とそこに、気迫というか、相手の心に怖れを生む働きがありそう。これまでの私に一番足らなかった力です。

【所有感覚とジャイアン】

脳が全身に満ちていき、私の中に私を悲観する気持ちがなくなっていった頃です。自然と、意識は外の世界へと向いていきました。
私の外にはたくさんの人がいて、たくさんの物があり、空気もあって、山もあり、海もある。私以外のすべてを一まとめにして、一つの存在と感じられるのです。

おそらく、身体の中に不安がなくなり、興味が外へと移ったのだと思います。
私の中にあるエネルギーを身体を通して実感して、様々な活用をしてきました。そして、それと同じように、外にみつかった存在もエネルギーとして感じられるのです。それはまだ、動くものではありません。ただ、そこにあるもの。この世界の自分以外の部分を大きさとして感じました

その大きな存在を自分の物として考えてみた時、それが私の味方になってくれている気がするのです。普段から人気があり応援、声援の力を感じている人はこのエネルギーで動いていたのか、と思いました。見えないけれども、確かにある力です。

その力を武術に使い、試し、確かめます。
目の前には敵がいます。心は敵に会い、縮み、止まります。私は臆病だからです。
この時、私の周りにある力と共に敵と向かい合います。また、敵をそれで包み込みます

この時、湧いてくる気持ちがありました。相手を私が「所有」している感覚があったのです。
所有する気持ちを持ったまま、相手に降れ、技をかけると、私の中に遠慮がない事がわかりました。遠慮がない事でそれまでかけていたブレーキが外れます。
そして、敵とのやり取りは間合いが離れている頃から始まっている。認識した時点で始まっているともわかりました。

ケンカは気合いだ、と言われますが、なるほど、そうです。始まる前から始まっていて、すでにそこに上下の関係が出来上がっていたのです。

俺のもの物は俺の物、お前の物も俺の物

ジャイアンはそんな名言を残しています。
言葉はマネできますが、中身が空っぽです。その中身を私以外の空間が埋めてくれるようです。

少し説明がしにくいですが、大きな気持ちの転換があった10月でした。

【新年の稽古は下記のとおりです】
名古屋 1/8(水)10:30-12:30
名古屋 1/19(日)10:00-15:00
浜松 1/11(土)13:00-17:00
瀬戸 1/16(木)10:00-12:00
熱田 1/17(金)13:30-15:00
【久しぶりの東京稽古も決まりました】
東京目黒 2020/2/2(日) PM1:00~PM4:00
【2回目のつくばも決まりました】
つくば 2020/4/12(日)PM1:00~PM4:00

http://www.karadalab.com/sch

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