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ロック

うまくいかないからやーめた、というノリは家庭用ゲーム機が普及し始めた頃からだったのか、それともそれよりも昔からあったのか。そんなことを、ここ数日のニュースを見て考えていた。

僕の頭に浮かぶ、二大はてなのうちの一つは、「やめます!」という宣言に「グッジョブ!」とか言って、群がる人がいることである。(ちなみにもう一つのはてなは、資金調達したときの「おめでとう!」という謎の賛辞。)

やめるやめないを良い悪いで語りたいわけではない。ただやめることを必要以上にカッコいいと捉える風潮はどうにかならないか。どのあたりがロックなのかを教えてほしい。なんだかそういう象徴的なものだけを取り上げて、やんやと騒ぐのは、もはや演奏をしていないのに、パフォーマンスで人気をとるミュージシャンのようだ。(でもゴールデンボンバーは好き。)

今回の件で感じたのは、本音と建前の気持ち悪さである。ほとんどの人が、本音を感じていて一言や二言持っているにも関わらず、建前しか語らない、語れない気持ち悪さ。建前しか語らないと、いつのまにそれが本音になる。数少ない人達は本音を語っているけど、世間の表面上に浮かんでいるのは、気持ちの悪い建前ばかりだ。

それがすごく怖かった。見切りをつけるとか、後進に譲るとか、ビジネスの合理的な判断を否定はしない。また会社に長くいることや、事業を長くやることが善である、というのも違うと思う。むしろ当たり前で普通のことではないか。その普通のことになぜこうも過剰に、ポジティブに反応するのかがわからないのだ。

必要以上に明るくするということは、後ろめたさや暗さを含んでいるということである。その不穏さを感じたのだ。こんなにお祭り騒ぎにしないとならないほどの鬱屈さを世間は抱えている。しかもそれがいわゆる社会的地位のある人たちを中心に、なのが問題だ。

こんなのはちがう、で、リセットボタンを押す。別に悪いことじゃないが、後ろから見ていて「ロックだね!」と、あの頃の僕らは声をかけたろうか。

きょうも読んでくださって、ありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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