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居酒屋

公立の学校に通っている場合、中学校位までは「勉強ができる」というのはかなりの強みになる。

多少クラスや部活で馴染めていなくても、「勉強ができるから」ということでイジメを受けることが回避できるどころか、先生に重宝され、委員長などの立場を任され、一目置かれることも多い。しかし恵まれているとはいえ、本人達もそれなりに居心地の悪さや会話の合わなさを感じていることもある。

ここまでの話は私の経験談である。中学時代、友人と楽しそうに毎日過ごしている同級生を見て、自分はなぜああなれないのか、なぜ会話が合わないのかと首を傾げた回数は数えきれない。


その後、私は運よくそれなりに偏差値が高い高校に入ることができたのだが、そのとき初めて同じような気持ちで中学時代を送っていた人がいることを知った。うちの高校は自由な校風も相まって、個性豊かで自我が強い人が多かったように思う。初めて違和感を持たない同級生と学校生活を送れたのが高校生活であった。


高校在学中に始めたのが居酒屋のバイトである。それなりに楽しく続けることができていたため「あんな違和感を感じて生きていくのは中学までだったか~~よかった~~」と思っていたのだが、系列店の中でも「社会不適合者が集まる店」と言われるくらい変わった人たちが集まる店であった。しかしヌクヌクとぬるま湯のような高校生活を送った。


大学には、また高校時代のように友人ができると、高校入学時よりも期待を持って進学した。東京を崇拝する首都圏からの進学者が多くない地方の大学の農学系に進学したのも合わさって、かなりのギャップがあった。電車が3分に1本来るところに住んでいた私が、軽トラや農作物の話についていけるはずもなく、かろうじて3人の”よっ友”を作り、あっという間に人生で一番の引きこもり期に突入した。

上京者が感じるギャップの逆バージョンである。環境が騒がしく忙しくない分、いまだに慣れることなくダメージを受け続けている。


そして私は、縁あって高校時代のバイト先の居酒屋に戻り、高校の同級生と遊んだり連絡を取ったりしつつ、オンラインで授業を受け、日々暮らしている。地味めな性格で多少ノリについていけないこともあるものの、自店の居酒屋に助けられている。キャストに昔よりいわゆる"普通"の大学生が増えた。リハビリを緩くしつつ、このまま暮らしていく。