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あれもこれも誰もそれも、あなたを幸せにすることはできない

前回は、フィルターの話をしました。今何か人生に行き詰まっているものがあるとすれば、それはフィルターのせいですよというお話でした。

https://note.com/kaqico/n/nede9486cbd5e


私は「人は内側のフィルターを変えることで幸せになれる」と申し上げました。
これは裏を返せば、内面に存在するフィルター以外のどのような外側の事象も、根本的に人を幸福にすることはできない、ということです。


外側のどんな事象も、人を幸せにすることはできない。

これを心から納得いただくのはとても難しいことです。

日常生活を送る私たちは、よほど意識していない限り、もっと金があれば、もっとよいパートナーがいれば、もっと出会いがあれば、もっとマシな職場であれば、もっとよい育ちがあれば、もっと教養が、もっと才能が、もっと美貌が…。というように、今自分に足りないものを数えることが当たり前、いわば習慣となっております。

あれさえ、これさえ手に入れば完璧になるはずだ、幸せになるはずだ。それを手に入れることが大切なのであって、フィルターを変えて感じ方を変えて幸福になるなどというのは、みじめな慰めにすぎない。
そのような感想は全く自然で、なんら批判されるようなものではありません。

私自身もこのように偉そうにくっちゃべっておりますが、日常の中で
ふと、ああ、私にうなるほどの金があったらば…と夢想することはたくさんあります。(単に楽しみのためですが)

しかし、それでもこの結論は揺るぎません。
「内側のフィルターが変わらない限り、外側の物事がいかに変化しようとも、人は幸福になれない。」


私は以前、高級住宅街の一角にある小さな洋服店で働いておりました。ジュエリーや高級時計やら毛皮に関する知識はからっきしでしたので、経験豊富なスタッフがお客様のためにおすすめの品を取り揃える間、お客さまにお茶をお出ししたり、少しばかりお話の相手をするのが私の勤めでした。

そこにいらっしゃるお客様は皆とんでもなくお金を持っていらして、200万も300万もする時計をポンポンお買い上げになります。
旦那様がお医者さまや経営をやっておられて本人は専業主婦、あるいはご本人がご自分でしこたま稼いでおられる場合もありました。
そんな方々のお買い物の様子というのは、飛び交う物も金額も、別次元の世界です。
しかしながら、私が何よりも驚かされたことは、そこで交わされる会話、そこで皆さんがこぼされる愚痴や悩みの方は、あまりにもありきたり…というとおかしいのですが、「お金持ちならでは」などということはまるでなかった、ということ。

皆さん、変わらずに悩んでおられます。職場での人間関係、あるいは親戚付き合い、旦那さまの無理解、お子さまの反抗あるいは不出来について、またはママ友との関係、体形の変化や老化への恐怖、そしてもちろん、お金についてもです。

お金持ちであればお金のことに悩むことはない、などというのは全くの嘘です。相続の悩み、資産を狙う他人に関する悩み、ビジネスの悩み、そして、お金がまだまだ十分にないという悩みも、多くの方が抱えておられました。
こんなに持っていてまだ欲しがるのかと思ってしまいがちなのですけれども、お金持ちはお金持ち同士でお付き合いをするものですから、どんなにお持ちになっていても、ご友人やお知りあいと比較して、まだまだ足りないと思われるようなのでした。


もちろん、上流の贅沢な悩みと言ってしまえばそれはそれまでです。しかしながら、それをいうのであれば、です。私たちが今、日常に悩んでいるものごとも同じではないでしょうか?

あなたがたとえば、現在お金がないことで悩んでおられるとします。お金がない悩みというのは、資本主義社会において大きく精神を削られる、深刻な悩みと言えます。
しかし、お金がないとは言っても、日本に住んでいる以上、特別な事情がない限り、住む場所と食い繋ぐくらいのお金は保証されているわけです。
食うに困るわけではないけれど、自分の考える満足な暮らしができるほどのお金がない、そういうことで悩むわけですが、それは、明日食うにも困っている貧しい国の人々からすれば、まぎれもなく贅沢な悩みだと言えるはずです。

また、パートナーとの関係に悩んでいるお方も多くいらっしゃると思いますが、パートナーができないことに悩む方からしますと、それもまた贅沢な悩みと映るに違いないのです。

またさらに、パートナーができないことでお悩みの方というのも、対人恐怖で悩んでおられる方、友人が1人もできないことに悩んでいる方の立場からは、大いに贅沢であると捉えられるはずです。

いや、待ってください。
「あなたの悩みなどアフリカの飢えた子供の境遇に比べたらモノの数ではないのだからうんぬん」といった古式ゆかしい説教をしたいわけではないことにご注意ください。

そうではなくて、
「いかに外側のことに恵まれていようとも、また逆に恵まれていなくとも、人の悩みの大きさ深さは、実のところ、それほど大きくは変わらない」ということをお伝えしたいわけです。

裏を返しますと、
あなたがどんなに、貧しい国の子どもたちより恵まれた生活をしているとしてもそれはあなたの幸福の証明であるとは言えませんし、まして、あなたが抱える悩みを小さいものだと言える材料になどなりません。
あなたの抱えている悩みや悲しみ、苦しみ。それは紛れもなく本物であり、なにを差し置いても対処すべき問題なのです。


しかしながら、あなたが今抱えている悩みが何であるにせよ、あなたが今心に思い描くあれこれの「私に欠けているもの」を手に入れることで、つまり「私に必要なもの」がそれを解決すると考えること、そこに間違いがあるということをわたしは、どうにか指摘したいわけです。

「〇〇さえ手に入れば私は幸せになれる」

この思考は役に立ちません。いえ、このような思考そのものがあなたの幸福を妨げていると言っても過言ではありません。
もちろん、〇〇を諦めろとか、〇〇を手に入れると不幸になるですとか、そのようなことを言いたいのではございません。
〇〇がほしい、〇〇をしよう、〇〇を手に入れよう…外側に何を求めようと、全く問題はないのです。
しかし、〇〇こそが自分の幸福を左右していると考えること、これがあなたの毎日を不必要につまらなくしているということを、考えてみていただきたいのです。

「私は外側の変化(収入が増えた、職場をかえた、結婚した、子どもができたなど)で実際に幸せになったし、周囲にもそんな人はたくさんいる。これをどう説明するのか?」
「実際私は〇〇のこと以外は完璧に幸せ。だから〇〇を解決したい…この思考の何が問題なのか?」
などなど、さまざまにご指摘もあるかと思いますが、長くなりましたので、またまた次回に続きます。

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