ゲームの形をした物語
去年の春ごろ、NieR:Automataをプレイした。主要な5種類のエンディングに到達し、サブクエストはほとんどをクリアしたが完全ではない。収集要素のコンプリートも目指してはいないし、トロフィーはそもそも気にしていない。そんな感じのゲームクリアをした。
ゲームモードはイージー。イージーだと自動戦闘を選択することができるので、ゲームプレイの腕がなくてもストレスなく進行できる。慣れたら外すつもりだったけれど、最期までつけていた。
クリアした結果、本当に満足した。
素晴らしいシナリオ、素晴らしい音楽、爽快な戦闘。ゲームでここまでの満足感を得たのはいつぶりだろうと思うくらいだ。
Automataプレイ以降ではマリオサンシャインやピクミン3にFate/Extella、MAD RAT DEADをプレイした。もっと前ならゼルダの伝説Breath of the Wildあたりが印象に残っている。Splatoon2とその追加コンテンツもストーリーがあった。
もちろんそれらも楽しくプレイしたし、どちらが劣るとかそういう話ではない。ジャンルが違うだけだ。
マリオサンシャインは如何にマリオの身体能力とポンプを生かして先へ進むかのゲームだ。シナリオは「攫われたピーチ姫を助ける」、いつものやつである。ステージクリアの達成感を積み重ねることが主眼だ。ピクミン3も同じように収集をする。とてもゲームをしていると思う。
逆にFate/Extellaは小説だった。シナリオが良い。一応無双系のゲーム部分もあるけれど、毎度同じようなステージで、同じような目的のために、同じような行動をするだけだ。正直あまり面白くなかった。小説部分が非常に楽しめたのでゲーム側の印象は薄い。
MAD RAT DEADはゲームシステムがしっかりシナリオとリンクしていた。ただ自分には難しく、ゲーム性を100%楽しめたかというと70%くらいになるかもしれない。シナリオは満点だった。
そしてNieR:Automataはそれらが高度に融合していた。
NieR:Automataの舞台は西暦11945年の地球。おそらく日本だった場所。
西暦5012年に来襲したエイリアンが作り出す機械による侵攻は苛烈で、人類は月に逃げ延び、そこから戦闘用アンドロイドを投入することで戦っていた。
キャッチコピーは『命もないのに殺し合う』。
この戦闘用アンドロイドがプレイヤーキャラクターだ。
アンドロイドということで便利機能がスキルのようについている。ミニマップの表示や収集音の波形認識、敵の体力を視覚化する機能など、ゲームとしての機能ではなくアンドロイドの機能になっているのだ。
この機能は付け替えが可能で、便利機能をなくして攻撃強化にするなんてこともできる。アンドロイドのOSまでが機能になっている。はずすと死ぬ。
ゲーム序盤でアンドロイド機体の再起動が行われた時に、画面(視界の画像認識機能)の明度調整や音のボリューム調整などもシナリオの一部として行われる。機体自体が不調な時にはメニュー画面の表示もおかしくなる。拠点間のワープにも理由がある。
初心者救済であるオート戦闘もこの機能のひとつで、邪魔ならはずすこともできる。下手でも自分で戦闘してこそのアクションRPGだという層には合わないかもしれないけれど、世界に触れることが歓びになる自分には世界を構成する要素として馴染むものだった。
そして、そのあたりのすべてが世界観の中なのだ。
さすがに各99個まで無制限に持てるアイテムボックスはファンタジーだったけど。
NieR:Automataはこのゲームシステムとシナリオの融合が上手い。ゲームはオープンワールドでそもそもの没入感が高いが、システムを弄っている時ですらその世界の中にいるのだ。
そしてサブクエストがちょうどよくある。メインのついでにできるものから探さないとみつからないもの、毒にも薬にもならない軽いものに、よくわからないもの、あとになって重要な話をしていたとわかるもの。
そしてムービーの比率がちょうどいいと感じた。興味を持って見ていたからかもしれない。長いと感じたことはなかった。
ゲームのエンディングは5種類あり、アタッカータイプのアンドロイドを操作する1周目は(変なバッドエンドを踏まなければ) Aエンドとなる。
セーブデータにはAが記録され、2周目は全く同じシナリオを、1周目で一緒に行動していたサポートタイプのアンドロイドの目線で進めることになる。別行動していた時の状況や、そこで手に入れた情報が増え、同じシナリオをやっているはずなのに見え方が違う。そして3周目からはその続きの世界となる。
シナリオとしての厚みが凄まじい。
命のないもの同士が殺し合い、その果てに何があるのか。前述のサブクエストを拾わなければどんどん進むことはできるけれど、みつけるとついつい拾ってしまう。それでいて、ほとんどを拾っていても飽きずにクリアできてしまう。もちろんエンドコンテンツみたいな手間がかかる(例:全武器完全強化) クエストは除くけれど。
そしてオープンワールドということで、いろいろな順序で進めることができる。広いワールドを駆けている時も次に何をしようか考えていて、その時間がちょうどいいインターバルとなってイベントとイベントの間を繋ぐ。
この間はゲームを単なるイベントの連続とさせない大切な間で、プレイヤーによって千差万別のものになる。だからこの物語は、真に小説化することはできないだろうと思った。少なくとも小説という形態では、このゲームと同等に感情を揺さぶられることはない。
それくらいにゲームであるという最終形を明確に想定して、その上で物語が綴られていた。
ストーリーは重くて暗めだし、グラフィックの彩度も低めだ。万人におすすめできるかはわからない。すべてのゲームがこのバランスを目指すべきだとも思わない。
それでも自分はこのゲームを称賛し、機会があればこの美しい世界を誰かに勧めると思う。
あとゲームともシナリオともあまり関係ないけど、随行支援ユニットという隣をふよふよ浮いている機械を撫でたりできる。撫でると「推奨:定期的な実施」とかしゃべる。かわいい。ぜひやってほしい。
2021年4月末にはNieR:Automataの何千年か前の時系列にあたるNieR:Repliicantリメイクが発売される。たぶん西暦3000年くらいの話。関連はするが続きではないのでどちらからでもできる。ストーリーの概要は知っているけれど、こちらにも自分でプレイする面白さがあるかもしれない。時間があればやってみようと思う。
オート戦闘があればいいなあ。
(追記)
ふぉとんのチャンネルでNieR Automataコラボソングのピアノ演奏を公開したところ「ヒトの作り出した人外がこの曲をやるのがエモい」とお褒めの言葉を頂きました。そういう方向で着ぐるみを深読みするの楽しそうですね。「そんなに悲しむことなんてなかったのにな。心さえなかったなら。」そんな曲です。
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