あの子の話。

お猪口に少し残っていた熱燗をぐいと啜りテーブルに叩きつけるやいなや、突っ伏して彼女は絞り出すように言うのだ。

「…好きだから、本気だから」

どんな表情で言っているのかは分からない。でもこちらから見つめるのがつらくなるくらい彼女が本当のことを言っているのだというのは、数年来の付き合いがある自分には理解できた。

一瞬なんとなく気まずくなって、手元のスマホに目を落とす。

もうそろそろ終電という時間である。
酔っている彼女を駅まで送る時間も含め、早めに会計を済ませた方がよかろうと判断した私は、

「まあまあ、とりあえずお会計しよ、ね」

なんて余裕ぶって答えながら、内心動揺しきっていた。
男性に告白されたことは何度かあれど、女性に告白されたのは初めてだった。いや、そもそもこれは告白なのか。

普段の明るい姿とは打って変わって、お酒の力を借りて自分への言葉を絞り出す彼女を見て、今まで覚えたことのない類の感情がふつりと沸いたような気がした。

会計を待つ間、私はどこに視線を持っていったらよいかわからなくなって、
自分の手元にあるお猪口の飲み口についた口紅の跡を見つめていた。

職場の元同僚である彼女が、女性が好きだということは知っていた。
でもモテるとよく言っていたし、実際背も私より少し高く、スラっとしていて美人だと思うし、何より彼女は元同僚と言えど大切な私の友人のひとりである。
私はもう職場を辞めてしまったが、一緒に働いていた頃は仕事後によく飲みに行ったり、休日にも遊ぶような、本当にそういう大切な友達だった。

その彼女に“好きだ”と言われた。

真剣に誰かにそれを言われたのはいつが最後であっただろう。
わからない。もう何年も、ずっとずっと前のことかもしれない。

会計を済ませ、外が寒かったのを理由に私たちは手を繋いで駅まで歩いた。
こんなふうに女の子と当たり前のように手を繋ぐのは女子高生の時以来だろうか。ただ自然と手を持たれたから抵抗なく貸してしまった。彼女は友人だし断る理由もないし、手を繋ぐくらい、と私の脳は必死に何かを正当化しようとしているようだった。
華奢でやわらかい彼女の手は、私と同じ冷え性なのだとこの時初めて知った。

「うわ、冷た」

と言うと

「お互い様でしょ」

と目を細めて彼女は言う。その顔は妙にうれしそうで、それを見た私はこれまた不思議な感情になり、もしかしたら“いとしい”とはこういうことでもあるのかもしれないと戸惑いと高揚とがぐしゃぐしゃになりながら頭の片隅で思っていた。

ふたりで真っ暗闇に白い息を吐きながら繋いだ手を大きく振り、駅までのほぼ一本道をもったいぶるようにゆっくり歩いた。

「そっちのホームまで行くよ」

「えっ逆だしいいよ」

普段そんなこといわないくせになんて思いつつ、彼女は颯爽と私の帰宅方向のホームへと歩き始めた。

ホームへの階段を登りきらないくらいのところで、電車が間もなく到着する旨のアナウンスが流れて、私たちは必然的に早足になる。

ゴトンゴトンと大きな音を立てて電車がホームに入ってくるのが分かった。

「じゃあね」
と私が言うやいなや、
彼女は無言で私のコートの上腕部分をぐっと引いた。

強制的に振り向かされると、自分のくちびるにやわらかい感触が与えられたのがわかった。生ぬるい人の体温と彼女の顔が確かにそこにあり、その瞬間自分がいる世界の情報量が処理能力を超えた。

発車直前のベルが鳴り響き、はっと現実に揺り戻されたような感覚になる。
目の前の最終電車に乗る以外の選択肢はなかった。

混乱しながら扉付近に乗り、振り返ったところで扉が閉まった。

彼女は照れくさそうに笑いながら小さく手を振っていて、私もそれに応えるよう小さく手を振った。

一駅目に着いたくらいでコートのポケットの中のスマホが震えて、

ごめん

というメッセージを表示した。
なぜかこちらが取り繕うように

大丈夫だよ

と送った。
なにが大丈夫なのだろうか、もはや自分にも分からない。

何年も前から自分の左手の薬指にあり馴染みきった指輪のことなんて忘れてしまうほどに、今は彼女のことを考えていたかった。明日の朝ごはんとかお弁当とかそんなことは全部置いておいて、頭の中を彼女で埋めつくしていたかった。

最寄り駅に着いてからも私の頭の中は忙しく、家に帰りいつもの「ただいま」を交わしてもそれは続いた。

異性から与えられることのない独特のやわらかい感触だけがずっとずっと、くちびるに残り続けていた。

彼女はたぶんまだここにいるのだと、人差し指と中指で自分のくちびるに触れた。

何度も何度も、触れていた。

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